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粒と星座

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「粒と星座」言葉と説明
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#0ポイント

「粒」「星座」「ざわり」「つながり線」「有機的自律運動」「0ポイント」「集団の輪っか」 いったん整理してみたよ

こーん にーち はー ! 前回までを振り返ってみると、みんなが共有している既存の言葉じゃないから やっぱりわかりにくく見えちゃうかもな、っておもって 今回は、いったん、整理してみたヨ これらは、わたしがここ10年、自分に起きていることを自分と話すために使ってきた、わたしに伴走してきてくれた言葉です。 (「有機的自律運動」「0ポイント」「集団の輪っか」は、ここ1年でさらに展開がみられた言葉) ひとりよがりな言葉です。 主観を頼りにしたら現れてきたことばです。 他の人に

【0ポイント】 応答が叶っている範囲

なんだかボケボケしている… 急に気温が上がったから、な気もする。 ボケボケしながらやれることをやろう。 自分の様子と話しながら。 こんなときはなんにもまとまんない。 どこにも行きつかない感じ。 考えるとか感じるとか すすむ とか ぜんぶが遠いことのような感じ 粒→ざわり→つながり線→星座 という有機的自律運動のはたらきが十分に発揮されていない感じ そのまえに、有機的自律運動が活性化している状態はどんなか、経験から思い起こしてみよう。 わたしは化学繊維の服を着ると、肌

0ポイントが叶うまで ウロウロしちゃう

前回、肌に触れるもの(例えば衣類)とわたしとの折り合いを「0ポイント」という言葉で表してみた。 わたしについて言えば 地球を満たしている気圧や気温といった、常に接しているものについても言える。 ・雨の前に体がしんどくなって頭が回らなくなる ・冬から春へ変化するとき体がしんどくなる ・前日との気温差が激しいと体がしんどくなる ・バスの中、電車の中、外と気温差が激しいところに入ると鼻水が出る などなど たぶん気圧とか気温とか湿度とかだと思われるこれら、 これらの変化が激しい時

あるのに「見えない」

わたしは30回ほど転職していて、そのことは、自分を貶めた。 「続ける力がない」「途中で投げだす」「中途半端」「ひとつのことを極められない」「責任感がない」など、いくらでも貶める言葉が追いかけてくる。 幼少期から「続けられない」の傾向はあって、そろばん塾や絵の教室は、自分から行きたいと言ったのに行けなくなった。 だが、そこにはわたしなりの事情があった。 なのに、うまく言語化できないから、ううう、となってわたしの背景に退いていく。 今おもうのは この、「ううう」こそが、大事

個人の0ポイント 集団の0ポイント

気温差が激しい〜。 こんなときは起きられない〜、 頭がボーっとする〜、 けれども自分と話すための言葉について引き続き説明を試みることはやりたいもんね 起きちゃうもんね。 うーうーおー! 想像してみる。 誰もが、自分と話すための言葉をもつ。 どんな言葉だろう。 それはきっと、懐中電灯みたいに、足元や自分の姿を照らしてくれる。 その懐中電灯で照らされて見えてきた現実(主観)を、お互いに交わしあえたなら、ワクワクするんじゃないかな。 照らしだされたらきっと、自ら輝き出すん

0ポイントが無視される時

前回、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」について説明を試みた。 集団によって個人の0ポイント範囲は変化するだろうし、個人の中で日内変動で0ポイントは変わるだろう。 例えばわたしであれば 気温差に対して、0ポイントに折り合いつきにくいと感じている。 気温と折り合いがつくまで体がバタバタしている感じがある。朝寒かったと思ったら昼には気温が急に上がった日など。 そういう時の自分を思い起こしてみると、 落ち着きたくて、例えばコーヒーを淹れたり、机の上を整理してみたり、目線が

0ポイント発見の糸口は?

前回は、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」との兼ね合いについて、わたしの事例を交えて説明してみた。 前回の最後に「じゃ、0ポイントを発見できるのはどんな時?」という問いが出てきた。 そのまえに、0ポイントは、どんな状態にある時に意識できるといいんだろう。 集団の輪っかとそれほどズレがない状態にある人にとっては、あんまり重要じゃないかもしれないね。 集団の輪っかも自分の0ポイントも意識にものぼってこない。 それで日常は十分回っている状況。 それよりも、こんな状態にあ

違和感 0ポイントへ続くチャンス

空いていると予想したカフェが、平日よりも混んでいる日曜日です。 こんにちは。 コーヒーが好きです。 なんというんでしょう、 あともう一歩、ぼんやりしているわたしを、少しだけクリアにしてくれるみたいな感じ。 しかし、コーヒーとわたしの0ポイントは ・1日一杯 ・午前中のみ それ以上だと興奮しすぎてしんどくなる。 目がキョロキョロする。 順番が踏めなくなる。バラバラになる。 0ポイントが狭いです。 前回の終わりに「0ポイントへの迫り方」が問いとして出てきた。 0ポイン

「いったん整理してみたよ」を更新したよ

やっ  ほ ーーーっ 🌱 ここまでに出てきた言葉を追加してみました。 「有機的自律運動」と「0ポイント」と「集団の輪っか」「集団の輪っかと個人」を追加しましたヨ 「0ポイント」って、なんだっけ…??? とかってなったら、いつでもここに言葉は居るヨ。 そして、たぶん、きっと、言葉はコロコロコロコロころがって いろんな意味に展開していくような気がするね。 大海原だね。 ワクワクだね。 言葉もまた、有機的自律運動のはたらきの中にある。

粒とつながり線に溺れたら

前回は「集団の中で可能性に溢れかえる現象」を体験を交えて説明を試みた。 保育園の時点から50年ほど過ぎた今、今も集団に居られないかというと、比べれば随分ましになっている。 それは、「集団の輪っか」を無意識にとらえているからだと思う。 擬態も得意になった。 カメレオンのように、その場での集団の輪っかの色に勝手に染まっていくイメージ。 レオレオニの絵本に同じような現象が表現されていましたね。 ※擬態については、「無意識」以外に、「わざわざ」取り入れた方法もある。そのうち説明

現実の白昼夢

ここに来る途中で写真を撮るのに夢中になりすぎて、一回、力を使い果たした今です。 雨粒が、キラキラしていたんです。同じところを何度も撮りました。 ぼんやりしています。 前回は、粒とつながり線の活性化にワッサーとなった経験から、「目の前の状況をどのように捉え直すか」について説明を試みた。 0ポイントを捉えきれていないわたしにとって、自分を中心に世界と関係することはけっこうむずかしい。 目の前の人や物事の刺激の素が、わたしの中で粒とつながり線になっていく。星座になる前に次の粒と

有機的自律運動の活性化はなにをもたらすのか

有機的自律運動が活性化するには… とか、考えていたんだけど、この1年くらい。 その前に、有機的自律運動の活性化はなにをもたらしているのか。わたしにとって。 有機的自律運動の活性化が阻まれ運動が起きない、というような状況にあれば、活性化を解放してやりたいし 反対に、有機的自律運動のまま拡散にまかせた状況では、ときに収れんに向かうような運動も、あるのが健全なのかもしれない。 拡散と収れんのタイミングや割合は、個体のもつ受容体や、環境によって違ってきそう。 拡散と収れんの、