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忘れられた歓楽街の記憶~風営法と標識(愛知県の場合)③

前回の記事②では風俗営業取締法(風営法)と、愛知県の風俗営業取締法施行条例の制定・公布について触れた。今回はこの県施行条例について詳細を見ていきたい。



愛知県・風俗営業取締法施行条例の詳細(愛知県)

1948年(昭和23年)に施行された愛知県の風俗営業取締法施行条例【1】を読んでいくと、条例は4つの章と1つの附記で構成されており、各項目で様々な規定が記されていることがわかる。全てを転記することはできないため、各章の概要を下記に示す。

■第一章(総則)
第一条から第十一条まで
・取締対象となる業態、公安委員会への届出、申請、許可に関して
■第二章(構造設備)
第十二条から第十七条まで
・各業態の店舗設備の条件について
■第三章(遵守事項)
第十八条から第二十三条まで
・各店舗の遵守事項について(禁止事項などの詳細)
■第四章(雑則)
第二十四章
・団体組織に関する内容について
■附記は第
二十五章から第二十六章まで。
・届出及び施行日について


第一章(総則)第一条では、当時の愛知県で取締の対象とされた業態がわかる。

一.法第一條の営業
(一)料理店(待合を含む以下同じ。)
 客席に遊藝稼人を待らせて客を接待させ遊興又は飲食させる業態のもの
(二)カフエー
 洋風設備の客席で接待させ遊興又は飲食させる業態のもの
(三)かつぽう飲食店
 客席で接待をして客に飲食させる業態のもの
二.法第一條第二號の営業
(一)キャバレー
 舞踊場に飲食設備を併置して客にダンスをさせる業態のもの
(二)ダンスホール
 舞踊場に飲食設備を設けず客にダンスをさせる業態のもの
(三)ダンス教習場
 ダンス教師の指導により客にダンスを習得させる業態のもの
三.法第一條第三號の営業
(一)遊技場
 成年者を對象として遊技させる業態のもの
(二)遊戯所
 児童を對象として遊戯をさせる業態のもの

風俗営業取締法施行条例【1】

はじめてこの条例を読んだとき、料理店やカフェーだけでなくダンス場や児童遊戯所までも風俗営業に含まれていることに驚いた。この点について、法務庁事務官であった本田正義・神谷尚男共著の『風俗営業取締法解説 
 警察官等職務執行法解説』【2】によると、風俗営業の基本的な考え方は婦女を伴う営業射幸心をそそる営業、の2点をカバーするものであったとしている。

風俗営業とは、要するに、婦女を伴ふ営業でやゝもすれば風紀を害するのある営業とか、射幸心をそゝる□(おそれ)のある遊戯を営む営業とかを意味する。かゝる種類の営業は、売淫や賭博と密接不可分な関係にあり、善良な風俗を紊す□(おそれ)が多分にあるので、これを許可制にするとともに、警察の取締の下に置くことを必要としたからである。

『風俗営業取締法解説 
警察官等職務執行法解説』【2】

そして、第二章(構造設備)第十八条の四に次のような記載がある。

これが標識だ。

四 営業所の店頭その他見易い箇所に各業種別に従つて別記第二號様式の標識を掲示すること

風俗営業取締法施行条例【1】

条文にある、第二號様式の標識は次の通りだ【図1】。しかし、このフォーマット、現在我々が見かける円形の標識とはデザインが異なることがわかる。1948年(昭和23年)時の施行条例で規定された標識は横三寸(9㎝)×縦一尺二寸(約36㎝)、白地に業態を黒書した長方形の看板であった。これが県内の歓楽街の該当店舗すべてに掲示されていたことになる。

【図1】第二號様式で規定された
標識のフォーマット
【図1】同上

風営法上の特飲街(赤線)の取り扱い

戦後まもなく形成された特飲街(赤線)は1958年(昭和33年)、我が国から姿を消した(愛知県では前年の1957年(昭和32年)に廃止)。つまり風営法が施行されていた時期と完全に被っているわけだが、当時風営法上で特飲店がどのように取り扱われていたのか、この点に関する史料は非常に少なく、そのことも標識の存在と意味をわかりにくくしている理由であるとも考えられる。

この点については、次の名古屋市公文書【2】内の史料にこんな一文があった。当時の特飲街(赤線)を理解する上で大変貴重なものであると考える。

1.営業の形態
営業の業態は風俗営業取締法第一条第一号のカフエー営業として許可しているが、許可面では風俗営業取締法に基づくカフエー営業であるから、売いん行為を露骨に表現せしめない観点から客席で遊客に対し婦女をして接待せしめ遊興飲食させる業態をとらしめ普通カフエー同称の形態をとらしめるよう指導している。

「特殊飲食店の措置状況について」
『警察現況書』内別添資料より【2】

つまり、当局は特飲店(愛知では特殊カフェー)に対し風営法上、カフェーの業態なので露骨に売買春の場と思われないように…と指導しているのだ。

ちなみに前項で紹介した施行条例ではこのように明確に示されている

第十八條 
四 営業所では卑わいな行爲、その他風俗を行爲をし、又はさせないこと

風俗営業取締法施行条例【1】

売淫行為は法律と条例で明確に禁止されているのだが、特飲街(赤線)内の営業行為とその実態については当局の判断で黙認されたものだった。1958年(昭和33年)の赤線廃止時に国内から公娼街・遊廓が消えた、と表現されることがある。しかし、公娼制度は戦後まもなく廃止されており、特飲街(赤線)の実態とは私娼街での売淫行為を当局が一定のルールの中で黙認しているものであったということになるのだ。


特飲店に標識が掲げられていたという証言

前項の通り、愛知県内において特飲街(赤線)は風営法上「カフェー」として営業を許可されていた。条例を遵守していたとしたら、当時の各特飲街(名楽園、八幡園、城東園、港陽園など)の店頭にはこの標識が掲示されていたはずだが、それを証明する史料は得られていなかった。

しかし、数年前に名古屋市内のある元特飲店経営者のご子孫から、当時「カフェーと書かれた看板があった」というお話をお聞きすることができた。この店は赤線廃止後旅館に転業しており、風営法でカバーされる業態から外れている。1軒だけの情報で断定することは難しいが、このカフェーの看板が特飲店時代のものである可能性はかなり高いと考える。

一方で、全国各地の特飲街(赤線)の店すべてがカフェーと区分されたわけではなかったようだ。この点は各都道府県の公文書や警察資料などで調査する必要があるだろう。


④に続く(近日公開)

ようやく姿を表した標識、④ではいよいよ、現在も歓楽街、歓楽街跡地で見かけるあの丸形の標識について記事を書き進めていくことにする。


■参考資料
【1】『愛知縣公報 號外第一二九六』愛知県 ,1948年(昭和23年)7月31日
【2】本田正義『風俗営業取締法解説警察官等職務執行法解説』民生書院 ,1948年(昭和23年)
【3】特殊飲食店の措置状況について『警察現況書』別添資料,名古屋市警察本部,1953年(昭和28年)
■図・写真
【トップ画像】【図1】『愛知縣公報 號外第一二九六』愛知県 ,1948年(昭和23年)7月31日