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桜にまつわる、もう一つの思い出

私の実家は、いたって普通の、いわゆる「中流家庭」だった。でもちょっと特殊なことがあり、それは、月に何度も祇園に行くのが当たり前だったこと。父方の祖母が日本舞踊の師範(先生)だったことや、父方の親戚筋が祇園の関係者だったことから、祇園にご縁があったのだ。

祇園で親戚筋に挨拶まわりをしたら、決まって家族みんなで寄ったのが、祖母の親友である「女将さん」の所だ。女将さんが営むお茶屋さんに寄り、ゆっくりさせてもらうのが恒例だった。

この女将さんから受けた恩恵がすごくて(今から思えば)、中でも大きかったのが、都をどりの「大ざらえ」を見ていたことだろう。

毎年3月31日になると、家族そろって正装し、祇園の南座で「大ざらえ」を見る。それが我が家の春行事だった。

都をどりの「大ざらえ」は、4月から始まる公演を前に稽古の総仕上げをお披露目するもので、「関係者お披露目会」みたいな感じかな?

会場には井上八千代さんがいて、そうそうたる著名人の姿もあった。たぶん。私は幼くて覚えていないけれど、いちいち両親が「○○さんが来てる!」と驚いていたので、合ってると思う。

「都をどりはヨーイヤサー」という掛け声で緞帳が上がると、華やかで艶やかな別世界が舞台に現れる。そこからは、あっという間に都をどりの世界に引き込まれた。長唄や三味線、舞妓さんの可憐な舞いに感動していたら、気が付けば別躍がはじまる。芸妓さんの色っぽさに見惚れていたら、あっという間に終演が来る。

最後は、舞台に桜が舞い、舞妓さん全員が舞う。これが本当に美しいのだ。煌びやかで艶やかで華やかで、「風光明媚で豪華絢爛」な光景が広がる。鮮やかな青色にオレンジや赤の花が散りばめられた着物と、朱色(オレンジかも)のだらり帯が、本当に美しかったなぁ。

都をどりの後は、南座の「松葉そば」に出向き、女将さんとともに「にしんそば」を頂くのも恒例だった。私はニシンはあまり好きではなかったけれど、松葉のにしんそばは別!芳醇で、出汁の旨味の効いたつゆに、ニシンの甘露煮がよく合うのだ。ニシンはホロホロで、噛むと「じゅわっ」と旨味と甘みが口の中に広がる。蕎麦は適度にこしがあり、つゆによく絡むので、最後まで美味しい。もちろん、つゆは全て飲み干していた。一口たりとも残したくない、そんな風に思わせる松葉のにしんそば。私が今でも「うどんより断然蕎麦!」なのは、松葉のにしんそばの影響だと思っている。

この贅沢過ぎる「特別なおでかけ」は、私が高校に入る前になくなったと記憶している。女将さんがお茶屋を引退してしまったからだ。

自分に子どもが生まれたとき、いろいろな思い出を作ろうとあちこち出かけたけれど、私が経験したような「風光明媚」「豪華絢爛」なことは経験させてやれなかった。子供達に「風光明媚と豪華絢爛で思い出すことは?」と聞いても、何も思い浮かばないんじゃないだろうか?残念過ぎる。

「都をどりの大ざらえ」に関連した思い出は、今も鮮やかに思い出せることばかりだ。女将さんの住んでいた京町屋の玄関を開けるときの「カラカラ~」という音や、土間に漂うヒヤリとした清々しい空気感、女将さんの美しい所作の数々。

こんな美しい思い出を今も鮮やかに思い出せるなんて、贅沢だな。

と、改めて感謝することが、今の私のささやかな春行事になっている。




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