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祖父と、祖母と、私の記憶

昨年、祖父が天国へ旅立った。

私の幼い頃の記憶には、
いつも側に祖父母がいた。

実家から坂道を登って歩いて行くと
母方の祖父母の家があった。

学期終わりには祖父母の家に行き
通知表を見せるのがルールだった。
笑顔で頑張ったねと褒める代わりに、
祖父は必ずお小遣いをくれた。

夏休みに3兄妹揃って泊まりに行くと、
遊園地や動物園の代わりに
高級鉄板料理屋に孫を連れ、
大人でも贅沢すぎる空間で
ステーキをご馳走してくれた。

ゴールデンウィーク、夏休み、お正月。
休みのたびに家族みんなで旅行に出かけ
様々な場所で美しい景色と共に、
家族の思い出を作ってくれた祖父。

その当時、私は祖父のことが少し恐かった。
どこにでもいる
「優しいおじいちゃん」ではなかったから。
不器用で頑固な人だったから、
孫のことは大好きだけど、
どう接したらいいのか分からなかったんだと
大人になってからようやく理解ができた。

そんな不器用な祖父は、
言葉や態度で表現できない分、
一緒に過ごす時間や経験を
沢山与えてくれたのかもしれない。
旅行が好きだった祖父は、
自分が見た景色や感じたことを
孫の心に残そうとしていたのかもしれない。

その証拠に、
幼少期の私が見た景色や、食べた物、
経験したことや、感じたことは
今でも時折自分の一部だと思う時がある。
それは写真で見た記憶なのか、
私が覚えている記憶なのか、
それとも祖父が残そうとした想いなのか。
たまにぼんやり考えたりする。

祖父に会えなかった長い月日。
中学、高校、大学…。
会いたいと思っていたけれど、
色んな事情があって会えなかった。
祖父の家の前をバスで通り過ぎる度に、
一瞬でもいいからと祖父の姿を探した。

最後に会ったのは2019年5月。
20年ぶりくらいだろうか。
兄妹揃って、懐かしい道を歩き
インターホンを鳴らした。

記憶の中で覚えていた玄関の扉を開けると、
あの時と変わらない祖父がそこにいた。
呼吸器を支えるためのボンベと管は付いていたが、
はっきり私たちのことを覚えていた。
ずっと会いたかった。
過ぎた時間を取り戻すことはできないけれど、
あの日あのタイミングで会えて良かったと思う。

2020年12月。
祖父は最期まで祖父らしく
別れの言葉を残さぬまま旅立った。

そして2021年1月。
年が明けて間もなくして
父方の祖母も天国へと旅立った。

少し離れた場所に住んでいた祖母。
家族みんなで帰省をするたびに
「よう帰ったな。沢山食べなぁ。」と、
高菜の油炒めやおはぎを振る舞ってくれた。
お腹いっぱいで箸が止まると
「遠慮せんでいい、食べなぁえ。」と
ご馳走をどんどんテーブルに運んできた。

季節ごとに旬の野菜を畑から収穫し
段ボールいっぱいに詰めて送ってくれた。
夏はナスやとうもろこし。冬は大根に白菜。
段ボールを開けた瞬間の匂いがいつも好きだった。 
父の好きな椎茸を沢山入れてくれていたことも
祖母なりの息子への愛情表現だったのだと思う。

そんな祖母は、老人ホームに入ってからも元気だった。
毎日牛乳を化粧水がわりにしていると自慢げに話し、
ツルツルのほっぺたを触らせてくれた。
いつも持ち歩いているというお気に入りの化粧品を、
ポーチから取り出して見せてくれたこともあった。

私のことを「べっぴんさん」と呼び
「可愛い」「美人」と私の顔を見つめながら
沢山褒めてくれた。
「あんたは愛嬌を大事にしなさい。
 怒ってばかりじゃダメ。」と
突然占い師のように言うこともあった。

そんな祖母も数年経つと、
少しずつ身体が小さくなっていき
みんなに会えて嬉しい、と
涙をこぼすことが増えた。
その度に私たち家族はぐっと涙を堪えて
私たちも会えて嬉しいよと言った。

別れ際にはぎゅっと手を握って
また会いにくるからね、元気でいてねと
頑張って笑顔で帰るようにしていた。

最後に会ったのは2020年1月。
大正から令和までの時代を生きた、
102歳のおばあちゃん。
強くて優しくて温かい人だった。

祖父と祖母。
いつか「その日」は来ると、
心のどこかで分かっていた。
だけどまたきっと会える、
そう願っていた矢先のことだった。
静かに、だけど突然に、
別れは立て続けに訪れた。

幼い頃の記憶の中で元気だった人たちと
もう会えないんだと思うと悲しい。

だけど2人は「命のバトン」を
孫である私に託してくれたんだと思うと、
強く生きなくては、と思えるし
私でバトンを止める訳にはいかないと
どこか使命感に駆られる。

まだ未来のことは分からないけれど、
もし私に将来子供ができて、孫ができたら、
その子や孫の記憶の中で、
大好きなお母さん、
元気なおばあちゃんでありたい。

私が歳をとって102歳まで生きたとして、
いつか「バトンを託す」その時が来ても、
子や孫に同じような気持ちを残せるような、
そんな生き方ができたらいいなぁと思った。

当たり前のようで限りある毎日。
いつかはやってくる「その日」を
大切な人との別れから痛感する。

1週間くらい平気な振りをして
日常を過ごしたものの、
私の心は沈んでいた。
その悲しみに蓋をしなくていい。
2人が生きていた時のことを
私の記憶として留めるために
2人と私が過ごした時間を、
2人と私の思い出を、
どうしてもここに記録しておきたかった。

おじいちゃん、おばあちゃん。
沢山の愛情をありがとう。
大人になっても、
心の拠り所となる温もりを
与えてくれてありがとう。
コロナが落ち着いたら、
家族みんなで手を合わせに行くからね。

また会える日まで。

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