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2023/01/18 最近の思考

僕は子供が欲しいとは思っていない。
欲しい、なんてエゴの塊でしかないし非常に身勝手な言葉だと感じる。そもそもこれは相手のいる話なので僕一人が考えたところで何もならないけど。
どこまで行っても、まだ産まれてもいない子供に産まれたいかどうかの意志を問うことなんてできない。卵か鶏か…

きっと皆が幸せになりたいと思っているし、皆が思っているならやっぱり皆が幸せになるべきだと思う。
だけどそれは現実には不可能だ。
行きたい学校や会社を志望して自分がもし受かったなら、その分だけ他の誰かがお祈りメールを受け取ったということで。
何もしなくても時間は勝手に流れていき、勝手に歳を取って、親兄弟も恋人も友達も自分自身でさえいつかは老いて死にゆく。
自分の幸福が誰かの不幸である限りは、全員が一緒に幸福になることはできないだろう。

最大多数の最大幸福という言葉もあるが、多数を幸福にすることができたとして、どうしても不幸になる少数の存在を無くすことはできない。

だけどいつか遠い未来なら叶えられるかもしれない。

宇宙人が地球に来ていない理由を知っているだろうか。
もし宇宙人がいるとするなら地球に来ていないのはおかしい、という話に対する答えだ。
勿論これには様々な説があるが、中でも興味深い話として他の星系や銀河へ旅行できるほどの文明を得た知的存在は、外ではなく内へその知的好奇心を向けるから地球に来ない、というものがある。

高い技術力をもって作り上げられた超高性能なコンピュータと超高度なAIによって生み出され、制御された電脳空間。現実と見まがうくらいか、現実以上にリアルなフルダイブVRの世界。
どんなことでも望んだものをAIが読み取り、理解し、願った通りの世界を作り出し、文字通り最大の幸福を得ることができる仮想世界。
文明を発達させた宇宙人は皆そこで永遠に耽っているからどこにも見つけることができないのだ、という話。

まやかしだとしても、主観的には幸せだからそれでいいのかもしれない。
いま生きているこの現実だって、五感から得た情報を脳が処理した主観に過ぎないのだから。

現代日本でも創作の中にならそういうお話はたくさんある。
天元突破グレンラガンであった「多元宇宙迷宮」
NARUTOであった「無限月読」
魔法先生ネギま!であった「完全なる世界」
これらの技を受けた個々人はそれぞれ夢の世界に囚われて、各々にとって一番望んだ最も幸せを感じられる世界に幽閉され、サザエさん時空のように閉じた時間の中を回り続けていく。

仏教にも似た考えがある。
六道のうちの一つ、天道がそれだ。
天に産まれるということは、天人として、神として存在するということ。
衆生を救いたいと願えば、救われるために苦しみに喘ぐ人々が生み出され、
世界を正したいと願えば、正されるための壊れた世界が生み出される。
何でもできるが故に何もできない世界。天も六道輪廻のうちの一つに過ぎない。
だからこそ弥勒菩薩は菩薩としてではなく、衆生を救うために五十六億七千万年後に人として生まれ変わることを待っているし、
だからこそ仏陀は煩悩を捨てて輪廻から解脱し、涅槃に至った。
(この内容は個人の解釈だから鵜呑みにはしないでほしい)

いつかこの地球上の人類も文明を発達させた果てに天に産まれることができるのだろうか。
それぞれがそれぞれの世界に閉じこもった、客観的には孤独な世界に。

だけど、いつかそうなった未来が来たとして、その電脳空間を維持するサーバの保守管理は物理存在が行わなければならない。
しかしそんな状況の世界で、わざわざ肉体を持ってサーバ管理するような人間はよほどのもの好き以外はほぼ居ないだろう。専用の管理ロボットが必要になるかもしれない。全ての人間が仮想世界に引き籠る世界では。

そうなってしまっては、人工子宮と培養された卵子と精子で人間生産工場のように人間が「生産」されない限りは人間は絶滅してしまうだろう。

いつかは新しく生まれてくる人間はいなくなるのかもしれない。
物理法則を破れない限りは、質量保存の法則の下に一人の人間を幸せにするリソースは有限で、今のところ判明している宇宙に存在する物質の量も有限だからだ。人々が電脳世界で無限に生き続けるのなら、新しい命が参入してくる隙は無い。

死にたい、という言葉は正しくないと思っている。
それは他に言い表す言葉が思いつかないだけで、本当は苦しみから解放されて楽になりたい、というのが正しい言葉だと思う。
それでも、それを承知の上で死にたいと言う気持ちもあるかもしれないが。
ふと、衝動に駆られて吸い込まれるようにホームから身を投げるようなことはあれど、もしも(在り得ないことだとしても)抱えている苦悩の原因が取り除かれたらその衝動も薄れていくはずだと思っている。

それはそれとして、今この瞬間つらくて苦しくて死にたい気持ちに変わりはないし、生きづらさが取り除かれる希望がなければ死にたいと言い続けるのだろうな。

不幸になりたくないから生きていきたくない、は真であり。
生まれてこなければ幸せにもなれない、も真だ。
生まれてきてしまった以上、幸せになれる権利を主張し続けなければ不幸になるばかりかもしれない。

そう考えでもしなければ生きていくことなんて馬鹿らしくて仕方がない。
そんな風に思った。

乱文乱筆、お目汚し失礼いたしました。


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