みため と なかみって、一緒?

10月下旬。
初めて髪の毛をブリーチしてピンクに染めた。

そして、11月中旬にはその髪をバッサリ切ってショートボブに。

今回私がショートスパンで髪型を変化させたのには2つの目的がある。
今日はそのお話を、幼いころから感じていた"空気感"や"常識"の話と交えながら、つらつらと綴ってみようかと思う。

1.持っていた、強い偏見を

一昔前の自分は、奇抜な髪色をしている人達に対してものすごく強い偏見を持っていた。髪色だけではなく、ノーマルではない髪型の人達にも同様の偏見を持っていた(私のいうノーマルでない髪型とは、例えば男性で髪を束ねている人や、女性で坊主にしている人のことを指す)。
理由の一つとして、幼いころの記憶がある。

あれは小学生の時だっただろうか。街中を母と弟と歩いているとき、何色だったか忘れたがとても奇抜な髪色をしたお兄さんとすれ違った。
好奇心旺盛な幼子だった私は母にこう聞いた。
「ねえねえ、なんであのお兄さんの髪はあんな色なん?」
その時に、母はスッと私をそのお兄さんから遠ざけるかのようなしぐさをとった。そして同時にこう言った(記憶がある)。
「いいからこっちおいで!」

何故だろう。
母の「いいからこっちおいで!」の一言が、
何故だか私には怒っているかのように聞こえた。

「なあなあ、なんであんな色してはるん?」
「やんちゃしてはる人たちはね、髪色遊びはるんやで」
「なんでやんちゃしてはったら髪色染めるん?」
「…。とにかく!怖いお兄さんには近づいたらあかんよ!」

「あ、悪いことなんや」と感じたと同時に、「やったらあかんことを堂々としてはるお兄さん、なんかうらやましいな」と感じる私もいた。
それ以来、「髪色が派手な人は悪いことしてはる人」という、
話したことのない人に対しても根拠のないレッテルを張るようになった。

2.気づく、愚かなことに

気づけば中学高校とピュアな考えが何者にも染められることなく、
そのまま私は大学に入学した。

すると、まあびっくり。
めっちゃ明るい茶髪の人もいれば、金や銀といったキラキラ色(後にブリーチonカラーということを知る)の人もごくたまにいて、さらには「どこに剃り込みいれてるん?!」みたいな人も学祭前には現れた(この言い方自体が偏見だらけ)。

この中にはもちろん私が仲良くしている同期や先輩後輩もいた。
彼ら彼女らの性格や普段の様子を知っていたので、一緒に行動することに対して特に変な抵抗も感じなかった。
その時にふと気づいた。
「あれ。今までみためや肩書きだけで人のことを判断してきたこと、多かったかもしれんのとちゃう?私。」
と。
振り返ってみれば、その人の見なりや経歴、肩書きに目が行きがちで、
なぜその人がその見なりや経歴、肩書きをもつことになったのかの背景までは強く意識することがなかった。
考えたことがあったとしても、そこで得られた考えは優先順位的にかなり下だったので、おそらくスルーしていたかと思う。

なんて愚かなことよ。
私はいろんな人達と繋がる機会を自ら失う行為をしている。
めちゃくちゃ凝り固まってるやん。

大学生になって、
やっとそのことに本当の意味で気が付いたような気がした。

3.やってみる、自身を使って


私も、髪を派手な色に、染めてみたい。
ずっと、心の中に思い続けてきた。

髪を自己表現のツールとして活用している人たちが素直に羨ましかった。
私も「私」という存在をこの世に表現するツールの一つとして
自身の体の一部である「髪」を用いて私という人間を表現してみたかった。
奇抜な髪色のお兄さんを見た時以来、いいな~うらやましいな~の感情はずっとあった。

きっと羨ましく感じたのは、誰かに「だめ!あかん!」って言われたことほどやりたくなる子どもの気持ちと同じ現象が私の心の中で起きていたからだ。母から「あかんこと」というレッテルを貼られている行為を娘である私がすることによって、母がどんなリアクションを取るのかも見てみたかったし、私自身の心情の変化も見てみたかった。

そして、私のことをリアルやオンライン(主にTwitter)でご存知の方にとって、どのような印象を与えるのだろうか、ということもとても気になっていた。私自身が見た目や経歴、肩書きで人のことを判断しがちだった過去をもっているので、じゃあ次は私自身が判断される側に回ってみようと思った。

てなわけで、いざ実践。

4.感じる、世の中の空気感を

毛先が真っピンクの私を見た人々の反応は主に3種にわけられる。

髪色ピンク

A群「わ!!!(゚д゚)…そんなんするキャラやっけ?!」
B群「わ!!!(゚д゚)…めっちゃ似合ってるやん!」
C群「わ!!!(゚д゚)…どうしたん…?(本気で心配する声)」

全群共通なのは、「わ!!!(゚д゚)…」の反応。
注目なのが、末尾の「…」だ。
次にどの言葉を繰り出そうかきっと悩んでいたことであろう。

意外にもB群の回答が7割を占めていた(当事者の感覚)。
これには正直驚いたとともに感動した。
「あ、受け入れてもらえたんや」と。
もっとびびられるかな~けちょんけちょんに言われるかな~って思ってたけど、全然そんなことはなく、むしろ私の”ちょっと頭飛んでるキャラ”にあってたみたいで歓迎された(ように感じた)。
周りの皆さんに感謝ですありがとうございます。

A群C群の反応は主に同期の一部と後輩に多かった。
まあそりゃ先輩がいきなりこんなことしだしたら驚くよね。
学内ではまあまあ真面目部類に入るので、そのイメージが強い人やと尚更。
当たり前の反応です。笑

一か月後。
真っピンクの毛先をばっさり切り落とした私を見た人々の反応はこちら。

画像2

「わ!!!(゚д゚)…切っちゃったんや!もったいない!」

そう、ありがたいことにこの反応が多かった。
どうやら真っピンクの毛先を切ることはもったいないことだったみたいだ。

5.空気感、常識、そして私。

「空気を読め」
「常識なんやから」

この言葉たちに対して物心ついたときから私は違和感を覚えていた。
そして、この言葉たちに問いを投げかけたい。

「空気の読みあいっこで無駄なエネルギーを使わへんの?」
「常識って、誰にとっての常識なん?」

白黒はっきり言うたらいいやん、って思ってた。
本音と建前で悩むぐらいなら「こう思ってるんやけど」っていうちゃったらいいやんって思ってた。
これは今でもそう変わっていない。
(時にはグレーの方が良い、ということをこの1年で習得したが。)

でもね、今回改めて感じた。
みんな、誰かの常識に縛られてるし、私もその一人である。
空気を読みあっているし、私もなんだかんだ読んでいるとこがある。

だってさ、よくよく考えてみたら、
毛先を真っピンクに染めたかったのは私の意思なので、
別に誰から何を言われようが気にせんと好きにやればいい話であって。
やけど、私は周りの人からの評価を気にしていたためなかなか実行に踏み切れなかったのよね。
そう、「空気を読もうとしていた」。
そして、実行はしたものの「誰かの常識から外れていたら怖かった」。
髪を染める目的の一つに
・周りの人の反応を観察したかったから
に設定することによって、私が私に許可を出したんだろな~と思う。
実は一番この行動に対して許していなかったのは誰でもなくこの私だったかもね、と。
その私に気づけたのはまあまあおもろかったかな。

みためとなかみって、一緒じゃないんだよ。
みためでの判断は、今まであなたが出会ってきた記憶や知識の中で作られた「常識」でしかないんだよ、と幼かった当時の私に教えてあげたい。

おわりに

以上、髪を染めて切ったお話を3000字にわたって書き下ろしてみました。
我ながら、長いわ。笑
やけど、素の私をそのまま表現できたのはよかったかな。
お読みいただきありがとうございました◎


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