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「ことまちプロジェクト」は、何をやって、どこを目指す?

第1弾で、「この3年間、構想を練って~」と申し上げておりますが、もう少し詳しくお話致しますと・・・日本設計の古田です。
更に数年遡ります。スカイツリーが出来て5年を経過、果たして件(くだん)の地域もそれと共に栄えて来ているのか?と思しきや、土地の売却情報が出ると短期回転単純売却型のデベロッパーがとっとと買って、あっと言う間にペンシル状のワンルームマンションのようなものを作って、分譲もしくは一棟毎投資家に売却、そして転売、という状況。気が付くと通りに面している1階部分は、エントランスとゴミ置き場と駐輪場、更には駐車場、が並んでいる・・・。通りが寂しくなってきているのはこのせいか!?
これは、マズい。当時東武不動産に△△という人物(当時役員、現在は退社し新天地で活躍中)がおりまして、「体を張って、買い止める」と幾つか物件の取得をしたところからストーリーが始まります。

その昔、東京駅の皇居側一帯は陸軍の練兵場で、三菱グループの創始者:岩崎弥太郎が政府の求めに応じその跡地を取得したとき:Q「あんな土地を買ってどうする気だ?」A「まあ竹でも植えて、虎でも飼うさ」と宣ったという逸話が残ってますが、果たして△△氏、どうするか?
⇒「T-home」という簡易宿所を編み出しました。
リノベーションか、それが無理なら一旦建物は解体して、暫定的な木造2階建で、主にインバウンド向けの宿泊施設で暫く投資分を回収していくというモデルです。その数、3年前で既に検討中案件も含めると10件を超えてました。
もとより1階部分に賑わいの店舗等を配することを考えれば一定規模の敷地が必要なので、取得した土地の隣、また隣と、「ご一緒に街の賑わいとなる建物の建設は如何でしょうか?」と声を掛け、一棟の規模をなるべく出来る限り大きくなるよう試みて参りつつも、一旦の暫定で「T-home」。同じようなこの方式で、更に飲食店やサービス店舗等々、「使っていない1階部分を、開放させて頂こう!」もっともっと設えて、そして「おしなり商店街」が往時の賑わいを取り戻すべく活気を復活させようと
私達は「30年後」の姿をビジュアライズして、そこからバックキャストしてのプランニング、スケジューリング、と構想を練り、いよいよ「では!!」というときに・・・・

「新型コロナ」の時代に相成りました。

忸怩たる思いの中、幾つかの「T-home」は売却という苦渋の決断をするに至ったものもありますが、私達はへこたれませんでした。
もう、単純なマンションの乱立はご免だ、と。一旦はマンションが計画されていた土地も、つい先日、東武不動産は買い取り戻したのであります。

業平二丁目某所

そう。東武不動産は本気なのであります。
浅草通りに賑わいを取り戻し、「ほこみち」化を目指したいのです。

https://www.mlit.go.jp/road/hokomichi/【ほこみち紹介】

国交省リーフレットより

その辺りも追って、ご説明を申し上げたいと思ってます。

TO BE CONTINUED


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