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ずるいということ-ズルい女-

人影の中に見えるもの

写真は交差点に映る人の影です。
説明しなくてもわかりますね。。

この影ですが、影があると、人がいることが分かります。写真には人は写っていませんがわかります。

人は他者をどう見ているかということですが、
人はそれぞれ、頭の中に他者像を持っています。

人の影は、他者の見ている誰かの像ということです。

この人はこういう人。
あと人はこういう性格の人。

他者像としてどういうものを結ぶかは
普段の「関係性」に寄ります。

信頼できる人。
信用ならない人。

誠実な人。
不真面目な人。

きちんとした人。
いい加減な人。

全く「あらゆる意味で」面識のない人に、
他者像を作り上げることはできません。

ここからが本題です。

関係性と理想像

信頼度が高い像を作ること。

親密な関係にある場合にそれに合った像を作ること。

夫婦や恋人関係の中で、相手に抱く深い信頼像を作ること。

この「信頼」や、「親密さ」、「愛情からくる結びつき」。

先日「ヤマアラシジレンマ」の話を書きましたが、近い関係性の間では、この思い入れ度、理想像が高いものとして設定されがちだと言うことです。

ここで、他者が、ある意味自己が勝手に作り上げた他者像を壊されたとき、同時に、自己が作り上げた像が否定されることでもあります。このとき、「他者への幻滅」と同時に、「自己を否定された感情」も生じるのです。

そこで出てくる言葉が「ずるい」です。

「ズルい女」という曲

シャ乱Qの名曲「ズルい女」

詩は聴いていただければわかりますが、
相手を深く愛したが故にヒシヒシと感じる「ズルさ」が語られています。

「べき論」や、個人の価値観に対する強い信念、他者の過度の理想化。

そうしたある種の個人的正しさを相手に求め、
それが裏切られたとき、「ズルい」と感じるようです。

もちろん法律的な正しさはまた別の話です。


憲法学の長谷部恭男先生が書かれた著書に
「比較不能な価値の迷路」という名著があります。

ある人の想いと、
他者の想いのすれ違い。

それはどちらが正しいのかは
比較不能な価値だと思うのです。

「ずる」と感じるのは人の他者への像をどう結ぶか。それ次第。
自己が他者に見ている他者像、その見方次第で
「ずる」かは変わる。

絶対的ズルというものはあるのか?

そんなことをつらつらと考えていました。

ではまた。

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