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【仕事編・魚屋さん】 0ポイントと出会う旅

通りをぐるりと回って入って、出たところのない道を歩いた。
見上げるように大きな建物がたくさん並んでいた。
ここは東京だな、と思った。
初めて東京に来た頃の、見たことのない建物の中を歩いている自分を思い出す。


ある演劇ユニットの公演出演オーディションを受けた。
ここでも即興演劇(エチュード)でわたしはわたしを発揮できた。

出演オーディションに受かったら、上京しようと決めていた。
入団試験じゃない。わざわざ地方から受けに来たのはわたしくらいだったかもしれない。
大好きな役者さんが参加していたのだ。

この時のエチュードや役者さんのことは、大切な経験で今も心の拠り所になっている。続きを書きたくなるところだが、
演劇のこと、実家や家族のことは、ひとまず脇に置いて記述していこう。
自分の周りのことや社会の動きは、実は、「仕事」や「自分」や「集団」の形成に、すごく関係していると思われるんだけど、ひとまず、【仕事編】に集中していこう。


さて、初めての一人暮らし。
仕事も探さなくては。
わたしは稽古場のある駅沿線でこの両方を探した。

アルバイトニュースでスーパーの魚屋さんが募集をだしていた。
時給が1000円。
当時では高い方だった。
面接に行った。
女子が魚屋をできるかなー?と、社長は心配したが、演劇をやっているから公演時は休みをもらいたいなどお願いし、わざわざ地方からそのために上京したことを伝えると「やってみる?」ということになった。
社長の義理の弟が、演劇をしていたのだ。
事情がわかった上で、採用してくれた。


長靴を履いて、長いゴムの前掛け、ハッピ着て、魚屋さんだ!
声を出すのも仕事のうち、発声練習とばかりに声を出した。
へいらっしゃいらっしゃい〜 今日はイカが安いよ〜。

魚のさばき方を、この魚屋さんで教わった。
イワシは手と指で骨を取ってさばく。
イカの皮のむき方、サバやアジのさばき方、カツオのタタキのあぶり方、煮魚の煮方、ここで全部覚えた。
やらないと、忘れるけど 笑。

先輩従業員が1人いて、わたしより年下だったけど、しょうがねえな、って具合で、わたしの面倒も見ることになった。
「おい、〇〇吉」ってわたしを呼び、「女だからって容赦しねえよ」って、特別扱いはしなかった。

キツかったのは、配達だった。
近くの寿司屋や料理屋に生きた魚やエビを納品しにいく。
ガラスケースのいけすに入った海水を取り替える。
この、海水が、ポリタンクに入っているんだけど、配達の3輪バイクがひっくり返るかと思うほど重い。
バイクからいけすのある2階に運ぶだけでも相当しんどい。
そんで、海水を交換する時、いけすにホースを突っ込んでもう片方を口にくわえて空気を吸って、水を引き上げるんだけど、失敗するのよね。
いけすの水を吸い込んじゃう。
もう、自分も海の中の魚と同じですよ。
先輩は「あー、やっちゃった」と、冷ややかに笑う。
やっちゃうんですよ。がんばっちゃってるから。
やったことないことだらけで、力仕事だし、いつもいっぱいいっぱい。
東京の、都会の中を、3輪バイクで走って高速の下を通ったり、右折とか、ああーー、地元に帰りてえー。
いけすの水飲んで、ああーー、地元に帰りてえー。
ポリタンクで手がちぎれそうで、ああーー、地元に帰りてえー。


でも、魚屋さん、好きだったな。
お薦めするとお客さんが「じゃ今日はイカにしようかしら」とか言って買ってくれる。
やり取りでその家の晩御飯が決まったりするの、おもしろかった。

近所のお得意さんで、高齢の人がいて、ちょくちょく配達の注文が入る。
社長が選りすぐってその日のいいところを刺身盛りにする。

魚屋のあるスーパーからその家までは遊歩道になっていて、
そこを歩いていくのが好きだった。
上京する前は、東京って、大きくて、うるさくって、怖い、って思っていたけど
一歩通りを入ればそこには暮らしがあった。
木が、鳥が、光が、あって、おだやかだった。
不思議だった。

近くに、老夫婦の営む小さなパン屋があった。
通りに面したショーケースから取り出してくれる、昔ながらのパン屋さん。
コッペパンがおいしかったなあ。
奥で旦那さんがいつも追加のパンを焼いている。
夫婦の人柄みたいな、さしでがましくない、ささやかな、やさしい味だった。
三角のパンもおいしかったなあ。



※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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