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意志と有機的自律運動

こ ん に っ ち は っ 🌱
前々回は、洗濯物干しピンチを例に、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」について考えてみた。

集団の輪っかを商品化する、っていうのは、今の日本の資本主義社会においては普通に行われている。安価で大量に市場に流通している。
一方、個々のニーズに沿った商品化は、値段が高くなる。
例えば洋服のオーダーメイドとか。
そのため、既製品をどこか妥協しながら使っていることがわたしの場合は起きている。


前回の例でいえば、かの洗濯物干しピンチとは、「使いにくい」という応答のまとまりにわたしの0ポイントは落ち着いた。

自分でそのことに気づくのも時間がかかるし、というのも、多くの人に使われているのだから自分だけ使いにくいということはないような気がしているのだ。

「使えるはず」というような、「はず」に支配されているのかもしれない。
支配されているとその他の可能性が沈んでいるような状態で、つまり、有機的自律運動の活性化を鎮める。

集団の輪っか 「はず」の発生

集団の輪っかである既製品と問題なく応答し合えれば、有機的自律運動の活性化を待つまでもなく、事は進んでいくだろう。


わたしの場合はどうか、もう一歩、考えをすすめてみよう。
「洗濯物干しピンチ」と「わたしという個体」の間で、なにが起きたか。

問い
「使いにくい」に落ち着くまで、有機的自律運動はどのような運動になっていたか

・最初は「わーい、便利そう これで洗濯物を干すのが楽になりそう」という見通しで明るかった
・ピンチ同士で絡まる
・ピンチとわたしの意思疎通がうまくいってない感じ
・どうして??? と戸惑う
・これは便利な「はず」
・やっぱり絡まる。使うたびに「ううう」に襲われる
・これを何度も繰り返す
・そのうち使う前から「絡まる」がやってくる
・「絡まる」に対応しようとする
・洗濯物干しピンチを離して置いておく
・絡まらないように気をつける
・ゆっくりやる
・やっぱり絡まる
・毎回ヘトヘトになる
・悲しくなる

集団の輪っか「既製品」と応答を試みている状態

集団の輪っか「既製品」と応答を試みている有機的自律運動。わたしの過去の粒やつながり線が、ざわりにおいてワッサワッサと活性化している。
活性化しているが、集団の輪っかと折り合いがつかない。
折り合いつくように「がんばる」。
がんばろうとしているときって、過去の「粒」「つながり線」はオロオロしているイメージ。
パズルのピースがはまらない感じだろうか。

意志が目指しているのは
・洗濯物を洗濯物干しピンチにスムーズに干せるイメージ

有機的自律運動のはたらきは
・粒とつながり線が星座に成る可能性の運動

意志は目的に向かって直線的に指向していく。収れんへ向かおうとしている。
有機的自律運動は活性化しながら可能性を散りばめてくる。むしろ拡散。

折り合えて、いない……  ?

収れんと拡散。
キーワードっぽいのが出てきたところで、今日は終わろうと思う。

ゆっくり、コツコツ、いくよ 🌱
大海原はひろい。

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