【仕事編・臨床検査員⑦ 星座に至れなかった粒とつながり線→演劇】 0ポイントと出会う旅
くじけますね。暑さに。
さっ、とやりたいことやってあとはくじけていましょう。
・「既製品の星座」に支えられて仕事がスムーズに進んでいれば、実は、個体(個人)の0ポイントはなおざりになっている。
・システムはシステムを生む可能性をはらむ
前々回から出ているこの仮説について、
ぐるりぐるりと記述をしています。
そうはいっても、いいことも楽しいこともあったわけです。
初めての就労で。
先輩は、検査には直接関係ない内線電話の取り方から外部への電話の作法、ひとつひとつ見守り教えてくれていたし、もちろん検査の仕方の細かい点もわからない点も。
休みの日は部署を超えて、遠出のドライブに出かけたりもしましたねえ。
あの時の車から見える風景と車中の何気ない雰囲気を今も思い出すことがあります。
どこにも接続していないような、どこにも引っ張られていないような、誰がどうとか、気にならないあの感じ。
けっこう、とっても、いい職場だった気がします。今から思い返しても。
でも、苦しくなった、
むしろ、だからこそ、「苦しい」にまとまったのはなぜか? 振り返ることができる
と言えるかもしれない。
「苦しい」だったとき、
「星座に至れなかった粒とつながり線」に溢れている。
ともいえるかもしれない。
と前回、仮説が出てきた。
(仮説って、更なる仮説を呼び込みますね。どこにも答えがないかのようです。そして実際、誰にとってもいえるエビデンスな答えはないんでしょう。自らの経験から浮上してくる仮説を掬い上げてゆくのみ)
ありがたい職場に恵まれ、わたしはそこでずっと働いていたらよかった。
だけど3年目くらいから苦しいことに気がついちゃって、「だから学校って3年ごとなのかな、中学とか高校とか」とか思ったりして。
5年で辞することになるんだけど、その間に、演劇をした。
唐突ですが、演劇を、したんです。
仲間に声をかけて、劇団を立ち上げました。
すぐに崩壊したんですけど、稽古場まで借りましたから、けっこう本気でした。
この劇団や芝居について書けることはあるけど、今は、就労との関係の視点から記述してみます。
「苦しくなった」とき、わたしは高校演劇部を欲した。
卒業しているし、演劇をやるとしたら劇団に入るか自分でも興行するか。
今から思うと「演劇したい」よりも、実は「高校演劇部のときの自分の再現」をしたかったんではないかな。
わかりやすく見ていくために、単純化してみますね。
「就労」=「既製品の星座・自動生成機」
刺激の素に接する→粒になる→つながり線 ←予想がつくつながり線
ここに、逆向きのベクトルが発生している。
日々、同じような刺激の素と接していると、運動の軌跡の「思い出し」が起きて、つながり線が迎えにくるようになる。
「つながり線の自動再生」→「思い出し現象」だ。
(ことこ・ざわり仮説)
これに対して
「高校演劇部」=「有機的自律運動の宝庫」
演劇部では、即興を使った練習もしていた。
「場面」「役割」などを最初に設定したら、ヨーイ始め!で、
その世界を生きなきゃならない。
例えば
「大雨の夕方」「団地」「スーツの中年」「傘のない老人」など。
そこで出会いが起きる、という設定だ。
さあ、どうなる。
言葉を発するのか、黙ったまま時間が経つのか、雨は止むのか、全て、相手次第、自分次第。
この中に入って、相手・環境・今起きていること、を拾い合い続ける。
まるで、有機的自律運動なのだ。
正解はない。
では、どういうのが、その即興は「おもしろい」と感じるか。
観客は、「有機的自律運動のはたらき」が展開していくのを目撃することがおもしろい。
演者として参加していれば、「有機的自律運動の展開の中にいる」経験自体がおもしろい。
即興では、実感することは大事で、実感が次の運動を生んでいく。目の前の現実が展開していく。
コントロールしているように見えるかもしれないが、実はコントロールの外なのだ。
拾い拾われが起きていて、展開していっている、のだ。
嘘だったら白ける。次が展開しにくくなる。
なにが嘘に見えてくるか
といえば、見ている人に沿っていこうとしたり、相手の演者に沿っていこうとしたり、自分がどう見られるかが優先されていたり、「既製品の星座」に倣っているような状態のことかもしれない。
実際の日常で既製品の星座を精一杯、日々やっているのだ、わざわざ演劇をするのは、既製品の星座をやることじゃない。
既製品の星座では無視され拾われない、自分自身でも掬い上げられない「粒とつながり線」の行方を目撃する、体験する、そういう機会だった気がする。
演劇だったらなんでもいいわけじゃない。
わたしの経験した高校演劇部は、それが叶う現場だった。
・個人それぞれの背景になにかしら人と共有しきれない課題を持っていた
・粒とつながり線を敏感に感じ取る人がわたし以外に何人もいた
・記憶の鮮明な人がいて現状を言語化してくれる人がいた
・先輩後輩はしっかりあったが、権威的なことはなかった
・トレーニングはいろいろあって、得意不得意がいろいろ表面化する
・よく一緒に居た、居られた
そしてなにより、演劇をして、その時間を共有していれば、伝わる。
伝わるのだ。
嘘か、嘘じゃなく居られているか、が。
だからすごくシビアともいえるかも。ゆるく甘いわけでもない。
問題は起き続けるし、表面化しやすい。
だけど、正直な感じがある。
有機的自律運動のはたらきに正直に居る感じがある。
当時のわたしは
「既製品の星座」に「苦しい」になった時、無意識に「演劇」を欲した。
それまでの経験の中で、この「苦しい」には、きっと「高校演劇部の時の自分の状態」は必要だ、と、気付かされていたのだ。
「演劇なんてやってどうなる」みたいな逡巡もあったが、あの時、わたしには、やっぱり必要だったんだ、と、今ちゃんと思える。
そう思えることは、わたしを勇気づける。
そう考えると、「演劇をする!」と息巻かなくとも、「有機的自律運動足りてないから補充する〜」くらいの軽いノリで構わないのかもしれない。
「演劇」に限ることもない。他にも「有機的自律運動」が活性化する方法は無数にありそうだ。
※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。
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