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【仕事編・臨床検査員⑥ 星座に至れなかった粒とつながり線】 0ポイントと出会う旅

今日は気温が37℃になるらしいのでやはり5時に起きて歩きました。
歩けてうれしい今朝です。


前回の最後に

・「既製品の星座」に支えられて仕事がスムーズに進んでいれば、実は、個体(個人)の0ポイントはなおざりになっている。
・システムはシステムを生む可能性をはらむ

と、新たな仮説を立ててみた。

わたしの経験してきた仕事においては往々にして、効率化の名のもと細分化された業務の中に、本来の刺激の素(臨床検査で言えば検体の本体である患者)が欠如している状態にある場合があった。

決まった刺激の素(変化が少ない)がある日々の方が、新たな刺激の素に満ちた現場より、次の工程へ進みやすいだろうし効率的だ。
故に、たくさんのことをこなしていこうとする際には便利だ。

それは同時に、新たな刺激の素に出会わない分、有機的自律運動の余地(余白)を狭める、と、言えるかもしれない。

簡単にいえば、予測通りが当たり前で善で、予測から外れることや予測誤差がないことが当たり前で善で、という環境であり、「新たな刺激の素に応答する機会が失われていく」ともいえそう。


わたしは苦しくなった。
なぜか。

有機的自律運動の不在による機能不全が起きる。
演劇が必要だった。
いや高校演劇部の経験、
有機的自律運動の活性化。

と、前回、前々回と書いた。
就労、という、集団の中に入って、わたしは有機的自律運動の欠乏状態に陥ったのかもしれない。

少し話はズレるかもしれないが、
わたしは保育園に通う(集団に入って過ごす)初日から、その場に「居られない」感じにみまわれた。
集団に居る間「居られる感」はやってこない。
他の子どもはなんやかや、馴染んでいる。
わたしには「馴染む」が、やってこない。
袖が長すぎる服を着ているみたいに、なんか、どこか、合ってない、おさまりが悪い、ような。
「平気じゃない」感じといえばいいだろうか。

ところが「居られる」が発生したことがある。
高校生の時の演劇部だ。
この時の体験と、その後「たい焼き屋」をした時の経験が、有機的自律運動の点で似ているような気がする。

目の前の刺激の素、逐一変化していく刺激の素の数々。
それらと応答し合うことが、演劇であり、たい焼きを焼いて買う人がやってくることだった。
(この時の状態については、改めて記述できればと思う)

この時の有機的自律運動の状態と、集団に入っているときの有機的自律運動の状態とは、なにが違うだろう。


例えば、
就労の現場で「既製品の星座」でスムーズに工程が進んでいく時、有機的自律運動は、
自ら立ち上がってくるであろうはたらき「粒になりつながり線になり」の運動の、途中で、「未来に起きるだろう星座」に迎えにこられる感じがある。

そのまま、放っとかれないのだ。

未来に起きるだろう星座は、何回も経験して立ち上がってくる星座もあれば、知識として学習した星座もあるだろう。
それは、その場でつながってくる運動とは、また、別物な気がする。

「何回も経験して立ち上がってくる」というとき、
・集団の中にあり、「集団の輪っか」に沿っているとき
・就労など、効率化のもと、工程がシステム化しているとき
は、実は、個体である自分と、刺激の素と、環境と、の間で起きる有機的自律運動の成るに任せていない。
・知識として学習した星座
・集団において「集団の輪っか」や「システム」に沿って「目的化した」星座
は、有機的自律運動を「線」に沿わせてはたらかせているような状況にあるのかもしれない。


「線」に沿って成っていくとき、刺激の素、個体の受容体、環境、これらから本来発生してくるはずだった「粒やつながり線」は、こぼれ落ちている。外れていく。
この、こぼれ落ちた、外れていく、「粒やつながり線」は、消えてなくなるわけではない。
あるのに、なかったことのように透明化している、だけなのではないかな。

この状態になって、わたしは「苦しく」なるのではないか。
透明化した「粒とつながり線」は、どうなる。
あるのにないことになっている、拾われなかった、まるで「必要ありません」とされているかのような、「粒とつながり線」の運動は、どこへ行く。

これは、自分という「個体」にさえ、見えなくなっている。
だから、理由もわからず、ただ苦しい。

それは自分(個体)の0ポイントに至れない、0ポイントを見失い続けることと、同義なのかもしれない。

高校演劇部とたい焼き屋のとき、この苦しさは起きなかった。少なかった。
別の苦しさはもちろんあるけれど。
その場に「居られた」。


「苦しい」だったとき、
「星座に至れなかった粒とつながり線」に溢れている。
ともいえるかもしれない。


※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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