忠犬のように待つ

八百屋にアルバイトのアプリで応募をしてから連絡が全く来ないので別の八百屋に応募したが、また連絡が来ない。
これを6件繰り返した。
お金を稼ぐついでに人の暖かい環境に飛び込みたいという邪な思いが、このような現状を産んでしまったのだろうか。
人が暖かい環境を願うこと自体、無職の自分にとっては強欲すぎたのだろうか。
というか、八百屋で働いている人は暖かいと勝手に思い込んでいたが、そもそも暖かい人はいるのだろうか。
行ってみなければわからないことだ。
早く八百屋に行って答え合わせをしたいところなのだが、無情にも連絡が来ない。
何のための求人広告だったんだろうと軽く肩を落とし、ふと、天井を見上げ、八百屋の環境を考えてみた。
市場のような雑多な場所で、ダミ声で威勢よくお客さんを呼び寄せる人が1人、店頭に構えている、その奥には仕入れた日本各地の様々な野菜の入っている段ボールが規則正しく積んであり、そこでは2人ほど寡黙に野菜の仕分けなどをしている。その寡黙な作業をしている人の手前に、腰ぐらいまでの高さの棚があり、その棚の隅に決して新しくはない年季の入ったレジがあり、そこで手慣れた手つきで会計をしている人がいる。
環境を考えるかぎり八百屋にはパソコンは一台もない。
ということはもしかすると、八百屋側も確認がとれずそもそも応募した事にもなっていないのではないか。
これまでの行動が全く意味の無いものだということに気づき、虚無感に苛まれた。
この環境が事実だとしたら自分は果たして応募した情報はどこに行ってしまったのだろう。
そもそも、どこに応募したのだろう。
応募してドキドキして携帯に連絡が来ていないかを何度も確認しては、またドキドキする。
なんと滑稽な様を、1人で繰り広げていたのだろう。
これが、恋心を抱く異性からの連絡がいつ来るか楽しみと緊張を抱えてドキドキして仕方がないのならキラキラとした華のある様だろうが、現実は無職がアルバイトに応募してドキドキして仕方がないのだから非常に無様だ。
これが社会に馴染めないやつの社会復帰なのか。
というかアルバイトは社会なのか?
とにかく、一筋縄ではいかないものだ。
ならば、こちらから八百屋に電話して確認しようかとも考えた。
だが、その方法で応募する場合、自分から積極的に連絡するということはやる気に満ち溢れていると八百屋に捉えられる可能性がある。
自分は、ただアルバイトをしたいわけではない社会復帰を兼ねているのだ。
社会に慣れるリハビリの要素が必要なのだ。
もちろん、やる気はないわけではないが、やる気に満ち溢れていると捉えられてしまうと問題がある。
あくまでも、応募してみました感が重要だ。
自分から積極的になり、やる気ある行動をとればとるほど、八百屋の自分に対する期待値が上がって仕事が大好きな好青年だと取り繕らなけばならなくなり、仕事がし難くなる。
自分は無難に業務を全うしたい。
なので、電話を今一度待ってみることにした。

それと同時に、八百屋だけに応募するという考えを変えて閑静な住宅街にあるレストランにもアルバイトの応募をした。
皿洗いの募集があったので、接客するわけじゃないし良いかと思い。気軽な気持ちで応募した。
居酒屋と違いガヤガヤしていなくて過ごしやすいのではないかとも思った。
こちらもまだ連絡がない。
気長に待つこととしよう。
応募してみました感を演出するために。

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