「聡子の帰国」(小林かをるさん)を力いっぱい読んでみた(② まだ書いてる)
というわけで、とりあえずパーツに分けてみた。
一年前の春(形式:主人公の回想)
志村(旧姓・小林)聡子(36)、志村孝介(?)、理一郎(3)、小林熊次郎(70~)
① 姉・聡子の渡米にまつわるあれこれ(事実)
一年前の盆の中日(形式:主人公の回想)
小林?(母)()、「私」=篠田(旧姓・小林)かをる(~35)
② 残された家族の現状(伝聞の伝聞)
現在(おそらく春)(進行形で起こっている事実)
③ 「私」、夫と共に羽田空港に聡子を迎えに。聡子、「私」の夫にお使いを要請。
志村(旧姓・小林)聡子(37?)、篠田(旧姓・小林)かをる(~36?)、篠田昭(?)、以下名前のみ 増渕富雄、高田、小林熊次郎(71~)、小林?(母、?)、ルームメイト
現在(現実?幻??)
⑤ (隣の席で泣き続ける娘とその親)
娘(20くらい)、父、母
⑥ (「私」の過去回想)
篠田(旧姓・小林)かをる(?)
聡子がまさに帰国した日の出来事が中核になって、回想がサンドイッチする構成ですので、とりあえず回想はすべて現在を修飾するパーツと仮定、現在に絞って読み直すと(そして万札ポイで聡子への怒りが再燃する)、気になってくるのが最初の一行です。
私は夫の篠田昭を伴って羽田に出迎えた。
・・・「を」伴って・・・?「に」伴われて、だとか、「と」共に、ではなくて?
【伴う】 を辞書で引くと
2 ㋐一緒に連れていく。引き連れる。「妹を―・って外出する」
強めの能動性があります。姉・聡子に頼まれたのか、父親・母親に頼まれたのか、あるいは自発的なのか、前後関係は分かりませんが、お迎えの主体は、読む限り「私」です。しかし、実際に聡子の相手をするのは夫であって、「私」はきょろきょろしたり回想したりしているだけ・・・だけ・・・。
え、ちょっとひどくない・・・?
私が昭の立場だったと仮定すると、連れ合いの兄のお迎えに連れていかれたら、ペラッペラしゃべる兄の相手を全部丸投げされた上、剥き身の万札をポイ渡しされて、名前しか知らない増渕富雄(上司)さん宛の商品券を買って渡しとけ、とか言われるの?向こうで全部奢られたってことは、受け取る気ないんじゃない?初対面の上司筋なひとと「あれは奢ったんだよ、受け取れない(しつこいね)」「姉が無事に過ごせたのは偏にあなたさまのおかげです、些少ですが・・・」みたいな会話するの?しかもノーギャラ(口頭でのお礼もふくむ)で??で、こんなところに連れて来た連れ合いは、なんだかぼんやりしてるだけでだんまり???
万死に値しませんか。一応大人なのでその場は我慢しますが(昭さんみたいにだ)、別れた後に家庭内バトルですよね。ばかにするのもいい加減にしろって話ですよ。さぁキリキリ釈明してもらおうか。
しかも「低い背から突出したようなスカーフ」「まだ熱いコーヒーをごくごく」等々、「私」が聡子に対して決してよい感情を抱いていないと受け取れる形容詞が散見されますし、なにより聡子の言動について「なぜ」「どうした」と疑問を呈する様子もない。話し出す前からそういう描写されてたってことは、アメリカでなんだか人格魔改造されてエキセントリックになったわけではなく、聡子さんってたぶんずっと前からこんなひとなんですよね、ある程度。そして、「私」はそれを知ってたわけだ。それを踏まえて、もう一度。
私は夫の篠田昭を伴って羽田に出迎えた。
この一文の邪悪さ、半端ないですよね、ええ。聡子は確かに大変嫌なやつですよ。ちょっといい加減にしろ、ですよ。ですが、義姉がナチュラルボーンエキセントリックであることと、それを知ってた連れ合いに人身御供にされることとどちらが許せないかと言えば、人にもよるでしょうが、私は断然後者です。そう考えると、③で最も悪いのは誰か、というと・・・
「私」ですよ。少なくとも私はそう判断します。