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【仕事編・映像制作会社】 0ポイントと出会う旅

さて、仕事の話。
といっても、30回の転職の話。

高校卒業して初めての就労は臨床検査員だった。
3年目頃から「苦しい」がやってきて、いろいろ工夫してみたけど5年で続けられなくなった。
理由はよくわかっていなかった。
次は、自分が興味関心を持てる分野で働こうと思った。

高校演劇部のときの経験が、わたしにとって「粒とつながり線」の自由さ、そこに居られる感、をもたらしてくれたから、今度は演劇に関係するようなところがいいなと思った。
当時のわたしは、わたしなりに、次への対策をしたのだ。
前向きじゃないか。

地方都市だし、演劇関係の仕事なんて都市部でもそんなにないだろう。
ところが、ひとつ、近い感じの募集が出ていた。
映像制作会社だ。
「なにかを作る」という点が同じ圏内にあるように思えたのだ。

地方にもテレビの地方局がある。
地方局のテレビ番組の中身は、映像制作会社に委託されている部分もある。
専門学校を出てもいないのに、「試しにやってみる?」な感じで雇ってもらった。

そこでは
・クイズ番組のクイズ問題を考える→そのために資料にあたる
 当時はまだインターネットになにもかもが載っている時代じゃなかった。図書館や地元のネタであれば地元の資料館などに出向いて情報を集めた。
・映像を撮ってくる
 番組の中で使うインタビューを映像撮りに行ったりした。社長がディレクターで、同行して現場で雑務にあたる。
・撮ってきた映像の編集を編集担当さんに渡して様子を把握する
 これは結構キツかった。なにをしているのか外から見ているだけではまったくわからず、素人がオロオロ側で待機している、みたいな図になっていた。編集担当さんも、イライラしていたと思う。
・ちょうど地元に新たに開局した地方局の、朝のニュース番組の「タイムキーパー」
 外に委託した方が人件費が安く済むのだと思う。わたしが出向することになった。なぜなら、社内でわたし以外は、専門知識と専門技術を持つ人たちだったから。

このタイムキーパーが、キツかった。

東京キー局の番組の、各地方局に飛ぶ枠だ。
「では、各地のニュースです」「では、各地の天気です」という、枠。
この枠のタイムキープをしていく。

放送室に入ると、いくつもの画面が並び、ディレクターがカメラを切り替える合図を出していく。
当時は手書きだったが、タイムスケジュール表を作成するのはタイムキーパーの担当。
このニュースは何分何秒で、と、秒まで決まっていて、時間が押したり早かったりしたら調整するが、何秒押している、早い、を、いいタイミングで知らせていく担当。
変更された時間は、タイムキーパーがタイムスケジュールをどんどん変更して最終的に時間内に収まるよう調整していく。
本番と、同時進行なのだ。

「あと〇〇秒で入ります!」と、地方局に飛んでくるタイミングを知らせたり。
取材班が撮ってきた映像のVTRが間に合っていない場合もある。時間の尺がその日の枠では長すぎます!とか、その時間調整をどうするかも提示する。

お天気お姉さんが別室の放送室に入っていることを確認しながら、全体の、必要な人に、必要なタイムを、いいタイミングで、発信していく。

当たり前だけど、毎朝、失敗のできない本番が開くのだ。

これ、タイムキーパーという職種の、先輩がいない中で、手探りでやっていた。
モタモタしたり失敗したりしながら、その度に怒鳴られながら、なんとか毎日をこなしていたという感じ。

当時は、朝の4時に局に入っていたと思う。
局の駐車場に自分で運転してきた軽自動車を停める。
辺りは真っ暗。
田んぼと幹線道路。
局のビルがポッカリ浮いている。
テレビ局の朝の番組チームの部屋だけが煌々と明るいのを見上げて車の座席から立ち上がれない。
クラクラした。

現場は、古い表現だが体育会系で、「怒鳴る」は当たり前。
入っていくだけでわたしの体は震え上がっていた。

映像制作会社に入ったけど、わたし、何してるんだっけ?となった。

せっかく「苦しい」を自分なりに受け取って新たな仕事に就いたが、そこでさらなる「苦しい」に襲われていた。
なにやってるんだ。

だんだん、朝、起きられなくなっていて、誰と話すのも怖くなっていた。
初めて精神科を受診したのは、その時期だ。
当時の地方の精神科って、クリニックもまだそんなになくて、電話帳で探して、山の上にあって、コソコソと誰にも言わずに受診した。


次回は、この経験は「粒と星座」の視座からどう見えるか、について書けるかな。
どうかな。


※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。


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