水たまりの女性

ぽつんとたたずむ私を拾った、わたし

ぽつんとたたずむ女の子Aがいた。
xyz座標の原点に、ぽつんと1人、遠いところを見て寂しげな女の子Aが。
その女の子Aを、同じシルエットをした女の子A’が、見つけた。
遥かかなた、遠いところにいる女の子A'が、Aという存在を見つけたのだ。

ぽつん、の私を拾った、わたし。

見た目はそっくり、何も違うところが見当たらないAとA'。
決定的に違うのは、彼女の心の奥深くにある泉の色だった。

実は今までにA'はAの存在に何度も気づいていた。
でも、見て見ぬふりをした。
「そんな私、わたしじゃないもん」と言わんばかりに。



今回、おそらく私の記憶史上初めてA'がAに歩み寄ろうとした。
A'がAの、心の奥底にある泉に手を伸ばそうとした。
ぽつんとたたずむ私を拾った、わたし。
2019年最後はこの ”ことのはあそび” で締めくくろうと思う。

私の言葉で、わたしが振り向いた

今までは私のことを見向きもしなかった。
存在はわかっていた。
やけど、私のことを薄いレースでぐるぐる巻きにして、わたしからもほかの人からも見えないように、ずっとずっと隠してきた。
なぜかって?
弱い私と向き合いたくなかったから。
そんな私と向き合わずとも、
ほんの少し頑張れば乗り越えられる壁の前にしか立たなかったから。

でも、そうはいかなくなった。
次のステップに行くには、「わたし」は「私」とちゃんと目を見て対話をしなければ進めない位置まで、この1年間ですごろくのマスを進めたのだ。
それに、わかっていた。いや、わかってきた。
どれだけ薄いレースでぐるぐる巻きにしても、
見える人には見えているんだよ、ということを。

でも、でもね。
わかっていても、向き合いたいのにちゃんと向き合えないわたしがいた。
何回も苦しんだ。なんでこんなに苦しいのかもよくわかんなかった。
そのたびに、私の周りの人が助けてくれた。
わちゃわちゃ、じたばたもがいている私に、そっと寄り添ってくれた。
わたしが顔を向けるべき方角を、導いてくれた。
今、わたしは私のほうへと少しずつ歩み寄っている。

ちゃんと見つめあった、わたしと私

以下、わたしが私に気づいた日の日記、全文。
漢字表記もひらがな表記もそのまんま。
泣きながら電車を待つホームで書いたので、
めちゃくちゃな日本語やし、真意ではないこともあるけどそのまんま。
(私自身も理解できない部分があったけど、それもそのまんま。)

11/28
らしくないけど、ここに日記。
じゃないと、今日の気づきや感情を忘れてしまって、
せっかくのこの対峙から逃げてしまうから。
言葉に書き記して、しっかり焼いて目に付けようと思う。

「無知の知」の状態を今日やっと、把握した。
私は、何も知らない。何もわかっていない。
知らないこと、わかっていないことをわかっていたかのように振る舞う。
見えっぱりで、ちょっと褒められて天狗になって。
頭でっかちで。
大きく見せようと必死で。
等身大のつもりが等身大じゃなくて背のびしてて、
見せることで私の存在を私自身に「見せて」きた。
周りの人たちは、そんな私を表向き上はすごいというけれど、
気づいている人は気づいている。
「あなたじゃない と。私の前のあなたは。」と。
謙虚じゃない。おうへいで。
自分を中心にまわっているかのようで。
他人の評価だなんて、なんて甚だしい。

じゃあ、今日から何をする?何ができる?
まずは声を大にして言おう。
「今まで大きく見せていたけど、それはほんとうの私ではない」と。
本当の私は、物事を抽象でしかとらえられなくて、
自分の責任を自分のせいにできなくて、言い訳かんがえてて、
大事な人にも隠し事があって、誠実じゃない私がいて、
今日、やっと、無知で大きく見せていた恥ずかしい私と出会いました。
今まで出会った人たち全て、
この私が私と向き合うために出会ってきたkey person.
ありがとう。

できないことは、できないと言う。
多く見積もらない、できることだけを言う。
しばらく、先に言うのは少しやめ。
でも、やることは決まってる。

本を、読んで、教養を、身に付ける。
ふわふわした、スッカラカンの私の中身に、肉付けを行う。

これが急務、そして大切なこと。
私という人間の奥底をみせていけるように、なる。

このままの文章、いつかupする。
大きくみせない。

日記。

ひっぱりあって、はなれあって

わたしと私。女の子Aと女の子A'。
まだ完全に仲良くなったわけではない。
これからもそっぽを向くときがあるやろうし、
そのたびにじたばたすると思う。
やけど、今回の気づきは今まで生きてきた中で割かし最上級に大きかった。
「私をわたしが本当の意味で許せた瞬間」な気がする。

来年の大晦日、
今日のわたしよりもさらに私に近づけているわたしになるために、
わたしにはなかった血と肉を身に付けながら、
また一歩ずつ私への毎日を歩くよ。


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2019年のことのはあそび、おわり。
お読みいただきありがとうございました。
来年も、私の言葉で私らしく、つらつらと。

どうぞよろしくお願いいたします。⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*
そして、皆さま良いお年を。

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