【仕事編・アルバイトうどん屋さん】 0ポイントと出会う旅
早起きに成功して気分のいい今朝です。
前回は
喫茶店での初めての「働く」経験でした。
〔環境〕において、わたし以外が夫婦である二人って、わたしにとって割を食うありがたくない環境になっていました。
ダメなのはわたし。
なにか起きたら原因はわたし。
釣り銭が合わないのも料理が出るのが遅いのもお客さんがイライラするのもその原因を作っているのはわたし。
みたいな構造がありました。
「これは、知らないところへいきなり働きに行くのはリスクが高いぞ」と思ったわたしは、次の年の夏休み、部活の先輩から紹介されたバイトをすることにした。
先輩の同級生のお家がうどん屋さんをしていてそこでバイトしないかという話。
知り合いの知り合いだから、悪いようにはされないだろう。
前回の喫茶店で厨房の人の怒号が怖くて飲食店は嫌だったけど、高校生への求人はその当時ほとんど飲食店だったから、だったら、少しでも知り合いであるところのほうが安心、という算段である。
〔やること・タスク〕
〈ホール〉
・お客さんが入ってきたら「いらっしゃいませ」と声をかける
・席に着いたら水を出す
・頃合いを見て注文をきく
・注文表にボールペンで品物を書く
・厨房にオーダーを告げる
・料理ができたらお客に出す。
・お会計をレジで行う
・食べ終えた食器を下げる、机を拭く
・時間があれば店内の清掃
〈厨房〉
・カツなどに添えるキャベツの千切り
・皿洗い
喫茶店とほとんど似ているけど、今度は、厨房内の作業もやることになった。
〔環境〕
・家族経営(だんなさん、おかみさん、長男、長女、長男の友達のバイト)
・長年の付き合いのないのはわたしだけ
・うどん屋さんでありながら洋食ふくめ独自のメニュー開発もしていて種類が多い。さらに、うどん屋とは、「うどんか、蕎麦か」「温かいか、冷たいか」が、いちいち注文時に重なってくる。だからメニュー量って実はすごく多い。
〔トップダウン構造〕
・おかみさんがトップ
・長男、長女は、幼少期から「玉ねぎの皮むき」「じゃがいもの皮むき」など野菜の下ごしらえをしてからでないと遊びに行くことも勉強も許されていなかった。学校のない日は家の手伝いが絶対だった。
・厨房をしきってるのは料理をしているだんなさん、かと思いきや、おかみさんが実権を握っている。例えば、料理を半分くらい残した客の食べ残しを厨房に下げると、おかみさんがそれを一口食べる。味を確認してるのだ。しょっぱすぎたとか柔らかすぎたとか、なにか、気になる点がないか、確認するのだ。
・出前の電話がかかってくると、店の注文状況を加味しながら配達時間を伝える。「30分後にお届けします」など
・アルバイトであるわたしへの指示、キャベツ足りないから厨房入って、とか、ホール出てお客さんに水足して、とか、皿が溜まっているから皿洗いに回って、とか。配達にバイクで行くのは今は長男かバイトか、とか。
すべて、おかみさんの采配で店が回っている。
それに追われるように目の前の作業をこなしていた。
おかみさんが気がついてからでは遅いのだ。むしろ先回りしなくちゃ、と焦るようになる。なぜなら、おかみさんの機嫌が悪くなるから。
滞りなく店が回っているように見えた。
反面、なんか、いつも緊張感が半端なかった。
店がすばらしくあること。このことを優先しすぎて、働く人のなにかは、削られているように見えた。
でも、飲食業って、そういうもの、そうなっちゃう構造よね、と思っていた。
だが、長くはできないよ、とも思っていた。
〔作業を遂行する不平等〕
わたしには「あっちこっちにつながり線が広がっていく」という傾向があるように思う。
だから、作業の種類が増えると可能性も増えていって、やることのタスクが増えていく。おかみさんに急かされる前にそれらを終えようとすると急ぐしかなくなる。
急いで、先回りして、失敗しない。そんなスーパーマンな働きを無意識に強いている。
前回も書いたが、わたしは「刺激の素」に「応答しやすい」ところがあって、たぶん、先に書いた「粒がつながり線になる」が浮かんできやすい。
これはどういうことかというと、可能性をたくさん生むということ。「星座」の手前の状態って、可能性でいっぱいなのだ。
「星座」に落ち着いて初めて、意味として言葉になったり人と共有できたりする。
このうどん屋さんのケースのように、おかみさんのような「威圧感」のある存在や、威圧感を生む「トップダウンの構造」に在る場合、つながり線の可能性に溢れているわたしは、わたし自身を動かすべく自分をコントロールする、という機能が発生する。
まるで自分が自分を監視するような機能。
それでなにが起きるか?
〔身体の特徴の不平等〕
・わたしのしんどさは他の人に伝わらない(なぜならわたしという個体で有機的自律運動は起きているから)
・一人でしんどさを抱えることになる。
・おかみさんから見れば、「使える」というふうに見えたかもしれない。
それは、わたしだけではなかったかもしれない。
なんとなく、店全体が、固い、というか、遊び(余白)がない感じがした。
窮屈で苦しい感じ。
おかみさんの機嫌をおかみさん以外が最優先しているような。
わたしがおかみさんから叱責を受けていても、その場面を直視しない、みなが視線を外している。
「目の前の作業に集中しています」という体にすり替わっている。
そんな現場では、笑いは起きにくい。しんどさだけが積み重なっていく。
でも、わたし以外はそれは長年経験してきた事実で、目の前で起きていることも、繰り返し経験してきたことで、当たり前のことと、折り合いをつけているような雰囲気だった。
あえては言わないし態度にも表さない、だがどこか釈然としていない、というような躊躇も混ざったような。
わたしはその躊躇を、だんなさんや、長男や、長女から、時折感じていて、そのおかげで自分が全部悪いとか、おかみさんを憎いとか、思わずに済んでいた。
いや、おかみさんのことはわたしは怖くて嫌だったけど。
おかみさんにはおかみさんの事情がきっとあるんだろうな。
他の人はどんな風に感じて折り合っていたんだろう。
働く、って、わかんないことだらけだ。
わからない、が、わからない、を生む。
そこは、3年生の時の夏休みだったから、部活が終わっていて、だから夏休みが終わってもしばらく行っていた。
キャベツの千切りをしていて指を切った話もあるけど、それは、書きたくなったらその時にまた。
※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。
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