"セクマイ"Youtuber達の暴走について
Twitterのタイムラインを眺めていたら、こんな内容の呟きがどんぶらこ流れて来たわ。
「最近レズビアンの夜の営み等をネタにして過激な内容を発信するYoutuberがいる」
どれどれ、と私もYoutubeで話題の方々の配信を拝見してみたのよ。
■エンターテイナーとしての彼女達
魅せ方の上手な方々ね、と思ったわ。非常にエネルギッシュで、カリスマ性がある。カミングアウトしていなくて、そういう経験も無いレズビアン達はもちろん、いろいろなバックグラウンドを持つ方がつい再生ボタンを押してしまう内容じゃないかしら。
全く知らない世界、でも興味のある世界、「タチ」だとか「ネコ」だとかもわからないし、そもそもそんな人たち本当にいるのかな、そう思い悩む方々のある種の希望にはなる気がするわ。
ある程度経験してきたレズビアン達にとっても、「あるある!」と共感出来たり参考にしたり、そういう層には需要のあるコンテンツだと思う。
ただ、情報を求めているのは当事者だけでは無くて、この広いネットの世界、1つの「レズビアン」という言葉でも多くの意図を持って様々な人がアクセスするわ。
①当事者、②当事者を近しい関係の中に持つ人、そして③レズビアンを性的消費しようとする人等。。
■情報社会×競争社会に生きる私達
私達は情報社会に生きて、日々情報を消費して生きているわ。Twitterを開いてインスタグラムを開いてニュースサイトを開いて、毎日どれだけ多くの情報を浴びているのかしら。
そして私達は多くの情報を全て同じようには扱っていないわ。自分にとって有益だったり刺激的だったりする情報をピックアップして消費してる。情報の数は増えても、時間は有限だものね。
Youtubeはその代表的な例ね。Youtuberでお金を稼げると世間に浸透してから、過激な動画を出して注目を集めようと身を削った人たちがどれだけいたかしら?
多くの情報が人々に取捨選択される情報社会、Youtubeが収益化した事で競争化したコンテンツ、資本主義の社会に生きる人間は当たり前のようにより人に見てもらう情報を提供しようとするわ。
そう、必然的に情報は過激化する。
有益でなかったり過激で無いコンテンツは淘汰される。至極真っ当な内容の動画を出したところで、再生回数が稼げないなんて事が起こりうるのよ。
■象徴化されたアイコンが"レズビアン"を代表して発言する事の危険性
過激な動画を出し、そのエンターテイメント性で目立つ彼女達がレズビアンのアイコン的存在になる可能性もある。その彼女達が"レズビアン"である事は彼女達の一部でしかないのだけれど、その一部を強調する事で、レズビアンをほとんど知らない人にとって"レズビアン"は彼女達だ!と連想される可能性があるのよ。消費者ってそういうものよ。
当事者が親友だったり家族だったりして、知りたくて調べた方が、その動画を観たらどう思うかしら。
同じレズビアンと言っても多種多様よ。でも「レズビアンはこういうもの」という発信をしてしまうと(断定する発信の方が数を稼ぎやすかったりするものよ)、様々な混乱を生むわ。
そして、レズビアンを消費しようとする人達の目にも触れるわ。性的なコンテンツが人気であると、レズビアンに対しそういったイメージが強くなる。少し前、「レズビアン」と調べたらアダルトサイトばかり出てきた時代から前進したと思ったら、また2歩下がる、ような事が起こってしまう気がするの。
■過激な情報ではなく、有益な情報を
「過激か有益な情報」が再生回数が伸びると先述したけれど、有益な情報を提供するには、日々他の人が得られないような情報をインプットし続けなければいけないから大変なのよね。だから手っ取り早い過激さを提供する方もいると聞くわ。
レズビアンはもちろんその他の性的マイノリティの方々の品位を、この情報競争社会から守る為にも、発信する方は"過激"でなく"有益”な情報提供をすべきよね。
でも、発信の自由を阻止する事は出来ないから、そこが歯がゆいところなの。この歯がゆさを鎮める為、今日はnoteに思いを書いてみたわ。
まとまらないけれど、最後まで読んでくださってありがとうね。