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粒と星座

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「粒と星座」言葉と説明
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#有機的自律運動

「粒」「星座」「ざわり」「つながり線」「有機的自律運動」「0ポイント」「集団の輪っか」 いったん整理してみたよ

こーん にーち はー ! 前回までを振り返ってみると、みんなが共有している既存の言葉じゃないから やっぱりわかりにくく見えちゃうかもな、っておもって 今回は、いったん、整理してみたヨ これらは、わたしがここ10年、自分に起きていることを自分と話すために使ってきた、わたしに伴走してきてくれた言葉です。 (「有機的自律運動」「0ポイント」「集団の輪っか」は、ここ1年でさらに展開がみられた言葉) ひとりよがりな言葉です。 主観を頼りにしたら現れてきたことばです。 他の人に

【有機的自律運動】 わたしの「記憶」の成り立ちからみえること

運動なんだな。 記憶って。 わたしにとっての記憶って。 勝手に動き出す運動。 つながりだす。 ひとつポチョンと池に石が入ってくれば波紋が広がるみたいな。 池に風が吹いたら水面がさざなみ立つような。 風が吹けば桶屋が儲かる的な。 バタフライエフェクト的な。 接触する→応答が起きる→展開が起きる→なにかと接触する→応答が起きる→展開が起きる……… 粒とつながり線の軌跡が記憶になっている。 だから、次になにかと接した時に「思い出し」が起きる。 つながり線が先へ先へと走り出す。

「有機的自律運動」の積み重なりが、現在地

やっほー ぴよーん ぴよーん 🌱 散歩中にみた、塀から伸びてる葉っぱの声をお届けしました。 前回は、「有機的自律運動」という言葉が登場しました。 有機的自律運動、この「はたらき」とともに「いのち」はある。 noteの最初の記事のタイトルにある【いのち=応答しあっている現象】は、有機的自律運動という視点に立ってみるとみえてきた仮説だ。 この世界にある生き物、もちろんわたしという個体も、この有機的自律運動のはたらきの渦中にある。 有機的自律運動ははたらきつづけている。 そ

【0ポイント】 応答が叶っている範囲

なんだかボケボケしている… 急に気温が上がったから、な気もする。 ボケボケしながらやれることをやろう。 自分の様子と話しながら。 こんなときはなんにもまとまんない。 どこにも行きつかない感じ。 考えるとか感じるとか すすむ とか ぜんぶが遠いことのような感じ 粒→ざわり→つながり線→星座 という有機的自律運動のはたらきが十分に発揮されていない感じ そのまえに、有機的自律運動が活性化している状態はどんなか、経験から思い起こしてみよう。 わたしは化学繊維の服を着ると、肌

0ポイントが叶うまで ウロウロしちゃう

前回、肌に触れるもの(例えば衣類)とわたしとの折り合いを「0ポイント」という言葉で表してみた。 わたしについて言えば 地球を満たしている気圧や気温といった、常に接しているものについても言える。 ・雨の前に体がしんどくなって頭が回らなくなる ・冬から春へ変化するとき体がしんどくなる ・前日との気温差が激しいと体がしんどくなる ・バスの中、電車の中、外と気温差が激しいところに入ると鼻水が出る などなど たぶん気圧とか気温とか湿度とかだと思われるこれら、 これらの変化が激しい時

個人の0ポイント 集団の0ポイント

気温差が激しい〜。 こんなときは起きられない〜、 頭がボーっとする〜、 けれども自分と話すための言葉について引き続き説明を試みることはやりたいもんね 起きちゃうもんね。 うーうーおー! 想像してみる。 誰もが、自分と話すための言葉をもつ。 どんな言葉だろう。 それはきっと、懐中電灯みたいに、足元や自分の姿を照らしてくれる。 その懐中電灯で照らされて見えてきた現実(主観)を、お互いに交わしあえたなら、ワクワクするんじゃないかな。 照らしだされたらきっと、自ら輝き出すん

0ポイントが無視される時

前回、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」について説明を試みた。 集団によって個人の0ポイント範囲は変化するだろうし、個人の中で日内変動で0ポイントは変わるだろう。 例えばわたしであれば 気温差に対して、0ポイントに折り合いつきにくいと感じている。 気温と折り合いがつくまで体がバタバタしている感じがある。朝寒かったと思ったら昼には気温が急に上がった日など。 そういう時の自分を思い起こしてみると、 落ち着きたくて、例えばコーヒーを淹れたり、机の上を整理してみたり、目線が

違和感 0ポイントへ続くチャンス

空いていると予想したカフェが、平日よりも混んでいる日曜日です。 こんにちは。 コーヒーが好きです。 なんというんでしょう、 あともう一歩、ぼんやりしているわたしを、少しだけクリアにしてくれるみたいな感じ。 しかし、コーヒーとわたしの0ポイントは ・1日一杯 ・午前中のみ それ以上だと興奮しすぎてしんどくなる。 目がキョロキョロする。 順番が踏めなくなる。バラバラになる。 0ポイントが狭いです。 前回の終わりに「0ポイントへの迫り方」が問いとして出てきた。 0ポイン

「いったん整理してみたよ」を更新したよ

やっ  ほ ーーーっ 🌱 ここまでに出てきた言葉を追加してみました。 「有機的自律運動」と「0ポイント」と「集団の輪っか」「集団の輪っかと個人」を追加しましたヨ 「0ポイント」って、なんだっけ…??? とかってなったら、いつでもここに言葉は居るヨ。 そして、たぶん、きっと、言葉はコロコロコロコロころがって いろんな意味に展開していくような気がするね。 大海原だね。 ワクワクだね。 言葉もまた、有機的自律運動のはたらきの中にある。

意志と有機的自律運動

こ ん に っ ち は っ 🌱 前々回は、洗濯物干しピンチを例に、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」について考えてみた。 集団の輪っかを商品化する、っていうのは、今の日本の資本主義社会においては普通に行われている。安価で大量に市場に流通している。 一方、個々のニーズに沿った商品化は、値段が高くなる。 例えば洋服のオーダーメイドとか。 そのため、既製品をどこか妥協しながら使っていることがわたしの場合は起きている。 前回の例でいえば、かの洗濯物干しピンチとは、「使いにくい

文脈依存 わたしにとっての文脈・有機的自律運動の重なり

窓辺からこんにちは。 ガラス窓のあちら側では、葉の緑に光が当たって地面の白いタイルに影がゆらゆらユラめいています。 「高架下」という言葉が認識できない。人の名前を思い出すのに苦労する。モノに絡まれる。 上に書いた枠の中の状態は、なにに関することだと思いますか? 以前に「ざわり」について書いた。 例えば、 人の名前を思い出すときに感触から辿れる木の枝のような脈があって、文脈を持たない名詞(名前)と、ある接点でリンクすることがある、というわたしの特徴からきている。 記憶っ

【行為収れん】【表象収れん】

雨の降った翌日は空気がキレイ。 だから写真を撮る楽しさが増す。 こんにちは。 歩くお供にカメラはいかがですか。 最近、ようやくデジタルカメラを買いました。 このカメラとゆっくり仲良くなりたいです。 運動の軌跡がわたしの中に蓄積している。これがわたしの「記憶」だとしたら、どんなことが起きるだろうか。 うまく例が出るかわからないけど、考え始めてみよう。 例えば、こんなことはないだろうか。 勉強しなくちゃならない、という時に限って漫画を手にとってしまう。連続ドラマの録画を見

星座未満に溢れかえる

木と緑の中のカフェにいます。 後ろで電車の音がします。 自然なんだか街なんだかわからない朝です。 前回は「行為収れん」「表象収れん」という言葉に沿ってわたしに起きやすいことの説明を試みた。 人の中に入ると、粒がわーっと入ってくる。 目の前の情景が無数の、粒となって、つながり線は活性化して。星座になりながらいくつもの可能性になってわたしに迫ってくる。 その運動はわたしのコントロール下にない。 ざぶんと水の中に飛び込まされるような感じ。 次々と折り合いつけてかないと溺れる。

粒とつながり線に溺れたら

前回は「集団の中で可能性に溢れかえる現象」を体験を交えて説明を試みた。 保育園の時点から50年ほど過ぎた今、今も集団に居られないかというと、比べれば随分ましになっている。 それは、「集団の輪っか」を無意識にとらえているからだと思う。 擬態も得意になった。 カメレオンのように、その場での集団の輪っかの色に勝手に染まっていくイメージ。 レオレオニの絵本に同じような現象が表現されていましたね。 ※擬態については、「無意識」以外に、「わざわざ」取り入れた方法もある。そのうち説明