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【インタビュー】人のために全力になれる人。優しくて、強くて、涙もろくて、温かい美容師さん。

このnoteでは、社会のセイフティーネットから漏れた友人支援ための「寄付などの返礼品としてのインタビュー」を、本人の了承を得て掲載しています。ここに登場するのは「微力ながら」と寄付を申し出てくれた一般の人たちです。そんな、温かい人たちのインタビューを読んでいただければ幸いです。

 記念すべき一人目のインタビュイーは友人でもある喜久子さん。私が支援を始めた時、真っ先にこの「インタビュー付き寄付」を申し出てくれた。本音で話せる相手だけど、インタビューは初めて。いつも人のために、自分の労力や、時間を惜しみなくささげてくれる、優しくて、温かくて、芯の強さがある喜久子さんの素顔と、高いボランティア精神の源に迫りたいと思う。

環境に配慮した優しいサロン

 喜久子さんは、四国中央市で「美容室ICOI」(びようしつ いこい)を営んでいる美容師さん。スタッフは本人のみの、完全なパーソナルサロンだ。我が家も一家全員がカットでお世話になっている。私の友人たちも「美容室ICOI」さんでカットしている人が多く、その理由は、その人のことを本人以上に考えてくれる丁寧さと、温かい人柄、そして、研究熱心さと、環境に配慮した気遣いなど。シャンプーでは炭酸泉もあり、ヘナは100%天然のものを使用。店舗の壁は珪藻土で、電磁波のないオールアース。一言で言うと「環境意識」が高いサロンだ。

 そもそも、喜久子さんの「環境意識」の高さは、アンチエイジングがきっかけだったそう。美容関係の本を読み漁っているうちに、肌を美しくするには、環境や食が大事だというところに行きついたから。興味があることはとことん追求するタイプなので、美容とともに、環境保全活動にものめりこんでいくようになる。

自由奔放でおてんばな少女時代

 喜久子さんは、4人兄弟の末っ子として生まれた。インドア派の上3人とは違い、自由奔放で、おてんば少女だったという。とにかく強制されることが嫌いな自由人で、納得のいかないことはしなかった。低学年のときは男子とよく遊び、一人でも虫取りに行ったり、木の実をつぶしてジュースにしたりと、外で遊ぶことが好きだった。家庭では、親に甘えるのが苦手で、お母さんも我が子を甘えさせるのが下手だった。そんな喜久子さんは外へ外へ、自分の存在価値を探し始める。

 中学生になり、バレー部に入った。でも、中学2年のときに退部した。持ち前の自由奔放さゆえ、集団行動がしんどくなったから。加えて、厳しい校則も苦痛だったが、校則にひっかからずにオシャレに見える髪型を工夫するのが得意だった。そして、中学3年になると、美容師かパティシエになりたいと思うようになった。

 高校に入ってからは、学級委員をしたり、文化祭で作文を読んだり、野球部の部活紹介でテレビにも出演した。活発な女子高生という印象だが、その行動動機は「誰もやらないんだったら私がやります」というお助けマインドと、「やってみないとわからない」という好奇心だった。さらには、お年頃なので「彼氏が欲しい」という思いから、2ヵ月で10キロのダイエットにも成功した。今に続く美意識と行動力は、この頃から芽生えていた。

美容師になるため、大阪へ

 高校卒業後は、大阪の美容系専門学校に進学した。そこでは6畳ほどの部屋に、2段ベッドで4人が暮らす寮生活を経験した。門限も19時と厳しかったこともあり、遊びより、恋より、学業に励んだ。卒業後は、東京の美容室で働きたかったがそれが叶わず、地元の美容室に就職した。そこで4年間働いたのち、寿退社。26歳で長男を出産し、4年後には次女も生まれた。そして、アンチエイジングに目覚め、環境保全活動へと傾倒していく。

誰かに「認めて欲しい」

 行きついたのはロハス倶楽部。地元でサトウキビの栽培と昔ながらの手作り黒糖を製造する環境保全団体だ。栽培や収穫を手伝ったり、イベントを企画したり、子育てと美容師をしながらも、「自分の頑張りが環境のためになる!」との思いで、活動に熱を注いだ。

 私と喜久子さんは、このロハス倶楽部で出会った。私の主人が自然農法農家をしていて、ロハス倶楽部のメンバーだった。初めて喜久子さんに会った時、すごくきれいで、おしゃれな外見と、地道な環境保護活動が結びつかなくて、びっくりした。それに平均年齢60~70代の団体の中で、一人若い存在だった。

 喜久子さんの熱の入れようは、半端なかった。家庭や仕事がありながら、こんなに時間も労力もかけて大丈夫だろうかと、心配になるほどだった。案の定、大丈夫じゃなかった。喜久子さんは自分を犠牲にして、かなり無理をしていた。その心の奥底には幼少期から抱えていた、誰かに「認めて欲しい」という思いがあった。

自分と、向き合う

 その頃、喜久子さんには、離婚や長男の不登校など、いろいろなことが起こった。そしてそれをきっかけに、自分と向き合うことになる。そもそも、自分に似て自由奔放な長男を尊重したい気持ちはあったが、だんだん世間の目が気になるようになった。精神的にもしんどくなり、藁にもすがる思いで、コーチング、親行、メンターなどのセミナーを、3カ月~1年のロングスパンで受講した。そして気づいた。

 「これは息子の問題ではなく、自分の問題だ。結局は自分の心の癖なんだ。相手は変えられなくても、未来と自分は変えられる!」

 そう思えるようになってから、まもなくして、長男は学校へ行くようになった。

 「0か100か」、「やらないか、全力か」。ほどよく手を抜きながらやるということができないという、自分の特徴にも気づいた。それからは、無理することを辞めた。無理をしすぎて、支援したいはずの人やことが、嫌いになってしまうのも嫌だった。

本音で話せる場所をつくりたい

 今、喜久子さんには行きたいところがある。澤 円さんのVoicyで知った、紫乃ママの「昼スナックひきだし」だ。ここは人材育成のプロが始めたスナックで、ママはファシリテーターみたいな役割を担い、来た人同士をつなげて、みんなで話せるようにするそうだ。特徴的なのは、そこに来た人は、本音スイッチを押され、誰もが本音でしゃべってしまうということ。

 喜久子さんは「今の世の中は、本音で話せる場所が少ない」という。これまで、本音で話して受け入れらない経験を、幾度となくしてきた。だから同じような思いを、他の人にはしてほしくないと願わずにはいられない。

 だから、喜久子さんは「美容室ICOI」を「昼スナックひきだし」のように本音で話せる場所にしたいと思っている。そして、本音の話を受け止めるために、まずは自分自身を受け入れようとしている。

 ほんとは小さいころ、お母さんに褒めてほしかった、お母さんに受け入れてほしかった。受け入れてくれていることはわかっていたけど、そういう言葉をかけてほしかった。だけどそれは叶わなかった。

 喜久子さんは持ち前の行動力と優しさで、これまでにたくさんのボランティア活動をしてきた。ロハス倶楽部はそのひとつに過ぎず、私が知る限りでも、たくさんの人を陰で支える活動をしてきた。彼女自身、それを自分が認められる実感が欲しかったのかもしれない、と振り返る。

 さまざまな経験と気づきから、今やっと、自分自身を認められるようになってきた。だからもう、無理はしない。「世界平和」を心から願いつつも、気負わず、それを叶えるために、小さくても自分ができる最善のことをコツコツ積み重ねたいと思っている。

 「自由に生きたい」だから「本音で話せる場所を作りたい」。子どもたちにとっても、そういう世の中にしていきたい。

 自分も学生時代に経験した、前髪の長さなど、理不尽とも思えるような校則は、大人が声を上げることで改定されれば、子どもたちが「自分たちの力で、世の中を変えることができる」と思うかもしれない。「そういう小さな行動を積み重ねることで、子どもたちの自由な未来を守りたい」

 「美容室ICOI」では、大人も子どもも、カットされながら泣いてもいいし、愚痴ってもいいし、笑ってもいい。「お客さんと本音で話して、髪も心も軽やかになれる場所にしたい」と話してくれた。

「美容室ICOI」美容師 喜久子さん

 インタビューの最後には、何とかしたい社会課題をひとつ聞くことにしている。喜久子さんが気になる社会課題は「生きにくさを感じる、こどもたちを何とかしてあげたい」というものだった。



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