女性性、少女性、生まれ変わっても女の子


女性性とか少女性について書こうと思ったのは、それが長年の考え事であるからだ。
考えているというより、考えさせられているという感覚のほうが近い。それは社会にそうさせられているといえばそうなのだけれども、「生まれ変わるなら女の子がいい」と言うときの主な理由となるのもそのあたりではないかとも思う。

わたしは生まれ変わっても女になりたい。美しく可憐な夢との追いかけっこを生涯できるから。
 


物心ついたとき、わたしは美しくなかった。何と比べてかというと、姉と比べて美しくなかった。同じ遺伝子を持った姉のほうが、わたしよりも少しだけ多く、可憐さと愛らしさと涼やかさを持ち合わせていた。それが美しさに関する最初の記憶だ。

何故なのかはわからなくても、かわいくあるべきだと生まれたときから思っていた。そしてわたしは自分の容姿に関していつも少しだけ不満足だった。何かが軽やかじゃない感じ。

小学5年生のとき、急に目が悪くなった。
眼鏡をかけなければならなくなった。
「『眼鏡』という物体を起きている間じゅうずっと、顔の前にぶら下げていなければならない」。
その事実を受け止めたとき、自分でも驚くほど絶望し、しばらく泣いた。
今思うと、それも美醜に関する呪いにかかった結果だったのだと思う。眼鏡をかければよりダサくなる、その単純なことに絶望してわたしは泣いたのだ。

そこからコンタクトを使い始めるまでの5年間は、自分のことを美しいと思った記憶がない。只々肩身が狭い、という感覚の記憶だけがある。醜い者は大手を振って世界を歩けない。

高校に入った瞬間、眼鏡を外した瞬間、身体が軽くなった感覚、そのすがすがしい息のしやすさは、今でも鮮明に覚えている。



このあたりまで、正確には二十歳くらいまで、わたしは「少女」というカテゴリーの中の美しさを求めていた。
しかしある時期から、いままでの美しさへの頑張りが何故か空回りするようになってきた感覚があり、それがあとから考えれば少女性から女性性への移行ということなのだった。

いままでかわいいと言われたはずの自分の容姿がなんだか言うことを聞かなくなり、ちぐはぐし始めた。この時期の写真を見ると正直不細工すぎてつらい。
少女としてかわいくあることを卒業して女性として綺麗になるには、過渡期が必要だった。

試行錯誤を経て学んだことだが、少女はかわいく「存在」していればよいが、女性は美しさを「自ら選択」しなければならない、というような身体感覚がある。
ある年齢から、天然の素材の美しさよりも、選び取り身につけたものが力を発揮するようになるのだ。



というようなことを二十数年毎日鏡を見る度写真を見る度、クラスメイトを見る度テレビの女優を見る度、毎瞬間思い出させられてきたのだ。

自分の姿を見る度、無意識に美醜の判定をしている自分がいる。呪いだ。定期的に、自分の顔見るの飽きたな、と思う日がある。

しかしだからというか、この戦線を闘い抜いてきた自負のようなものが、意地のようなものがある。この尺度の世界に生まれてきたからには、精一杯ここでやってやるよ、というような。
そんなに頑張ってつらいならやめれば?と言われたとして、そういう問題ではないのだ。

わたしの周りには表現を志す人が多くいて、その人たちの作品が、まさにわたしの考えていたことだ、と思うことがある。そんなとき、闘っているのは一人じゃないんだと救われる。わたしもそうやって誰かの救済になれればとも思う。それぞれの闘い方で、この戦線を生き延びていくのだ。

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