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Story behind the "Seeding" - Seedingの裏物語

"The Greening of America(邦題:緑色革命)" という1970年に発刊された一冊の本があって、若いころのぼくは、その本、というかその本に描かれていたアメリカ西海岸のカウンターカルチャーなるものに、ずいぶん惹かれていました。

60年代に起こった新しい意識の動き。
それは、それまでの社会と人間との関係に疑問をいだき、自分自身、他人、社会、自然、国土などに対する新しい関係、社会のメインフレーム依存しない自立した生きかたを創造しようというものでした。

この"greening"というのは、そのころ芽生えたそういう新しい価値観をもった世代のことで、そういう変革の現象に、著者であるチャールズ・ライクが名づけた言葉です。

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このいかにもアメリカらしい脳天気なムーブメントは、大人たちの体制や商業主義を突き崩すことはできず、ヒッピーと呼ばれた彼らはけっきょく資本社会の波にのみ込まれてしまったわけですが、たとえば今もてはやされているエコロジーやオーガニック、そしてサスティナビリティといった環境にまつわる様々なこと、また、人種やジェンダー、性的嗜好による偏見のないLGBTの世界観、そして自由な選挙やいわゆる無党派といった現代社会の良質な概念のほとんどのものが、無邪気な理想主義から始まったこの若者たちの理想主義的な思想の上澄みにしかすぎないように、ぼくには映っています。

そして昨今しきりに議論されるローカル・コミュニティのありかた、ひょっとしたらインターネットだって、このムーブメントがなければ何年も遅れていたのかもしれないとさえ思います。

10年前に亡くなったAppleのスティーブ・ジョブズは、ぼくと年が同じで、しかもこの「騒乱」の中心地だったサンフランシスコ周辺の人ですから、たぶんもっと強烈に、この意識の影響を受けていたはずで、彼の指向した「パーソナル・コンピュータ」の概念そのものが、「新しい意識をもった新しいコミュニティ」への道しるべであろうとした"Whole Earth Catalog" の、「access to tools」というコンセプトの今日的表現だと考えれば、彼がその本から引用した "stay hungry, stay foolish"という言葉が、より鮮明に見えてきます。

「三つ子の魂百まで」ではないですが、東北大震災による原発の事故、そしてcovid-19のパンデミックを契機として、成長や拡大じゃない共生(share + re-size)ということを模索する中で、もういちど原点に還ることも悪くないんじゃないか、というのが、ぼくがこの"Seeding"という言葉にこめたメッセージです。

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