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【仕事編・臨床検査員② 一人でくるくる】 0ポイントと出会う旅

歩いている道の高さのある塀の、苔、が
今日はイキイキしていた。
昨夜、雨が降ったからだろうか。
晴れて太陽の陽が当たっている時には気づけない、見えないものもある。

前回は、アルバイトじゃない、初めての就労について書き始めた。

「会社」という仕組みや、集団において、わたしになにが起きるか?

「粒と星座」の視点に立って、仮説を記述してみたい。


わたしの所属した臨床検査の会社全体の目的は「依頼された血液の検査をしてデータをとってお伝えする」ということ。
それだけのことに、様々な作業や行程が発生する。

自分の部署、自分の、作業、行程に集中していればいい。


以前に書いたように、わたしは、刺激の素に接すると粒になりやすいし、つながり線も自動的にどんどんつながっていく。
倍々でつながり線が広がっていく。
拡散型の特徴をしていると思う。

前回に書いたような〔やること・タスク〕が、わたしは細かく見えてしまう。抜けがあったら、拾わずにいられない。

これはどういうことにつながるか?というと
わたしは「拾いやすい」
わたし以外の人は「拾う必要性がない」
という「差」を生み出す。

相対的なことなのだ。
だから、集団の場でしか起きないことなのだ。

わたしの粒の拾いやすさは、他の人に比べれば、ということにすぎない。
けれど、その現場でわたしが「粒を拾いやすい」というポジションになってしまうとどんなことが起きるか。

「一人でくるくるする」が起きる。
刺激の素に接する→粒になる→つながり線になる→行動が伴う→行動することで新たな刺激の素に接する→粒になる→つながり線になる→行動が伴う…………

自分以外の人に期待してみても、どうも、なんか、違っちゃう。
まるで、わたしの見えていることが見えていないかのよう。
例えば事務から持ち込まれた患者データが紙で束でやってくる。
わたしは気がつくからパソコンで打ち込み始める。

しかしどうだろう、気が付かない人はずっと気が付かない。
だから、パソコン入力もしない。

わざと?わざと見えない風にしてるの?と、思うほどだった。
わたしと同じくらいに気づく人が一人いて、その人が他の作業で手が空かない時にはわたしだけが気づく。

たまに、わざと、ほうっといてみる。
わたしも他の作業で忙しい時がある。
すると、実にスマートに、パソコンに打ち込んでいく人がいる。余裕な感じ。
なんなのか。
わたしは余裕はない。
気がついたら行動になるから、スキマがない。
しかし、余裕な感じでできる人がいる。そのことに、わたしは気がついた。

ああ、わたしもあのように「余裕な感じ」なモノでいたい。
なぜか常に急かされている気がする。
「一人でくるくるする」のサイクルになっている。
自分では止められない。

今から思えば、「余裕な感じ」のその人は、余裕がある時にやっているから「余裕」なのだ。
当たり前だった。 笑

わたしはまるで見えない糸で次の展開に繋がっていくように、「つながっていく」。

「つながり線」は、有機的自立運動のはたらきの運動の軌跡でもあるから、つながり線に溢れるということは可能性に溢れることであり、その先にあるであろう行動が想像されて、まだ起きていない未来に急かされる、みたいなことになる。

運動の軌跡は身体の記憶となっているから、似たような粒とつながり線の先には、自動的に連続していく予想が立っている。身体的に。

刺激の素に接する→粒になる→つながり線←予想がつくつながり線

ここに、逆向きのベクトルが発生している。
日々、同じような刺激の素と接していると、運動の軌跡の「思い出し」が起きて、つながり線が迎えにくるようになる。

「つながり線の自動再生」だ。

粒とつながり線の運動の軌跡に溢れやすいわたしは、その先の行動に自動的に移行しやすいことになる。
まるで未来から指示を受けているかのよう。

先の行動に迫られているから、しんどいの嫌だから解決しようとして、今目の前をこなそうとする。

それは、刺激の素を無視しないで応答しているから本当はそれはそれでいいはず。

なんだけれど、集団においては、また毎日同じ作業のルーチンのある仕事の場合
〔立場〕〔0ポイント〕〔システム〕などによって、相対的に作業が個人に固定化することがある。

〔立場〕が、入社したての新人であったり、学歴が低かったり
〔0ポイント〕が、刺激の素に応答しやすい身体性
〔システム〕一人一人の勝手に任せられている現場なのか、一人一人の0ポイントを尊重する現場なのか、その会社の文化や仕組みによって実は内在化しているシステムが在る

目には見えないことがたくさんある。
目に見えないからと見なくて済んでいる立場がある。
見えてしまって無視できない自分が動く立ち位置もある。

この「見えない」けど「ある」ことが、その組織をどのように育んでいるか、そのことは興味深いテーマである。


次回はこのことについてわたしの経験を記述できるだろうか。
どうだろうか。


※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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