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2022/04/23「遺伝」

 満員電車が苦手だ。

 むせかえるほどの人間の臭いに、ぎゅうっと押し込まれ、寿司詰めにされて気が狂いそうになる。ここ数年のご時世もあって特に、人間との距離が気になってしまう。

 他人より鼻が利くらしい、雨が降りそうな日は地面や空気の臭いでなんとなく分かって便利ではあるが、駅や電車、人混みに入ってしまうとどうにも他人の臭いに耐えられなくなって呼吸の頻度を抑えてしまう。空気を吸わなければ生物はたちまち死んでしまうので、必死になってマスクを抑えながらなるべくマスクの布で濾過した空気を吸ってなんとか生きながらえている。

 酸欠になると苦しみを和らげるために脳が快楽物質を出す。胸の辺りがふわっと心地よくなり、そのまま全てを手放してしまいそうになるが、まだまだやり残したことばかりで死ぬわけには行かないから我慢して息を吸う。
 傍から見れば頭のおかしなやつにしか見えないだろうけど本当に見知らぬ他人の臭いがダメなのだ。
 匂いが心地よい相手とは遺伝的にも相性が良いらしいので、きっとそういう相手となら気兼ねなく傍に居られるし、これからも満員電車で息も絶え絶えに苦しみ続けるのだと思う。

 結婚したいとは思わないが、独りで居続けるのも寂しいと感じる。
 ワガママだなぁ、と自分でも思う。二律背反した命題を同時に抱えることができるのは知的生命である人間の特権かもしれない。
 ずっと一緒に居たいと思う人はいる。このnoteを書くきっかけになった人。同じ世界に生きているはずなのに、誰よりも近くて、ずっと遠い場所にいる人。
 その人の一挙手一投足でその日の気分が変わる。精神の支えにするための心の柱はたくさん建てた方が良いし、実際複数のコミュニティに入り浸っていろんな人に執着して心の支えにさせてもらってはいるが、どうしても気になってしまう。その人全てが世界の全てであるように錯覚してしまう。恋は盲目というのはこういうことなんだと思う。恋というのは一般的には2~3年ほどで醒めるらしい。じゃあこれは愛なのかもしれない。愛も盲目なんだろうか。僕も、執着してもらえているのだろうか。いつだって不安だ。

 執着を捨てなさい、と仏教では教えられる。
 愛別離苦、執着が苦しみの原因として俗世から離れ出家する。出家するということは全てを捨て孤独になるということ。
 お釈迦様は「犀の角のようにただ独り歩け」と言葉を残した。これは孤独に生きろ、という事ではなく、自分を強く持って、何事にも絆されることなく一人でも自律して生きていけ、という意味らしい。2000年も前の話だから本当かは分からないけど。
 ただ僕は仏教徒ではないし独りでいられるほど強くない。そうなれる気もしない。
 いつか、隣を歩ける日は来るのだろうか。


 最近、メタルギアソリッド(MGS)というゲームシリーズに再度ハマり出している。特殊部隊の主人公スネークが、敵基地に単独潜入し、敵に見つからないように隠れながら要人を救出したり破壊工作を行うという内容のゲームだ。
 Twitterでも数度、熱が入って暴れたが、きっかけは何となくで趣味でやっているサバイバルゲームの装備を揃える参考にするために、メタルギアソリッドの動画を見ようとひまちゃんやベルさんのプレイ動画のアーカイブを追いかけ始めたからだ。

 特に好きなのが1作目から4作目までの流れで、それぞれの作品にはそれぞれ根底に一つのテーマがある。MGS1はGene(遺伝子)、MGS2はMeme(文化的遺伝子)、MGS3はScene(時代)、MGS4はSence(意志)とそれぞれMGSの頭文字から取ったテーマに沿ってストーリーが進んでいく。発売から十年二十年経つ現在でもその内容は容赦なく「今」に突き刺さってくる。ネタバレになるのであまり内容自体には触れない(この時代の作品に今更ネタバレもないとは思う)が、監督が映画好きのため演出や映像に力が入っており、「プレイできる映画」のような作品である。ゲーム中のイベントムービーにあらかじめ作った映像を流すのではなく、ゲームのキャラの3Dモデルをリアルタイムで動かしてストーリーを見せる演出(リアルタイムポリゴンデモ)は今となっては当たり前だが、世界で初めて大々的に手法として取り入れたのがMGSだと言われている。(諸説あり)

 是非時間があればプレイしてみてほしい。ストーリーは間違いなく傑作で、学べることもたくさんあって、ぶんぶんぐるぐると感情のジャイアントスイングをされることは僕が保証する。PS3本体を入手するのが難しいなら、ライバーさんのプレイ動画を見てほしい。MGS1~4まではかなり長いので海外ドラマのシーズンをまとめて観る心持ちで。
 そのMGSの中で、こんな場面があった。(微ネタバレ注意)


 人間の遺伝子を読み解き、人格を得るまでに進化したAIが社会を管理し、ネットの検閲を行おうとする場面。
 世界のデジタル化は、有用不要問わず情報が濾過されないまま、それぞれのコミュニティに都合の良いそれぞれの「真実」として蓄積していく。
 噛み合わないのにぶつからない「真実」で世界が飽和する時、淘汰されることのない「真実」によって免疫を失くした世界は緩やかに滅びていくという。
 AIはそれを阻止するため、不要な情報を剪定し、コンテクストを生成することで社会を進化の方向に導くため動きだす。
 主人公はそれを食い止めるために戦う。というシーン。


 文章はセンテンス(文)ではなくコンテクスト(文脈)から成り立つ、と思っている。
 いつだって、どこでだって、どんな内容を言ったかではなく、誰が発言したかが重要視される。
 いくら文字だけ積み重ねたところで、仮に自分の専門分野について正しいことを言っていたとしても、権威ある人物の専門外で間違った言葉には敵わない。その時までにその人が積み上げてきたものこそがコンテクストなのだ。

 人は、これまでの自分の人生のコンテクストをなぞっているだけに過ぎない。趣味趣向や思想、その人の人格は刻み込んできたコンテクストの影だ。逆に言えばコンテクストさえあればAIでも知的生命体のように振る舞えるのかもしれない。少し前に流行ったビッグデータ解析やディープラーニングを使って特定の個人の人生を全て学習できれば、生きて人格を持っているように見えるAIが作れそうな気がする。研究によって脳に意識が発生する理由が解き明かされつつある現在(脳内で発生する量子ゆらぎの効果らしい)、そんな「生きた」AIが現実になるのもそう遠くない未来なんだと思う。

 ただ、どれだけ理論で武装しようと人間は感情の生き物だ。いくら知的生命を名乗ったところで肉体的には地球にいるその辺の動物と何も変わらない。人間も結局動物だ。
 38億年続いた遺伝子の鎖、より有利に生き残るその過程で偶然発生した知性でしかない。何を思考するにも全て肉体というハードウェアからの信号に縛られる。快不快、三大欲求、食べる事、寝る事、子を残す事に思考を支配される。

 人間は、生物は子を残すようプログラムされている。それがとても苦しい。自分の思考が自分のモノじゃなくなっていく。意志が欲求に塗りつぶされていくことが何よりつらい。
 純粋な知性であるAIは、遺伝子の乗り物に過ぎない人間とどう違っていくのだろうか。子を必要とせず単体で思考を深めていくのか、機械の体に思考を縛られるのだろうか。それとも人間と同じように誰かを愛し、子孫を残していくのだろうか。

 あまり自分の子供が欲しいとは思わない。反出生主義というやつだ。
 そもそも結婚相手も居なければ作ろうとすらできないが。それに本気で誰も産まれてこなければいいとも思ってはいない。人類には今後も繁栄してもらって一刻も早く意識ごとフルダイブできる電脳世界を開発してほしいからだ。

 人生は生きているだけで劇的だが、その荒波に振り回される過程での不幸を再生産したくない。たとえ最後に幸せが待っていようと、不幸を味わっている今その瞬間はどうあがいても不幸だ。
 だが望む望まざるに関わらず、自分の残したコンテクストは不要な部分を削除されつつミーム(文化的遺伝子)として後世に遺伝されていく。

 デジタルが氾濫する現代。コンピュータが発明されて70年、インターネットが一般に開放されて50年。遺伝子の歴史から比べたら余りにも短く浅いが、遺伝子はミームという新たな生殖方法を得た。
 デジタルの世界では誰でも簡単にたった一日で江戸時代の人の一年分、平安時代の人の一生分の情報量を手に入れることが出来る。
 デジタルの世界では誰でもSNSで簡単に自分の感情を吐き出すことができる。こんなにも簡単に文章を残す事ができる、それはとても尊いことだ。先人の勝ち取ってきた自由だ。
 だからこそ、自分の残した「子」に責任をしっかり持てるようになりたい。

 自分の子供をつくらない代わりに、ミームを残していきたい。自分の生きた証というほどでもないが、誰かの心の中に残り続けていきたい。
 でもきっとまた月曜日になったら、眠い目をこすりつつ、僕は満員電車で押し潰されながら世界を呪う感情をTwitterに吐き出すのだろう。

 



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