わたしだけのしゃかいじん日記

しゃかいじんはつらい。

いや別にね、所謂正社員でサラリーマンと呼ばれていて上司の気まぐれに一喜一憂右往左往してとか、そういう「社会人」に限らず。
社会に生きるって私はつらい。

最近のトレンドの「あなたはあなたらしく、わたしはわたしらしく」みたいなやつ。
これ、社会に生きてたら達成し得ないことだよね。
どこかで自分を殺さないといけない場面ってあるし、どこかで「この感情はあとでね」って自分に言い聞かせないといけない場面もある。それが社会だから。
わたしが突然、難しい仕事を終えて自分の働きに感動して会社のフロアのデスクの前で突然立って叫んでしまいたくなっても、社会で生きている以上「波風をたてない」ってことが大切なときもあるから。ね。ほら、我慢するでしょう?

ちょっと極端だけど、そんな楽しくも少し息苦しい、"しゃかいじん"生活が始まって4年目の今。
しゃかいじん1日目のナイスアイディアによって支えられているお話。

始まりは毎日に突然放り出された、大学4年生と1日のある日。

しゃかいじん生活1日目、とも言う。

一生懸命就活をして、「こんなところがこの会社の素敵なところ!」って思って乗り込んだ、初めての日。
私自身はじめましての人だらけの環境が得意ではないこともあって、みんなの様子を見てどんなキャラが敵を作りづらいのか、どんなキャラであれば愛されやすいのかをチューニングして楽しそうな様子を演じて終わった。

さすがにそんな労力のかかる日々、1ヶ月と続くわけもなくて、
5月が始まる頃には例に漏れずに5月病。会社なんて入りたくなかったし、今の生活何も楽しくない。

あーあ、でもわたしってば大富豪の令嬢でもないし宝くじにも当選してないしさ?
働かないと買いたいものも買えないやりたいこともできない生活が待ってるってわけ。

じゃあどうしたらいい?前を向くしかない。

そうしてできたわたしによるわたしのためのTwitterハッシュタグが、
「#今日も明日もイケメン」
だった。

基本的に楽しさを見出だすことのできないしゃかいじん生活ってやつの中で、
ひとさじでも嬉しいことや幸せだったことがあったら、
それを未来の自分が追体験できるような形で文章に残すこと。
未来の自分がつらくなったときに、このタグを追えば気持ちが楽になるように。
そう思って入社年度の5月16日には初ツイートをした。いや、わたしほんとに新しい生活苦手だな?などと思いつつ。
(最初は同期に友達をたくさん作ってその人たちに遣ってもらってみんなの幸せな出来事を蓄積していってもらおう、って思っていたけれど、同期に複数人の友達なんてできなかった。無念。)

書く内容なんて決まってる。
私が嬉しかったこと、幸せだったこと。
これに尽きる。

だって前を向くためのものだもの。

そうして蓄積され続けた言葉と、苦楽を乗り越えた日々。

苦楽、なんて大層なものではないけれど。でもいっぱしに私だって苦労したのよ。苦労の内容は割愛するけれどもね。
「会社に入って辛かったこと、ありますか?」って聞かれたら、
「当然あるわ笑」って即答できちゃうぐらい。
1人でトイレで泣きに行くぐらい。通勤途中や帰り道に1人で電車の中で泣いちゃうぐらい。

でもね、わたしどんなにつらい時も1人にならなかったの。
初めての仕事でどうしたらいいのかわからなかった時も同じ部署の面倒見の良い先輩が絶対に声をかけてくれたし、ちょっと慣れてきてからも気のいい先輩が飲みに連れ出して話を聞いてくれたし。
それからこれが一番びっくりしたけど、仕事を続けていくにつれて同期にも友達が見つかったの。私自身キャラを作ることできっと同期に壁を作っていたんだろうね。たくさんではないけれど、「この人になら相談したい」って同期が何人かできてくれた。そして同期たちも、自分の話を交えながら少しずつお互いの話をして毒抜きに協力してくれた。

そんな日々と共に出来上がっている「#今日も明日もイケメン」だから、気付いたら他人のことばっかり書いていることに、4年目の9月にやっと気付いた。
ちょっと読み返しても、自分の成果について書いてあるツイートが1つも見つからない。(もしかしたら成果出してないのかも……いやそんなことは……)

ねえ、それって私が人に支えられてここまでしゃかいじん生活してきたってことなんじゃない?

自明。だってそうでしょう。
「#今日も明日もイケメン」には、誰かが私を助けてくれた嬉しい瞬間とか、誰かに励まされた元気の出る瞬間とか、そういうことしか書いていないんだもの。私はそういう部分に幸せを感じていて、未来の自分もそうに違いないって確信していたってことだもの。
本当に嬉しくなってしまうようなことを誰かがしてくれて、自分の中でコンテンツ化できるほど何人もの人が何度も私に手を差し伸べてくれたってことの表れだと思う。
私はたくさんの人に支えられて生きている。

しゃかいじん生活、なんてつらいんだ!って思っていた。

私を支えてくれたたくさんの「人」、もしかしたらこれって社会ってことなのかも。って、今思った。
社会に生きることが苦しいながらも、しゃかいじん生活を送っていたけれど、私、ちゃんと社会のこと好きかも。
仲良くない人とカラオケに行くのはつらいし、偉い人の鶴の一声でこれまでの会議の流れが一転するのもいやだ。そんなのは4年目の今になったってずっとそう。変わるものではない。

でも。私には人がいる。ありがたい。私は本当に運が良い。

社会人1日目の私が思ったことを社会人1か月目の私が記録し始めた。

そうして4年目の私は快適にしゃかいじん生活を送ることができている。
これ、きっと今だけに限った話じゃないよ。
きっとね。
これからもずっと。

しゃかいじん4年目の私、未来の私を支えるために、引き続き日々の嬉しいことや幸せだったことを記録しながら生きていきたい。ようし、記録するぞ。
いつか辛くなった時、自分の周りの人たちと過ごした日々を思い出して少しだけ顔をあげられるように。
しゃかいじん日記、続けてくれてありがとう。これからもよろしくね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?