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光岳( 2591.5M)

光岳っていう山があるんですが一緒に登りませんか?

友人から誘われ

ん? てかりだけ?

どこだろう、そこは と首を傾げながら話を聞くと

小屋まで8時間かけて歩かないといけないのに

頂上からの眺めがほぼないために

「絶望のテカリ」

なんて呼ばれてるらしいんです

と話が続く

そんな山にどうして登りたいのかというと

40年間山小屋を営んでいた夫婦が引退し

新しく管理人になった女性と仲良しで

ぜひ会いに行きたいのだけど

一緒に登ってくれる相手が見つからないということだった

若い女性が山番をしているということも気になったが

長い時間山を歩けるということに心動かされ

一緒に行こう、行きたい とその場で返事をした

未知の山域、南アルプスの風を感じておこうと

少し前に北岳(3193M)に登ってみたら

その山深さと雄大さに心も体も鷲掴まれたので

光岳行きを今年の夏登山のピークとして心待ちにした

山登りをするときは

当日までの数週間、下調べをする時間がある

登山口までどのくらいかかるか、

どんなルートがあるか、

どこで休憩がとれるか、

水はどのくらい必要か(湧き水があるか)、

食料や携行食はなにを持って行くか、

季節に合わせて服装や携行品はなにが必要か、

小屋泊か、テント泊か、日帰りか、

本格登山か、トレランか、

小屋で読む本はなにがいいか、

帰りに立ち寄れる温泉はあるか、

買い出しはいつどこに行こうか・・

それらを考え、調べている準備の時間がとても楽しい

毎日何度も天気予報をチェックし

だいたい前日はワクワクしてあまり眠れない

当日、午前2時30分に友人と待ち合わせていざ南信へ

約4時間かけて登山口まで車を走らせる

友人の車は軽バンで後ろが眠れるようになっていて交代で運転しながら仮眠をとる

眠れないかと思ったら気づくとよく眠っており

目を覚ましたら山深い谷を走っていた


南アルプスの最南端

大きくてごおごおと流れる川の水は

雨で濁ることもなく透き通って青白い

八ヶ岳や北アルプスとは違う呑み込まれそうに広大な自然の中で

自分が小さく、とても小さく感じた

玄米塩むすびをほおばり、歩き始めて30分

張り切ってお土産を詰めたザックが10キロ近くあり

頭から汗がとめどなく流れてくる

足は軽々歩いてくれるもののその量の多さに不安がかすめた

しかし1時間ほど歩くとザックの重さにも慣れ

歩く一歩一歩が楽しくてしかたなくなった

もうこのままずっと歩いていたいと思うくらいに

歩くことそのものに胸踊った


そして面平

300年前の地震でできた山の中腹の広場には

大きなサワラの木々がまっすぐと空高く伸び

古木はまるでシロナガスクジラが波打ち際に横たわっているように見えた

面 平 の トルネードくじら(勝手に命名)

みどりの霧の林の中で深い海の底を歩いているかのような気もした

そこから2時間半で易老岳(2354M)に到着

立ち枯れの木に囲まれて昼休憩をとった

味噌汁とバナナデニッシュとナッツ

歩いてきたことそれだけで満たされ

もうなんだか充分だね と

友人とも感覚を共にした

シラビソの林を1時間ほど下り、それから1時間岩登りが続いたあと

静高平に出る

やわらかな湧き水がこんこんと流れる湿原だ

霧まく先に光岳小屋が見えた

おお、見えてしまった 着いてしまった

ここまで8時間歩いてきたにもかかわらず

もう少し歩きたい! とからだが言っている

管理人のはなちゃんにあいさつも早々に

ザックを置いて頂上と光石まで駆け出した

なんだか走りたくなるハイマツの丘だった

霧で展望はないものの

わずかに陽の光を感じた

もうそれで十分で

光石の上に寝転んで

ひと時のあいだ、眠った

光岳小屋は山小屋とは思えないほどのもてなしと

登山者へのいたわりが伝わってくる小屋で

食事も寝床もトイレも小屋番の二人の笑顔もメッセージも

川根本町のお茶も

ひとつひとつに込められた気持ちが届いて

またすぐにでも来たいと思ってしまった(たぶんまた行く)

2泊3日で聖岳まで縦走する予定だったが

光岳で心満たされたわたしたちは

そのあと2日の雨予報を聞いて下山することにした

翌日は雨や霧の中で

苔やきのこがふかふかつやつやして

その悦びが溢れて

雨や露と共に浴びているようだった

それは わたしのなかで

宮沢賢治の心象スケッチのなかの

「わたしたちは
氷砂糖をほしいくらいもたないでも
きれいにすきとほつた風をたべ
桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます」

「注文の多い料理店 序」宮沢賢治

という感覚と連なっていた


歩きながら考えていた

山や森で呼吸をし、歩くことが

人の心とからだに本来のありようを取り戻させてくれる

心やからだを傷め、病んでいる人たちに

そういうことを体感してもらえるような

そんなことができたら


そう

まだ、やれることがある

光岳は

わたしにとって

絶望どころか

希望の道を照らしてくれる山だった

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