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物語はちと不安定。

2年前、私は独房にぶち込まれた。精神科の閉鎖病棟。

当時あまりの酷い状態に、先生達が何人か集まり、久しぶりにこんな重度なの見たな〜と苦笑いしていた。(後に回復が早かったので持病と重なっていたのでは、、と言われた)
先生は言った。

ね、個室で少しゆっくり休みましょう^_^

そして家族が承諾し、晴れて保護入院となり、目まぐるしい検査が行われた。
検査が終わり、ここでゆっくり休みましょうと、案内された部屋はコンクリートの無機質な、暗い部屋だった。

だ、騙された、、、!!!!

鉄の扉がガチャンと閉まると私は絶望に打ちひしがれた。
(まあ個室は個室だけど、、)

そこにはベッドとトイレがあり、トイレットペーパーは、チラシで折った入れ物にいくつか入っていた。

凄く高い天井の凄く高い場所に、曇りガラスの採光用の窓があり、もちろん開かない。

ベッドの柵は全て撤去された。
他に部屋にあるもの、、といえば掛け時計くらいだった。
後に知ったのだけれど、あの部屋には監視カメラが設置されていた。

一日中する事もなくずっと時計を見ていた。
カチッカチッと部屋に鳴り響いていた。

一日がとてつもなく、信じられない程に長く感じた。

隣の独房からは、ひぃぃ!きゃあああ!ドンドンドン!と叫びながら鉄の扉を叩いている音が聞こえる。

私も独房での監禁生活に気が狂いそうになり、同じ事をしたい衝動に駆られたけれど、独房生活が長引くと思い、うなされながらもベッドの上で耐えていた。

鬼の監禁生活も3日程で終わり(トラウマ)大部屋に移されると、それはそれで同じ病室の狂ってる人に絡まれたりで本当にしんどかった。(お前もな)

みんなが集まるご飯の時間はいつも、「やばいやつばっかりじゃん。いや私もか、私もか、、。」と心の中で何度も呟いていた。

1ヶ月過ごしてみると、優しくて良い人も多いなと感じた。

優しいが故に病んじゃうんだろうな。

入院中の受刑者生活はとにかく半端なかった。

一番びっくりしたのは、歯のフロスも預けなくてはならず、使い終わったらその糸も返すように言われる。

週に2回くらい?外に出られる時があり、売店でジュースを買える。(もちろん名前を書いて預ける)
その時はみんな2列に並んで監視下の元、買いに行く。

ありとあらゆる事に制限がかかり、管理され監視された。

テレホンカードを買えば電話をかける事を許されるので、独房を出てから1つだけある公衆電話から母に電話をした。
すでに泣いていたようで、震える声で、もしもし、、という声を聞いた時には胸が痛んだ。
我慢強すぎる母なのに、母は様々な心労が積み重なりその後すぐに倒れてしまった。
超絶親不孝ものだ、、。

日常のありがたさがこれでもかというくらい身に沁みた。

そんな日々の中で、幸運な事に良い出会いがあった。
その人達に出会った途端、みるみる症状が良くなり、なんとか1ヶ月で退院させてもらえた。

今どうしてるんだろう。
元気に過ごしてるといいな。

鳥籠みたいに閉鎖された環境にいたから、私は周りにうまくSOSを伝えられなかった。

精神科に行ったら終わり、と親も自分も思っていたから、ずっと我慢をし続けてしまった。

あの時死ななくて、死ねなくて、本当に本当に良かった。

SOSを出すって難しいけど、凄く大事な事だったんだなあと思う。
あの何かが加速していく感じ。

本当に自殺してしまう人は多分、もうそれを止められないんだと思う。
そして変な思い込みに捉われてしまうのかなと思う。
あくまで私が勝手に思う事ではあるけれど。

必要な我慢はもちろんするけれど、もう不必要な、理不尽な我慢をして身を滅ぼすような事は終わりにしたい。

まさか自分があちら側の世界に行くとは本当に思ってなかった。

苦しんでる人はどうか誰でもいいから、誰かにSOSを、なるべく多くの人に出してもらいたい。ありきたりすぎるけれど、、。

涙の数だけ強くなれーるよ
(なれねーい)
アスファルトに咲く花のーよおに
(いえーい)
見るもの全てに怯えないぃで
(ぷるぷるぷる)
明日は来るよ君のためにぃ
(重たいってー)

TOMORROW/岡本真夜

ふざけられるくらい元気になりました。
この度は本当に本当にご迷惑をおかけしました。


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