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顔面の話ばっか、うるせーよ俺のケツを見な、世界を平和にしてやるぜ


SNSによって助長された承認欲求達が狂っているのか、それとも脳みそが空っぽすぎて相手を見た目でしか判断できない人間があまりに増えすぎてしまったのか、真意はわからないけど、現代社会は「どいつもこいつも顔面の話しすぎ」だと思う。

歴史上、人間がこんなにも人間の顔面をつべこべ評価する時代があっただろうか。
多分、一度もなかっただろう。
なぜならそんなに暇じゃなかったから。
そして、比べるデータがそれほどなかったから。
インターネットのせいで私たちは他人の顔面を見過ぎている。美しい顔を見慣れすぎている。その時点でちょっと「異常」なんだと思う。

人間が生きるために田畑を耕し、汗水流して労働に勤しんでいた頃だって、もちろん「美人だ」「ハンサムだ」など、ルックスに対する評価は確実にあっただろうけど、

だからといって庶民の、なんの変哲もない人間が、こんなにも「美」の価値観に縛り付けられて苦しんだりなどしなかったハズだ。

金をかければ、芸能人じゃなくても整形できる時代。個人が美しくありたいと願い、綺麗になるのは大いに自由であり、どうぞ好きにやってくださいとしか言えないけど、最近「顔が良くないと全てがダメ」「垢抜けてないやつには価値がない」みたいな、脅しに近い邪悪なチカラ、フォースの乱れをひしひしと感じる。

就活は顔が大切。恋愛は顔が全て。スポーツするにも顔が良くないと話題にならなくて、有名になりたきゃ、バズりたきゃ、起業するなら、もうとにかく顔が良くないと全部ダメ!みたいな、軽薄で退屈な価値観が蔓延しすぎてて反吐が出てしまう。

「川崎区で有名になりたきゃ、人殺すかラッパーになるかだ」と歌われたように、「幸せになりたきゃ、美人に生まれるか整形するかだ」と言わんばかりに、町中に美容整形、医療脱毛、レーザー治療に美容皮膚科、高級化粧品の広告が並ぶ景色はハッキリ言って異常。キモい。自分も含めだけど、誰1人自分のこと上手く愛せてなさすぎてキモい。そんなに自分の顔面ばっか愛する必要、そもそもあんの?よくわかんなくなってくる。
とにかく、この脅迫みたいな美の強要は、まるで「ありのままでいることはダサい、死に値する行為!」とでも言ってるみたい。

ねぇ、これって誰の価値観なの??



人間の良いところは、見た目がどうこうだけではないハズだ。少なくとも私はそう信じている。
顔面がどうこうは一旦横に置いておいて、もっとチャーミングに生きようぜ。ところで、私のお尻にはいまだに蒙古斑があります。子供の象徴みたいでお気に入りです。Bondeeのアバター機能にお尻の蒙古斑がないことが悔やまれちゃいますね。皆様に、この愛くるしい子供の証をお見せできないのが残念です。。

私の思う「チャーミング」っていうのは、はっきり言って欠点とされることが多い。

歴代彼氏を例に挙げて申し訳ないんですけど、
クルックルの天パとか、どうしようもない位置に根を張るデカいホクロとか、背が低くてキャラクター感があるとか、
まぁ一般的に欠点とされてるものが強烈な個性となり、すごく可愛く思えて来たりするから、

チャーミングだ!と思うポイントは必ずしも世の中の美の基準と一致してないことを、みんなもっと認識した方がいいと思う。

私の母親も、父親の匂いをよくかいで「くさい、でもたまらん、カァーーッ!!愛おしい!!」と言って洗濯物を回していた。
父親も、、、と何か書こうとして思い返してみたけど、私の父は人の見た目をとやかく言うような小さい男ではないので、よく考えたら母の見た目について「可愛い!」「大好き!」以外、言ってるのを聞いたことがなかった。


つまり、見た目なんて、最優先でどうこうしなきゃいけないような事項ではないんだよ、愛においてさ。 

清潔感とか、キッカケがどうとか、色々言いたいことはもちろんあるけど、究極に省略していえば、

極論『魂』のほうが、磨くべきだよ絶対に。

魂のレベルで友達であれば、
魂のレベルで好きでいられれば、
魂のレベルで共鳴できれば。
人は見た目なんてどうだってよくて、大切にし合える。

生まれや育ちの強烈なコンプレックスも、
なりたくてもなれなかった憧れや、それに対する失望も、
全て、魂のレベルで会話ができれば、なんだって乗り越えていけるはずなんじゃないだろうか。

チャーミングなポイントをさ。
こいつ可愛いな、って思う余裕をさ。
もっと大切にしていこうぜ。

俺のケツを見な、チャーミングすぎる蒙古斑、めちゃくちゃ元気出るから!!!
(てか蒙古斑ってマジでなんだよ)

私もう35歳なんですけど?!?!?!泣

このお金で一緒に焼肉行こ〜