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【回顧録】帯同を決めた日

海外転勤を知った瞬間

旦那から海外転勤の話を聞いたのは、2019年10月末。まだコロナの「コ」の字もない頃。私は2人目の育児休暇を終えてその年の春に復職、新しい仕事だったがやっと少しずつ慣れてきてちょうど忙しい時期だったのを覚えている。その時の旦那とのLINEのやりとりがこちら。

不思議なことに何か胸騒ぎというか予感がして、見事に的中した。自分でも驚くほど冷静だった。そして、やりとりの続きがこちら。

まず気になったのが子供の学校のこと当時息子が年中で、帯同するとなるとタイの小学校になるのか…と。

次に気になったのが家のこと。住宅ローンがまだがっつり残ってるけどどうするのか。

後からこのやりとりを振り返って見て、自分自身のこと、とりわけ仕事のことが全く触れられていないことに驚いた。私の勤めていた会社は帯同に伴う休職制度はないため、帯同するなら退職することになる。そのことを知っていたのに仕事の「し」の字も出てこなかった。ついていかないという選択肢だってあるのに、子供の学校や住宅ローンは、一緒に渡航する前提のレスポンスだ。

2度目の育休と七五三写真

旦那の駐在が決まる少し前の9月、息子の七五三の記念写真を写真館に撮りに行った。袴姿の息子に「成長したなぁ」という感動よりも「嘘でしょ!?もう5歳!?」という気持ちの方が大きかった。18歳で家を出ていくとしたら、残り13年。5年がこのスピード感だとしたら13年もあっという間だ…。そんなことを思って、撮影の日以来、家族で一緒にいられる時間の尊さを噛み締めていた。その影響もあり、家族が離れて暮らすという選択肢が頭に浮かばなかったのかもしれない。

そしてもう1つが2度目の育休期間の存在。17年の夏に娘を出産して19年春まで約2年育休を取った。1人目の育休は1年未満と短かったし、第1子ということもあり育児で手いっぱいだったが、今回の育休は充実したものにすべく、色々と動いた。それまでは、育児と家事の両立に悩み、なんで女性ばかり損をするんだ!なんで私ばかり犠牲にならなきゃいけないんだ!と不満爆発ワーママだったのが、いろんなワーママ仲間に出会い、いろんな働き方があることを知り、視野が広がったおかげで、自分の中の「こうあるべき」という鎧のようなものが剥がれて、自分のキャリアも以前より柔らかく捉えることができるようになっていた。

前科一犯

実は過去にも一度、駐在の話が出たことがあった。記憶が曖昧だが、確か1人目の妊娠時だったと思う。産前の私は自他ともに認めるワーカホリック。仕事が大好きで楽しくて仕方がなかった。

駐在について行く(そのために退職する)なんてあり得なかったし、初めての子供を妊娠中だったので、1人で出産して育てる自信もなく、全力で抵抗して、その結果、旦那は海外転勤の話を辞退した。

今になって考えると、異動の辞令を辞退させるって結構なことなのだけれど、当時の私はその決断は当然だと思っていた。

そして今回、2度目の海外転勤の辞令。
旦那に断るという選択肢がないこともわかっていた。

決断ではなく必然

自分にとって大切なものが見えて、肩の力が抜けたタイミングでの、海外転勤の知らせ。いろんな出来事が折り重なった上での駐在の話。

だから予感が的中したのだろうし、覚悟して決めたというよりは、必然的なものを感じて、あまり深く悩まなかった。

その時は。。。

悩みはあとからじわじわと湧いてきたので、その辺りはまた別途書きます。

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