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かなしみの発露

どうしてオーガズムを迎えるとかなしさがこみ上げてきて泣いてしまうのだろう、

その相関はよくわからないけれど、オーガズムを迎えるときには心の閉じていた扉が否応なく開け放たれて無防備になる、隠れていた一番奥底の部屋まで外気にさらされるという感覚になる。

自分の中には根源的なかなしみみたいなものが常に存在していて、それが癒しきれていないときにそれが発露すると感じる。
例えば心から信頼するパートナーに心をすべて委ねられているときなら、かなしみが住んでいる心の一番奥底の扉が開け放たれても、かなしみがかなしみとして表出することはなくて、それが成仏するというか、愛されているから大丈夫だ、という絶対的安心によって幸せに昇華するというような感覚をいつも感じている。

そのようにかなしみを引っ張り出すような行為は、
そのかなしみの存在を認めてあげるという点ではいいけれど、あまり良い感情の掘りおこしかたではないなと感じる。自分の中にいるちいさな泣いているこどもを癒して泣きやませてあげなければ、と思う。

今までその役割をかなりパートナーに依っていたと思うのだが、もちろんそれも素晴らしく尊いことなのだが、自分でできるようになるべきなのだろうかとも思う。が、まだ今のわたしにはわからない。

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