無駄に高いプライド

無職の悠々自適な生活にそれはそれで満足していたが、この甘美な生活のまま還暦を迎えたときの想像をして猛烈な不安を感じ、今の生活に恐れ慄いたので先日、一念発起してアルバイトに応募し電話面接へと漕ぎ着けた。
しかし、現実は厳しく指でピンッと弾くように簡単に落とされてしまった。
それは、指についた鼻くそを落とすように。
落とされた勢いのまま、また親の脛を齧るだけの自堕落を極めた生活に戻りそうになったが、ぬるま湯の人生で培った無駄に高いプライドがそれは許さない。
このことにより鼻くそ人間の高貴なプライドが刺激されたのだ。
プライドの高さが少しでも落とされたショックを減らそうとし「まあ俺にはもっと相応しい環境がある」という言葉を頭の中の片隅に置くことで、できた傷を少しでも軽くしようとした。
が、しかし、傷は傷である。できた事に変わりはなかった。
プライドの高さとメンタルの弱さが仇になり、アルバイトの面接で落とされたくらいで傷ができるほど世間に関わることに敏感になり過ぎている。
それと、社会経験の薄さが年齢を重ねたことでコンプレックスになってしまっているのだろうか。
いや、確実にコンプレックスになっている。
落とされることにより劣等感をますます抱くようになっている。
しかし、まだまだ世間知らずのプライドの高い人間。
ただではこの状況を認めることはなかなかできない。
今回は落とされてしまったが、長い目で人生を見てみる。
人生の敷かれたレールに乗ることもなく、縁もゆかりもない由緒正しくもないような森林の道なき道を走っている人生だが「だけど自分は可能性を秘めた人間」という微かな望みを人生の保険として持っているのがプライドが高い人間の最後の足掻き。
地位も名誉も富も将来は持つ人間があくまでも下積みとしてこんな人生を歩んでいると思っている。
そうでないとあまりにも自分は社会と適合しなさすぎだ。
ただの変わり者で人生を終えてしまうところだ。
どこかで不適合具合の辻褄がぴったり合い、一代で何かしらの名を馳せることになることを祈るばかり。
この考えが今のせめてもの人生の救いである。
しかし、それもどこか他人事で、能動的ではなく受動的でことを成そうと思っているので、この願いも叶わずといったところなのかもしれない。
未来の希望もない人間になってしまった。

気を改めて、新しいアルバイトに応募することに。
電車で40分ほどの場所にある八百屋を見つけた。
八百屋に対して、どうしても働きたい等といった思い入れはないが、田舎=人が暖かい。でなんとなくの連想していった。
田舎由来の人柄の暖かさは接する人同士で連動するものだと考える。
田舎の人は暖かい。
田舎を起点に田舎の仕事といえば農家。
農家と仕事柄よく接する八百屋は農家の暖かさに触れているから自然と普段から暖かい。
暖かい=田舎=農家=八百屋に行きつき、八百屋で働いている人は接しやすく暖かいのではと考えた。八百屋ならば人間関係で険悪な事が起こることがないという保証は必ずしもないが、こんな簡易な連想で働いている人の人間性を想像するしか、この段階では人間関係の纏れを回避する方法が見つからない。
とりあえず今回もまた、八百屋にターゲットを絞ることに。
今回も応募する時には背筋がピリピリと痺れる感覚があったが、今回は一度応募した慣れなのか応募ボタンに指をかけてから、応募ボタンを押すまでの心の持っていき方のコツを覚えたような気がする。
結局、最後に応募ボタンを押す時は「どうにでもなれ、嫌になったらやめてやる」という思い切りというか半ば不貞腐れにも捉えられる心持ちが、応募ボタンを押すときの原料となっている。

これが応募してすぐのこと。

応募してからすでに2日経っている。
八百屋からの応募に関しての電話が来ない。
僕の応募ボタンからの熱意は八百屋に無事に届いているのだろうか。
それともまた、アルバイト探しを一から始めるべきだろうか。
一向に前に進まない。
ただプライドが高い現状ニートという話。

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