働いているように振る舞う生活

久しぶりの投稿になってしまった。
以前も書いたことだが、この「久しぶりの投稿になってしまった」という言葉を、自分が読むための紙のノートに書いたものではなく誰にでも読んでもらえるnoteに書くということは、読んでくれる一定の読者が存在し、尚且つその読者がこのnoteの続編を期待しているうえで待たせてしまって申し訳ないという意味合いになってしまっている。
人気者でいたいという本能を、お前は地位も名誉も金もないのが現実だと理性で言い聞かせる調教を、noteを書くたびにしなくてはいけないのが苦しいところだ。

最近は家の前での日光浴を再開した。
2年ちかくずっと部屋に引きこもっていては健康に悪いということもあるが、1番の理由は、近所の人から変な目で見られないためだ。
以前、俯きながら散歩していて近所の人とすれ違うことがあった。
ということは自分が地元に帰ってきたことは町の悪いネットワーク伝いの噂で知れていると思う。
ともすれば、次に近所の人は自分に、あの人仕事は何をしてるんだという疑問を向けるだろう。
なので現在何もしていない自分が引きこもっていては、近所から引きこもりのいる家としておかしな家族扱いをされてしまう。
それでは親に申し訳ないので、自分が考え出した案は、朝の7時半くらいに綺麗めな服装をして日光浴をして、近所の人に会った時には元気よく挨拶をし、その後にスマホの電話に出るふりをし、可能な限り引きこもりの要素を排除して、近所の人に「あの人は地元帰ってきて流行りの家でリモートワークでもしてるんじゃないの?」となるべく言われるような出立ち立ち、振る舞いをしている。
その効果が出始めているのか、それまで付き合いがほとんどなかった近所の人が白菜と大根をお裾分けしてくれた。
ついでに美味しい調理法も教えてくれたので、おそらくは田舎の変な噂のターゲットからは外されていると思う。
これからも日光浴をして、無職が仕事熱心な人物を演じて近所に人の目を誤魔化していきたいと思っていたところだが、今日の昼頃、病院に行った時にお隣さんと待合室で一緒になってしまった。
お隣さんは誰かの付き添いできていたようだが、自分は1人できていたので咄嗟に顔を下に向け、マスクの位置を目頭の辺りまで上げた。
お隣さんとの間に人は2人いたのだが、もしかしたら見られたかも知れない。
挨拶をすればよかったのか。
病院で会ってしまったことに後ろめたさがあったことがなにより情けない。
自分に1番偏見があったのが自分だということが露呈し、もしかしたら地元に偏見があるのは自分だけなのかも知れないと思うようになってきたが、そんなことはなかった。
待合室でお隣さんと連れの人が町の噂をしていた。
やはり自分のリモートワークをしている偽装生活は正しかったのだと思った。
とにかく、この生活に見切りをつけたいところだ。

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