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さわれる思い出と電子書籍

最愛の恋人からの初めての誕生日プレゼントは何?と共通の知人によく聞かれたが、彼がくれたのはKindle端末だった。

その思ったよりずっと実用的な贈り物との距離感は、最初こそ戸惑ったものだが、アマゾンプライムスチューデントに加入しているわたしとは相性が良く、殊に風邪を引いた暇な病床で横になったまま次々と作品を購入しては読めるというのが良かった。

7年が経った。

今年で31歳になるわたしだが、ここ数年とんと読書ができていなかった。

脳をTwitterに侵されているのは前提として、適応障害で集中力が弱っているのもあるのか、長い文章が読めない。

そんな中、友人の誘いでブックカフェに行った。
古本で有名なその街にせっかく足を運んだのだからと、久々に、慎重に、自転車の乗り方を思い出すように、びっしりと本の並ぶ本棚に目を走らせる。

そこには、わたしの思い出が思っていたよりもたくさん、星座のように、旅人を導く目印のように、散らばっていたのだった。

これは高校生のときに本屋で偶然手に取った小説。
ああ、この作者の小説は面白かったな、短編も出ているのか。
これは、吹奏楽部時代に自分と重ねて読んだ吹奏楽小説。

わたしはほぼ小説しか読んでこなかったが、それでも、まだ知っている小説たちが星座を構えてそこに待っていてくれている。
そしてそれを踏み台にまた新しい世界に手を出せそうな予感がして、見覚えのある喜びをふたたび思い出していた。

ああ、また読める。

本は、そこに物質として、さわれる思い出として存在してくれることが尊い。
五感とともに一喜一憂した思い出は、やっぱり紙の本が圧倒的で、わたしはやっぱり紙が好きかもしれないな。

新しい予感とともに久々に買った本の重みが心地良い。

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