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記憶喪失のプロによる物忘れ対策講座

私は死ぬほど忘れっぽい。

例を挙げると、以下のようなものがある。

  • 余裕を持って家を出たのに、定期を忘れていたことに気づき帰宅、次は傘を忘れたことに気づき再び帰宅、スマホを忘れたことに気づきさらに帰宅した結果、さすがに電車に間に合わない

  • セルフレジでクレカを差し込んだまま置いてくる

  • スキーのリフト券を事前購入したはずが、いざスキー場で確認すると購入完了メールがない

  • 年金を半年払い忘れる

日常生活に支障が出るレベルには全てを忘れている。

生活のあちこちに支障が出すぎるので、自然といろんな「忘れ対策」を身に着けてきた。
もしかしたら私以外の忘れっぽい人にも参考になるかもしれない。

あと、記憶力がいい人に「記憶力が悪い人ってこのぐらいやらないとまともに生きていけないんだ……」と知っておいて欲しい……みたいなのもある……

思い出すトリガーをベッドの上に投げておく

たとえば薬を飲むこと
お酒を飲みに行く日だとか、そもそも夜寝るのが遅くなりそうだとか、そういう日は、薬ケースをベッドの上にぶん投げておく
そうすれば寝る前に気づけるし、万が一布団に入ってしまっても背中がゴリゴリして気づける、という狙いだ。
ちなみにぶん投げているのは、丁寧に置きに行こうとすると面倒になって後回しにする阿呆がいるからである。

薬ケースの他には、今日中に記入しておきたい書類、爪切り、メイク落とし、など。
「寝る前に思い出せばなんとかなる」ものなら全て対応できる。

類似例として、持っていかないといけないものは玄関のドアノブに引っ掛けておく、がある。
今日は雨が降るらしい、と認識した瞬間に、傘を傘立てからドアノブに移すのである。

ちなみに「PCでやらないといけないことがある」などベッドにぶん投げられない場合は、とりあえず皿やガムテープなど手近な場所にあるものを投げておく。
「なんだこれは」→「あっそうだやらないといけないことがあるんだった」となる。

自分の比較的覚えやすい情報形態を探す

私は、数字なら比較的覚えられることが多い。
なんで人の誕生日は覚えられないんだろう
なので、たとえば「持っていかないといけないものは5つある」というふうに覚えておく。
すると、「スマホ、定期、財布、家の鍵……5つあったはずだけど後なんだっけ」と、何を持っていくかは考えないと思い出せないが、とりあえず何か持っていかなければいけないものがあったということは覚えていられる。

逆に、視覚情報で覚えておくのはマジで無理である。
なので、たとえば今使っている洗剤は、店で思い出すことは不可能だ。
写真に撮っておくか、「○○というメーカーの○○の香り」とメモしておかないといけない。

あとはもう同じものを買うのは諦めよう
以前はサランラップとクレラップを間違えた。
なお今これを書いている間も、今どっちを使っているか思い出せない。もうどっちでもいい。黄色かった気がする。どっちだあれは。

忘れそうなものはそもそも手放さない

たとえば、ご飯を食べに店に入る前に買った、小物や服が入っている紙袋。
持ち歩いている鞄ならともかく、そういったイレギュラーの存在は、下手なところに置いてしまうと確実に忘れる。

なので、小さいものなら鞄に入れてしまうし、無理なら鞄の持ち手に結びつけておいたり、そもそも腕に引っ掛けたままご飯を食べたり。
傘とかも同じような扱いだ。

また、「ちょっと用事を片付けるためにスマホを置いたら、どこに置いたか分からなくなった」経験は誰にでもあるだろう。
いやもしかしたらそんな経験ないって人も存在するんだろうか……分からん……人間怖い……
ともかくそうならないためには、まず置かなければいいのだ。

どうしても手を離さないといけない場合は、絶対に目を離さず(ここに置いた、忘れないようにする、靴紐だけ結んだら絶対に持ち直す)と念じながら靴紐を結ぶ

覚えておく情報の保管場所をまとめる

たとえば、私はほとんどの「忘れてはいけないこと」「覚えておきたいこと」をGoogleカレンダーNotionに集約している。
日付に関連することはGoogleカレンダー、それ以外はNotion。
ちなみにNotionとは、超高性能で最強自由度のメモ帳みたいなツールです。愛。

Googleカレンダーの利点については別記事として鋭意執筆中である。
ここに書いていたら、それだけで一つの記事として独立させたほうが良さそうな文章量になった。
書き上がったらこのへんにURLを繋げる予定。
「とりあえず日付に関連することは全てここにまとめて突っ込み、それを参照しやすい環境を整える」が概要である。

Notionについても今後別で書いてみたいけど、一旦簡単に紹介しておく。
「超高性能で最強自由度のメモ帳」と紹介したが、一番近いのはEvernoteというツールだろうか。

たとえば、レシピ。
何回も作ってるな、何回も調べてるな、と思ったときはとりあえず放り込む。
たとえば私の例でいうと「マグカップで肉まんを温めるときは500Wで2分(ふんわりラップ)」というメモが残っている。

ゲームについて調べたメモやデータ。
最近だとスプラトゥーンのブランドと付きやすいギアについてよく参照したくなるので、全部書いてある。

あと「やりたいこといっぱいあったはずなのになんだったっけと思ったら見るリスト」も作った。
「この映画を見たい」とかって、いざ時間があるときには頭から抜けてるんだよな。
ちなみに、30分・2時間・半日など、所要時間ごとに分類しておくと便利。

そんな感じで、「日付との関連性はないけど覚えておきたいこと」は全部Notionにぶっ込んでいる。

そして、「集約する」。
つまり、これ以外のツールに浮気してはいけないということである。
散らかれば散らかるほど忘れる。何を見なきゃいけなかったのか分からなくなるし、見るものすら忘れる。アプリの存在ごと忘れる。

今の私の状況だと、大体Googleカレンダーを見ればいいし、分からないことがあったときだけNotionを開く。
覚えておくことは全てその2つに詰まっているので、迷わないし忘れない。

忘れたときのセーフティーネットを用意する

たとえば全ての鞄に現金を入れておく
定期入れにも入れておくし、スマホケースにも挟んでいるし、バーコード決済はいつでもできるようにしておくし、なんなら財布にも予備の1万円札を隠しておく。
現金を下ろすのを忘れていても安心だね!

職場への忘れ物が怖いなら、職場に置いてくる。
弁当箱を忘れて帰るのが心配なら、最初から使い捨てのものを使う。
シャンプーとリンスを買い忘れるなら、リンスインシャンプーを1つ常備しておく。

ちなみに忘れ物とは関係ないが、迷子や電車の乗り間違いが怖いので現地に30分前に着くように予定を立てる、も似たような考え方である。

PDCAを回せ

忘れ物をするたび反省して改善する。これにつきる。

私の一番最近の忘れ物は、お薬手帳だった。
敗因は「帰宅して鞄から出した後、床に投げ捨てており、そのまま存在を忘却していた」ことである。

これを反省しよう。
まず、なぜ床に投げ捨てていたか。これは家計簿を書くためである。

私は基本的に、お薬手帳に薬の領収書を挟んでいた。
そのため、その領収書を見て家計簿をつけるために、まずお薬手帳を鞄から出したのだろう。
で、おそらく「後で書こ」「でも鞄の中に入れっぱなしだと忘れるから、床に置いて見えるようにしておこう」と考え、2週間そのままだった結果、その存在が目に入らなくなっていたという経緯である。

では次に、何が悪かったか。
これは間違いなく「後で書こ」の部分だ。

じゃあ次は、今後どうするか。
「後でじゃなくて頑張ってすぐに書くように意識を変えよう!」では3回ももたないので、意識は低く、理想も低く。
投げるなら領収書だけ投げてお薬手帳は仕舞おう」と決めた。

まとめ:物忘れは対策できる

基本的に、日常的な忘れ対策については「忘れる」ことを前提として生きる、に尽きると思う。
ちなみに記憶喪失プロの方々には共感してもらえるんじゃないかと思うが、「あっ私これ忘れるな」という予感、いや確信が浮かぶことがある。
そういうときは特に気をつけて対策をする。

自分が記憶喪失のプロだと気づいて、いろいろ対策を考えてやり始めて、10年くらいかな?
そうやっているうちに、親ですら「え? 別に忘れっぽいとかなかったよ?」と騙せるレベルになった。
あれだけ忘れっぽい忘れっぽいと叱っておいて何を

「やっべこれ忘れるやつや」を見逃さず、面倒だからとスルーせず、ひとつひとつちゃんと直視して対策する。
失敗したら対策する、それでも失敗したらまた対策する、を淡々と繰り返す。
あたりが、我々記憶喪失勢にできることなんじゃないかなぁと思う。
この記事がその「対策する」の参考になれば幸いだ。

余談:エピソード記憶を覚えておく方法

エピソード記憶とは、「自分が経験したことや、その出来事に関する感情についての記憶」のことだ。
一言でいえば、思い出

物忘れ云々だけでなく、私はこちらも死ぬほど弱い。
しかも今のところ、まともな対策を見つけられていない。
なんなら助けてくれ。

どれだけ日記を書いたってメモを残したって、その書いた文章しか残らないので、正確にはそれは思い出じゃなくてただの記録なのである。
特に私は映像的な記憶が本当に弱いので、綺麗だと感じた光景、感動した風景、なんてものは微塵も残らない。
写真が上手く撮れればまだちょっと救われる、ぐらい。

これはだいぶ上手く撮れたほうの写真なので、「あー朝日綺麗だったよな」ぐらいは思い出せる

ただまったく効果がないわけでもない。
どこかに書いたり、人に話したりしたことは、たしかに若干記憶に残りやすくはなる。
個人的には、人に話す方が効果が大きい。
何か楽しいことがあった後は、わざわざ親に電話して感想を喋り散らかしたりとかする。
相手の質問に答えたり、感想に共感したりすると、自分だけで反芻しているよりも、さらに多角的に記憶が補強されるのだと思う。

ただ、それでも全部を書き残せるわけじゃないし、話せるわけでもない。
寂しいことに。

物忘れや忘れ物と違って、思い出は「忘れてしまっても生きる上で支障がない」ものではある。

なので「過去に囚われず今だけを見て刹那的に生きるぜ!」と振り切ったほうが多分気は楽なんだろう。
そう割り切れないからまだ一応、どうにかならないかと足掻いている。

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