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未完の人

この写真、誰だかわかる?

と、小4になった甥っ子に聞いてみた

考える間も無く甥っ子は

「じいじとゆばちゃん?」

と答えた


思わず柔らかな頬にかさついた頬を擦り合わせた


「わたしも小学校6年生までこれじいじとゆばちゃんだと思ってたんだ」

と笑って返した


横1メートルほどのしっかりした板に貼り付けられたその写真は

わたしの幼い頃の両親の記憶そのものだった


ここ2年ほどの時間をかけて

母は少しずつ言葉を、記憶を、家事を、仕事を、手放した

3月末で最後の仕事を終えたところで

父が事故で入院した


やっと穏やかな夫婦2人の暮らしができ始めたと思うか思わないかの頃だった


幸いにも父は命には別状なく

後遺症はあるがゆっくりと回復していく見込みだ


父の話をするときに

母は「お父さんのは治るけどわたしのは治らないんでしょ 悪くなる一方なんでしょ」と言った


母は介護福祉のNPOに長くかかわり、国家資格も持っている


自分の脳でからだで起こっていることをよくわかっているはずだ


わたしは、「もともと父が抜けてばかりの人なので母が少し抜けたって父にはかなわないよ」と返した


医学的には進行する=悪化すると言うのかもしれないがどうしてもわたしにはそう思えない

心底、そうは思えない


今まで知識や社会性や役割などでかためて、演じてきた何かを1枚1枚剥ぎながら

生まれた姿に帰ろうとしているような

そんな気さえして


今ならずっと話せなかったこと、聴きたかったことを聴けるんじゃないかと思える


今しか聴けないと、そう思う

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