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アフターヌーンティーの教訓

若い頃、「いつかやってみたい」と憧れの気持ちを抱いていたことがいくつかある。その中の一つが「アフターヌーンティー」。花の仕事に少し携わっていたとき、イングリッシュガーデンのことを知り、そこからアフターヌーンティーにたどり着いたように記憶している。

その時はまだ20代で、ホテルでお茶とか、想像もつかない庶民だったから、憧れで終わったのだけど。でも、いつかあんな風に優雅にお茶をしながら、いろんな種類のスイーツやサンドウィッチを食べたい!と思っていた。

年を重ねるにつれ、アフターヌーンティーのお誘いを何度かいただいた。だけど、なぜか行かなかった。でも、いつか絶対、と思ってはいた。

そしたら、ある日持病が発覚した。といっても、治療も手術も要らないレベルの生活習慣病なので、大したことはない。

のだけど。健康を維持するには、食事と運動に人一倍気を配らないといけないことを医師から宣告された。つまり、人一倍食事と運動に気を使って、はじめて健康が維持できるのだ。特に、糖質量と摂取カロリーには、気を配らないといけない。

この日から、私は蕎麦以外の麺類、パスタ、パン、インスタント食品を口にしなくなった。そして、大好きだったスイーツも食べるのをやめた。

数値が安定したころ、医師が「心のための食事をする日」を月イチで設け、その日だけはスイーツを食べるというようにしてはどうか、と提案してくれた。そこから、「月イチスイーツデー」を取り入れたんだけど……。

あろうことか、私はスイーツが食べられなくなってしまった。おそらく、味覚が変わってしまったんだろう。砂糖の甘さが鋭くて、食べられない。それに、胃もたれ。私はもともと胃腸が弱いのだけど、さらに弱くなったらしい。

というわけで。アフターヌーンティーは一生無理な体になってしまった……。

なんだ、大したことないことじゃないかと思う人もいるだろうし、実際、大したことがないんだけどね。でも、イベントとかで「アフターヌーンティー」と書いてあると、軒並みパスするハメになった。行ってもほぼ食べられないんだもの。行く意味がない。食べないと、周りに気を使わしてしまうし。ああ、悲しい。

パスするたびに、私はフツフツと苛立つ。なぜ健康な時に行かなかったのだろう?行くチャンスはいくらでもあったのに、と。そんな思いが、ぐるぐると頭の中を巡る。私はあまり後ろを振り返らないタイプだけど、これは別なようで、定期的にフツフツしている。

仕事の環境が変わったのだけど、それにようやく慣れてきた。私の仕事は、PCがあれば完結するため、一人でモクモクと仕事をすることになる。

一人で仕事をするのは、孤独だけど、とても楽だ。周りを気にしなくていいし、気にされることもない。私はもともと集団が苦手なので、ストレスフリーでちょうどいい。

でも、このまま行ったら、コミュニケーションがどんなものか、忘れてしまいそう。それに、社会に居場所を作らないといけない。このままじゃ、どこにも居場所がないじゃないか。焦る。

と、思うも、、なんやかんや、不安になるのだ。合わない人がいたらどうしよう。嫌われたらどうしよう。そんな風に、まだ何も起こっていないのに、心配してしまう。

そんな感じで動けずにいたのだが、ある日、アフターヌーンティーの小さなモヤモヤが再燃して、ハッとしたのだ。そして思った。いつまでも今のように動けるとは限らない、と。

ああ、アフターヌーンティーの小さなモヤモヤは、このためにあるのかも?というわけで、アフターヌーンティーの教訓を活かして、サクサク動こうと思う。がんばれ、自分!



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