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【インタビュー】「どこに行くかわからない人生が楽しい」高田 裕明さん

このnoteでは、社会のセイフティーネットから漏れた友人支援ための「寄付などの返礼品としてのインタビュー」を、本人の了承を得て掲載しています。ここに登場するのは「微力ながら」と寄付を申し出てくれた一般の人たちです。そんな、温かい人たちのインタビューを読んでいただければ幸いです。

世界一周して、書籍を出版して、関東から四国に移住して、キッチンカーでバインミーを販売して、キャリアカウンセラーで、セミナー講師をして、都会の消費者に西条の野菜を直送して、2児のパパで......

高田さん、一体何者ですか!!

高田さんと接点のある多くの人が、この謎を抱えていることと思います。人が一生の中で体験できることは限られていますが、「新しい点を打ちに行っている感じです」とご本人がおっしゃる通り、人生の経験値(=点)が人の3倍速くらいのスピードで増えていっている高田さん。この無数の「点」が、近い将来どんな形を描くのかは、誰もが気になるところ。そして、高田さん自身も「どこに行くかわからない人生が楽しい」と言うようにそれは未知の世界。

このインタビューでは、そんな高田さんがこれまでに歩んできた足跡(点)を、ご紹介しながら、高田さんの真の魅力に迫りたいと思います。

完全に多動力

まずはじめに、2021年8月時点での高田さんをご紹介すると、主に3つの仕事をしている人です。

1.キッチンカーAKI’s KITCHENでベトナムのサンドイッチ「バインミー」を販売。
2.西条の野菜を、関東や関西の消費者約300件に直送。
3.キャリアカウンセラーとして企業研修など。

そして、昨年まではNext Commons Lab 西条(西条市が地域おこし協力隊の制度を利用して募集した起業家団体)のコーディネーターとして、起業家支援も行っていました。そう、完全に多動力の人

高田さんによると、現在の3つの仕事は、キャリアを考える上で重要な3つの要素に分散されているとのことで

◎西条やさい便=Will(自分のやりたいこと)
◎キャリアカウンセリング=Can(自分のできること)
AKI’s KITCHEN=Must(自分がやるべきこと)

さすがはキャリアカウンセラー!

ところで、そんな高田さんは、一体どのように育ったのか?早速、高田さんの子ども時代までさかのぼりたいと思います。

お父さんに洗脳された、3兄弟のお兄ちゃん

東京都小平市。東京都の多摩地域北部に位置する人口約19万5千人ほどの町。

高度成長期にはベッドタウンとして人口が急激に増加し、大手企業の工場や、大学・専門学校などの教育機関も充実した町で、高田裕明さんは、高田家の長男として生まれました。

そして、小学校入学のタイミングで、都心から40キロメートル圏に位置する埼玉県入間市に引っ越し、緑に恵まれた環境で育ちます。

「決まりを破るのが僕の役目でした」とご本人が言うように、弟と妹がいる3兄弟のお兄ちゃんは、小さい頃から人一倍アクティブだったようです。

小学校4年生くらいの夏休みには、埼玉の自宅から神戸のおじいちゃん宅まで夜行バスで一人旅をしたり、小学6年生になると友達と一緒に夜行バスで北国に繰り出したり、10代後半では、弟さんと2人で海外旅行に行ったりと、超アクティブ!!

それもそのはず、高田さんの部屋のドアには、物心ついたときからお父様の直筆で「自分で考えて行動する」と書かれた紙が貼られていたそうです(弟さん妹さんにもそれぞれのメッセージ)。「洗脳されましたね」と高田さん。日々それを目にしながら、何事も自分で考えて行動し、高田少年はすくすくと育っていきました。

素直で、人を信じる力が強い少年

小学校卒業後は、中学受験に失敗し、地元の公立中学校に入学。最初のテストでは成績が振るわず、同じ野球部の友人に勉強方法を聞いて取り組んだところ、2年生になる頃にはどの教科も9割以上の点数が取れるようになったそうです。特に数学はダントツの成績で、偏差値65~70の高校も射程内だったとのこと(凄!!)。

中学3年生になると超有名私立高校を狙える学力がありながらも、「クーラー付の学校がいい!」という本人の希望のもと、先生に勧められるがまま、城西大学付属川越高等学校に推薦入試で合格し、入学することになりました。

小学生で一人旅デビューをするなど抜群の行動力がある一方、中学・高校受験などの進路に関しては、さほど強い意志もなく、人の意見に流されがちな高田さんでしたが(笑)、当時も今も変わらないのは、人を信じる力が強く、とても素直だということ。

高校生時代は、ハンドボール部に所属し、部活に励んでいたそうですが、2年生になって1日だけキャプテンを務めた後、自らの意思で退部。ところが、主力選手だった高田さんには、その後もお声がかかり、試合には出場していたそうです。

友達にも恵まれ、充実した高校生活を送っていた高田さんでしたが、同時に麻雀の楽しみも覚えました(笑)。それは3年生になっても続き、当時2日間連続で行われていたセンター試験の1日目終了後も友達と麻雀をし、案の定、2日目の試験では結果がふるわず、浪人することになったそうです(そのときのメンバー4人中3人が浪人生に、、、)。

26歳くらいまで、「モテたい」だけで生きていました

予備校に通い、1年間受験勉強に励んだ結果、翌年には国立信州大学(建築学科)と関西大学に合格!国立か私立の2択のうち「マスメディアは女の子にモテそうだから」という理由で、関西大学 総合情報学部への入学を決めたそうです。ここでは高田さんのモテたいという一貫した強い意思が反映されています(笑)。

大学では、コマーシャルやCG制作の授業が、あまりに細かい作業だったため嫌になり、教職に興味はあったものの、教員免許が取れる授業が夜だったためバイトを優先して受講しなかったりと、あきらめも早かった様子。

「大学時代は、彼女とバイトとバンドしかしてなかったですね(笑)。26歳くらいまで、モテたいだけで生きていましたから」。

3年生になり、1月のテストの時期になると、スーツを着た友達が就活をしているのを知って、自身も2月に就活をスタート。職種は問わず、飲食、出版、金融、商社、アパレルなど、知名度のある会社には一通り応募したそうです。1日3~4社のペースで、面接か説明会に足を運んで、2ヵ月間で50社ほど受けたそう。そして、内定の出た2社のうち、株式会社内田洋行(情報システム、教育システム、オフィス構築を手がける専門商社)に入社することになりました。

3年で10年分くらいの仕事をしました

入社後は、研修期間を経て、オフィス部門への配属が決まったそうですが、そこは「不夜城」と呼ばれる、帰宅もままならない部署。オフィスのインテリアコーディネーターとして、契約企業のオフィス空間を作る仕事で、忙しいときは1日で8現場を担当し、携帯電話が鳴り止まなかったそうです。お金を使う暇もないほど、働きづめの日々で「3年間で10年分くらいの仕事をしました」と高田さん。

その「不夜城」で仕事を教わったのがトップ営業マンの先輩でした。「相手に楽をさせる、レスポンスを早く、ミスをしない」といったビジネスの基本から、失敗したときの対処法まで、徹底的に叩き込まれ高田さんは、それらを貪欲に吸収。先輩が部署異動した後も業績を伸ばし、なんと3年目にして異例のトップ営業マンとなったそうです。

そのときの気持ちをたずねると「会社は好きでしたが、ワーホリ行きたいから、来年辞めようと思っていました」とまさかの返答。こだわりも、執着もなく、フットワークが軽い高田さんらしいといえば、らしいのですが(笑)。

そして高田さんは、トップ営業マンとなった翌年、会社を退職しました。

26歳くらいから人生が始まる

上場企業期待のトップ営業マンとあって、課長、課長、課長、部長と、連日上司からの引き留めにあったそうですが、高田さんの意思は固く、退職日の折り合いをつけて、数カ月後に退職。結局ワーホリには行かず、化粧品販売などの個人事業を始め、そちらでも才能を発揮しました。仕事環境が変わったことで、関わる人や読む本などもがらりと変わり

『何とかなるや』から『何とかしよう!』と思うようになりました。『真剣に生きた方がいいんだな』ということに気付いた26歳くらいから僕の人生が始まったので、今12歳くらいですね(笑)」

さらには、資産家と会う機会にも恵まれ、なんとあの本田健さんにも会ったとのこと。「失敗した後に行動するのが怖い」という高田さんに、「すべてを味わうんだよ」とアドバイスされたそうで、そのときは意味がわからなかったものの、この言葉がその後の高田さんの人生に、大きく影響したそうです。

営業トップになり、独立し、いい出会いにも恵まれ、ここまで上り調子だった高田さんの人生は、この後、谷へと向かいます。

派遣切り、詐欺に合う。落とし穴にはハマる。

事業がうまくいかなくなり、預金残高は2円、クレジットカードは上限に達し、シェアハウスで同居していた友人のお米を食べて、食い繋いでいたそうです。さらに、お金を稼ぐために、入った会社では派遣切に合い、いわゆるどん底だったわけですが、「”派遣切り"というトレンドも押さえられたので、いい経験ができました」と、むしろうれしそう(笑)。

その後は大手人材会社に契約社員として就職し、新卒未就職者向け就職支援事業のプロジェクトの立上げから、新規開拓営業、キャリアカウンセリング、運営などに携わって、残業も多かったようですが、先の「不夜城」を経験していたので、さほど苦にはならなかったそうです。

キャリアカウンセリングという天職のような仕事にも出会い、どん底時代に作った借金も返済した高田さんでしたが、今度は、詐欺に合います。でも「詐欺に合える人なんて、少ないじゃないですか。何が起きても自分のせいだし、見る目がなかった、ということですね。でもおかげで、危険を察知するアラートがわかるようになりました」と、超ポジティブ!!いや、ポジティブという言葉さえ不自然に感じるくらい、高田さんにとっては、何が起きても普通のことのようです。

「経験欲は昔から高いですね。いろいろな経験がしたいので、落とし穴には全部ハマります。わかっていてもハマる傾向にありますね(笑)」

だから高田さんには、どんどん「点」が増えていく。 

「これまでに、たくさん失敗したけど、今生きてるし、穴にハマっても上がってこれたので、たいがい何でもいいんですよ」

そして、こんな経験も。

「富士バカと言う企画で、お金を持たずに、東京から富士山まで4日かけて歩きました。道端で寝て、食べ物に困ると、人に『ください』って言ったらくれるんですよ。くれない人もいましたが、成功哲学の話をすると、8/10はハズレても、2/10にはアタリが入っているので、10人に聞いたら2人位はくれるんです」

さらには、

「経験はめっちゃしていますね。世界一周(本来、四文字では終われない話題のはず)や、本を出す(これも)苦しみも味わっています。変換能力も長けてきたので、例え話も得意ですよ」。

質問や相談されても、自分の中の引き出しがパカッと開いて、瞬時にアドバイスができるそう。

そこで「その時々のことを、事細かに覚えていないと、引き出しが開かないのでは?」と尋ねると

失敗しているからですかね。失敗すると、一生懸命やらざるを得ないし、穴から必死で上がろうとしてきた当事者なので、細かく覚えていますよ」

なるほど!!この説得力!!

動いただけでブルーオーシャン

成功哲学の知識も豊富な高田さんによると、「成功者のメッセージはだいたい同じで『動きなさい』ということ。じっとしていても、変わるのは髪の毛が伸びて、二酸化炭素を出すことくらいですよね。でも、誰も動かないから、動いただけでブルーオーシャンなんです。だから、何でもやりますね。ダメだったら次に行けばいいし、失敗しておくと、後々、ごはんのおいしさが味わえるから、むしろ失敗を集めている感じですかね」(最強!!)

そして、高田さんが失敗を恐れないのは、成功哲学の知識や、自身の経験によるものも大きいと思いますが、このこともすごく大きいと思います。

基本、性善説で生きています。怖い人から、いい人まで、全部の人のおかげで生きています

インタビュー中、高田さんの口からは、何度も「人に恵まれていて」と言う言葉が出てきました。学生時代のエピソードにもある通り、高田さんは人一倍人を信じる力が強く、とても素直な人

キッチンカーを始めたのも、「西条ブルーベリー農園」の寺田さんが「ソフトクリーム屋さんやってみたら?」と提案してくれたのがきっかけだったそうです。トップ営業マンで、キャリアコンサルのプロでもある高田さんに、キッチンカーのプランはなかったものの、そのアドバイスを素直に聞き入れ、熟考し、ソフトクリームをバインミーに置き換えたかたちで、AKI’s KITCHENが誕生しました。

とはいえ、やり始めてから辞めることも多いそうで「ハマらないものは辞めます。辞めるのも早いです」と高田さん。それは感覚的な判断だそうで、「もうちょっとがんばったら何とかなるかもしれない」というような曖昧さは一切ないそうです。

短い時間で意思決定しているけど、人の5倍は考えています

これもまた、高田さんが「点」を増やせる理由のひとつかもしれません。

「『3倍速で生きろ』とアドバイスされたことがあって、それを実践しています。人が1回失敗するところも、3倍速だったら3回失敗できるので」と、徹底した失敗ドリブン(笑)そして、「泥臭いのが好きなんですよね」とも。

2時間にわたるインタビューの最後に、野暮な質問だと思いながらも将来の展望を聞いてみると

「嫁がハワイに移住したがっているので。ハワイ移住ですかね。キッチンカーだったらハワイでもできるし」と、新たなビジョンが明らかになりました。

人が一生をかけても経験できないようなことを、30代で既にいくつも経験済みの高田さん。なのにその話しぶりは、淡々としていて、内容とは対照的に全く”スゴイ感”が漂いませんでした。あえてその理由を尋ねてみると

「自分が一番びりだと思っているので、上に上がるしかないんです。自分の世界にはカッコいい人しかいないから、その人たちに恥ずかしいことできないなと思っています。下を見れば楽なのはわかるんですけどね」。

おそらく高田さんの場合、承認欲求なんぞは、人からもらう「いいね」ではなく、自分のチャレンジでこそ、満たされるものなのだと思います。

高田さんは、今、キャリアカウンセリングの一環として、企業や団体向けに独自プログラムの「価値観ワーク」を行っています。カードを使って、現在の自分の価値観を知り、相手とも共有し合うもので、私も数カ月前に、中3の長女と受けました。不登校に悩んでいるとばかり思っていた長女に現れたそれは、「乗り越える」や「熱意」などで、その時はとても意外でしたが、数カ月経った今、彼女には目標ができて、それに向かって一生懸命頑張っています。

高田さんは、出てきたカードに深い解釈をつけてくれたり、つながりを発見したりしてくれました。それに何より、学校のある平日にやってきた不登校の中学生を前にして「高田さんは話しやすくて、普段言えないことも言えた」と言わせるほど。高田さんと話せたことと、「熱意」のカードが、その後の彼女を前向きにさせたことは、言うまでもありません。

自分の体験以外は言わない。やってきたことしか言えない

高田さんの言葉の説得力はここにあります。そして、体験の数と幅がとんでもなく大きいので、どんな相手に対しても、響く言葉が放たれるのだと思います。

そんな高田さんの根本にあるのが

人の役に立ちたい」という思い。

その思いが、点を増やし、点を繋ぎ、どこに行くかわからない楽しさを伴って、ご自身を、そして周りの人たちを幸せにしていくのだと思います。

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<高田 裕明さん プロフィール>

1982年 東京都小平市で生まれる。関西大学 総合情報学部卒業後、株式会社内田洋行へ入社し、3年目にしてトップ営業マンとなる。その後、独立を経て、人材会社で就職支援事業のキャリアカウンセラーに。2012年には世界一周旅行。帰国後はサンマーク出版から就活本「全員内定!」を出版。2018年に愛媛県西条市へ家族で移住し、Next Commons Lab 西条のコーディネーターとなる。現在、地方と都市を新鮮野菜でつなぐ「西条やさい便」の運営や、キャリアカウンセラーとして企業研修。さらには2021年にキッチンカーを購入し、AKI’s KITCHENの屋号でベトナムのサンドイッチ「バインミー」の販売もスタートするなど、多方面で活躍中。

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