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無駄という名の余白

「オンラインは良くも悪くも無駄がないんです。」

これは、自社で開催した採用イベントに来てくれた学生の言葉。
同じコンテンツをオンラインでも開催しているのにも関わらず、
この学生は、あえてオフィス来社を選び直接会いに来てくれた。
コロナという見えないリスクと不安もある中で、
貴重なお金と時間とエネルギーをかけて。
「今日は良くここまで来てくれたね」と伝えた私に
男子学生は冒頭のように話してくれた。

「良くも悪くも、無駄がない。」

1ヶ月も前のことなのに、
私の頭の中には、ずっとこの言葉が残っている。

2020年になって、誰も予想していなかった生活が始まった。
当たり前が、当たり前でなくなることを
全世界の人々が、身を持って感じる1年だった。

コロナによって最も変わったのが、コミュニケーション。
人と人との関わり合いは、この1年で大きく変化した。
PC画面越しのコミュニケーションが増え、
効率重視の働き方にシフトした。

男子学生の言う通り、
オンラインでのコミュニケーションは
限りなく無駄がない。

限られた時間で、話すべきことを話し
決めるべきことを決める。
1人の発言に他の全員が耳を傾け、
発言したい人は挙手するアイコンを押したり
チャット機能で意見を述べる。
「無駄」が全く無い。

だけど、本当にこれで良いのだろうか?
私たちのコミュニケーションから、
「無駄」を奪って良いのだろうか。
バーチャル会議室を退室した瞬間
どこか少し寂しい気持ちになる自分がいた。

もしも私が男子学生だったら、
私もあえて「無駄」を選ぶと思う。

この道で合ってるのかな?と不安な気持ちで
Google マップで検索しながら歩く道のり。
ソワソワしながら会場に入り、イベント開始を待つ空間。
たまたま隣に座った学生と、他愛もない会話をする時間。
全く知らない人なのに、共通項を見つけて
一気に心の距離が縮まる雑談。

他の人の話を遮ったり、笑い声をあげたり、
議題とは全く関係のない話をして脱線したり。
チャットなんかに言葉を書き込まなくても、
独り言のように呟けば、近くに座る誰かが反応してくれたり。
交通費も、時間も、エネルギーも無駄だらけなのだが
そこには確実に、効率よりも大切な何かがある。

コミュニケーションは、無駄だらけで良い。
無駄こそ、心と心を通わせるための余白なんだと思う。
その余白が当たり前のようにあった
過去になってしまった毎日が懐かしく感じる。

日常からどんなに無駄がなくなったとしても、
私は、男子学生のように無駄を楽しめる人でありたい。
無駄から生まれる余白を味わえる人でありたい。
そんな心の余裕をちゃんと持ち合わせていたい。

最近忙しくて全く心に余裕のない自分へ、
戒めの言葉としてnoteを残す。

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