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「ことまち」名称誕生秘話

スカイツリーの足元には「ソラマチ」が出来ました。
隅田川との間の高架下、北十間川沿いには「ミズマチ」が出来ました。
じゃ、これから私たちが目指す「このまち」は、必然的に「〇〇(何)まち?」と問われます。
地元の方からのご意見には、「空(ソラ)」「水(ミズ)」ときたら、「陸」でしょ。「地」とか?
「地縁」という言葉から、例えば「えんまち」とか・・・・
そんなご意見も頂きましたが、ソラマチもミズマチも何もないところに新しく作ったまちですから、こことはちょっと違います。
じゃ、ここはどういう「まち」なのか?だったのか?これからどういう「まち」を目指すのか?
墨田区は、ものづくりのまちですから、「ものまち」・・・これは台東区南部エリアでのイベントで使われている言葉でした。そういえば牛嶋神社では「ものコト市」というイベントを毎年やっています(今年は隅田公園の改修工事で中止になりましたが)し、地元:業平四丁目には「コトモノミチ」というセメントプロデュースデザインさんが企画・運営しておられる職人の想いと産地の技術を伝え繋げる窓口店舗があります。ものづくりを前面に出したネーミングというのは幾つか存在しますが、「コト」を前面に、は見つかりません。
調べると、遠州の小京都とも称される静岡県周智郡森町「小國神社」の横丁に「小國ことまち横丁」【https://www.kotomachi.com/】という名前がありました。


ところで、そもそもここはどういうまちなのか?と先程問いましたが、改めて歴史を振り返りますと…
江戸時代、明暦の大火による町家の移転先とし隅田川の東側を埋め立て江戸の市街地過密化解消を図ることで、墨田区本所・深川方面の開発が進みました(⇒本所消防署の防災館、行ったことありますか!?)。埋立とともに運河も整備してますので、北十間川から南側は、江戸以前は、海でした。なので、新しく埋立られた土地の業平以南は道路も広く、整然と整備されています。その後浅草通りに路面電車が走り、通り沿いには商店街が形成されます。都営浅草線が京成線に乗り入れるのはS35年。
それでも業平という住所としては、その押上駅は京成橋の「向こう側」で、東武線の業平橋駅は北十間川の「向こう側」なので、都電がなくなってからは駅からちょっと離れた感もある場所ではありました。
時は流れて、H15年。半蔵門線が押上駅から東武線に接続するタイミングで、同年12月「在京6社新タワー推進プロジェクト」というデジタル化に伴う600Mの電波塔構想が立ち上がるところから、このまちの運命が変わります。
翌年、地元で誘致に向けた活動が起きて、H18年、スカイツリー誘致が決定。
元々、東武線の車両基地とコンクリート工場という非常に閉鎖的な、言葉は悪いですが暗くて埃っぽいだだっ広い土地に、年間数千万人を迎えるスカイツリーが来るのです。
【2008年1月公表の墨田区「新タワーによる地域活性化等調査報告書」
https://www.city.sumida.lg.jp/kuseijoho/sumida_info/houkokusyo/keizaihakyuu01.files/keizaihakyuu-g.pdfL】

H24年の完成までの工事期間中には、今まで来たことのないような随分と大勢の人達がこのまちに来て、地元は困ったようですが(お店側としては嬉しい悲鳴です)、思えば、そりゃあそうです。今まで純に地元密着・普段使いの商店街だった所に全く関係のない?人達がどわっとやってくるのですから。色んなお店が「来街者」への対応を余儀なくされて、大変賑わったようですが、果たしてスカイツリーが開業してからは、どうでしょう。
北十間川は新しくなりました。昔の姿を知っている方からすれば、驚きの美しさに変貌を遂げましたが、そこに架かる「おしなり橋」を渡って、スカイツリーから「こちら」側へ来られる方は・・・そんなには増えませんでした。その後、インバウンドという外国人観光客がまたどわっと押し寄せてくる訳ですが、それをガッチリ受け止めることまでには至れず、逆に個人経営の小商い商店は後継者不在等が理由で閉めてしまうケースも目立つようになり…思えばH15年からの20年間で、まちの活気はどうやらトーンダウンしてきているように思えます。特にこのスカイツリー開業後の10年は。
錦糸町からタワービュー通りを歩いて、スカイツリーを見ながら「こちら」まで来られる方は多くなったと思いますが、浅草通りまで出てきたら、そのままぐるっと回って折り返したり、スカイツリーの中に消えて行ったり、とこのまちで「滞留」することがないように感じてます。
良く考えると、分かりました。人は、そのまちに目的を持って来るのです。どこかの店に行く、とか、イベントがある、とか。目的がないと、そのまちはただの通過点であり、行き交う道路の一部と化します。「来街者」に「滞留」してもらえるまちとは?まちの活気を盛り上げるのは?年間3千万人が来場する巨大施設を至近に、考えようによっては大チャンスになるのではという思考回路で、考えたいと思いました。
話が大きく横道にそれましたので、戻します。
つい先程、なぜ人はそのまちに来るのか?と問い、それの答えをお店とかイベントとか言いましたが、では、ネットで殆ど住む時代に、わざわざ来るということについては、もっと深い理由があるはずです・・・今までも商店会の方々は色んなことを試行されてますが、都度のイベントは盛況に終えたとしても、来街は継続せず。繰り返すためには人の力もお金も必要です。もっとこのまちに眠る底力みたいなものがあるのではないか?
私たちは、それを「人」という答えに帰結しました。
人は人に会いに来る。目的は人。
人が出会うと、話をします。人と人が触れ合うことで、何らかの「こと」が起きる…
「もの」が売られたり、「もの」を作るアイデアの交換だったり、「人」が交流するイベントの企画だったり、それらは謂わば新しい価値や体験を生む人の営みそのものなのだと考えました。人が関わる様々な営みを「こと」と称せば、それが繋がっていくことで、また新しい「こと」が生まれる:新しい価値、体験の創造が繰り返され、そんな魅力が人を呼ぶ。
文字で書くと面倒な表現になりますが、それで気が付いたのです。「ものコト市」とか「コトモノミチ」とか、「コト」が使われている理由です。
「こと」をたくさん起こしていく「まち」。「こと」づくりに力を入れていく「まち」。
そうか、このまちの目指す姿は、これだと考えました。元より墨田区の方々は伝統的に新しく来られる方に受容性があって開放的で、まちにはそういう下町文化が根付いてます。
名前は同じなんですが、遠州・小國神社様の鳥居の横の憩いの場所とは、ちょっと違う。
そんな「ことまち」。ことまちプロジェクトと称し、私達は「こと」を生み出す企画についてこれからどんどん考え実践して参りたいと思いました。綺麗に美しくなった川や広く整備された道路であっても、これから「こと」の増産に繋がることならばどんどん積極的に提案をしていくことを心に決めたのであります。
⇒これからひとつひとつ、地元のみなさんへ色々ご提案をして参る所存です。でもそれ以上に皆様からもどんどんご提案を頂きたく思ってます。
 
そんな、プロジェクト名称:「ことまち」の誕生秘話でした。
以上、ご静読頂き有難うございました。

日本設計 古田(責)

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