必要と不必要をわけるとき


この記事は、
わたしのタイミングで下書きに戻します。

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苦しみの渦中にいると

本当に望むことがわかる

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孤立すると、一人になると

本当に必要な人がわかる

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わたしは、それを5年間に

とことん体感させられた。

自ら望んだわけではない。

結果、わたしは一人になった。

子どもたちはいたけれど
子どもたちとも
バラバラになりそうになった。

詳しく書くと
上の子をショートステイするように
言われていた。

実際に何日か預けさせるよう
指示を受けて、預けていた。
(これが相当、苦しくて、胸が痛い心境だった)

わたしは暮らしていたいのに
唯一の生きる希望といられないなら

なにを糧に生きればいいのだろう

今まで多くのことに耐えてきた
たくさんのことを我慢してきた

でも、もともと我慢強い方だから
なんとか耐えていたんだ。

未来に希望を持つことと子どもたち
これがあれば、わたしは生きてられた

あるとき想像の世界まで奪われた
未来に希望を持つな、未来に希望を持たせるな
そんな発言をするな。

未来に希望を持つ方がかわいそう
叶わないし、できないんだから

持たせない方がいい
と言われた。

そのとき、もはや反抗しても
無駄なのはわかっていたので
素直に従った。

だけど、希望を持てなくなった
想像することも絵を描くことも
できなくなったわたしは

みるみる精神的に病んでいった。

だんだんとルールや
言いつけや約束や縛りがキツくなった上に
罵声を浴びせられたり
できない、できないと言われ続け

それでも笑っていたら
ヘラヘラするな、気持ち悪い、
笑うと深刻に見えない
真剣に話さないとあなたの状況は伝わらない

そう言われたこともあった

なにも言われても耐えられたけど

子どものことを悪く言われるのは
許せなかった

あなたは、子どもといると
あなたがダメになる

これが一番きつかった

なぜ、わたしと子どもたちのことまで
引き離そうとするのか
意味がわからなかった。

どうして子どもたちと
暮らすかどうか
自分が決められないのか、、、

自分の能力で生活が
できるかできないかを

他人に評価されないといけないのか

できると思っていたことが
なぜ奪われていくのか

わからなかった

友達に連絡することすら
許されなかった時期がある

わたしの意志ではなく
別の人の意志で生きていた。

いまだになぜそうなってしまったのか?
5年の月日をかけなくても
抜け出せ日はタイミングがあったのか?

と思う時もあるけど

それはわからない。

だけど、

子どもたちという存在

自分を大切って思ってくれている存在

そして、希望や目標

こんなふうに生きたいという気持ち

これがないと

人はこんなふうに病んだり
疲弊したりして

本来の本質の能力ではなく
全く別人のような人になってしまう

という体験をしました。

そこから這い出したとき

抜け出した時

わたしは安心して
連絡が取れる人に連絡しました。

また会いたいと思う人、
話したいなって思う人に連絡しました。

ずっと会いたかった人や
この人好きだな、大好きだなって
思ってた人たち。

いつか抜け出したら
連絡したいって思ってた人たち。

連絡したけど、繋がれなかった人や
途切れた人や拒否された人
会えなかった人もいたけど。

その中でもお互いに大切って
思える人がご縁が繋がってると感じています。

また、今、

2024年
風の時代の
辰、龍🐉の年

にむけて

篩ではなく

自分自身で
必要と不必要をわけていく時期なのだなと

夢や現象で感じています。

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