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9/26 100本のnoteを書いたら。

昨日何気なくnoteを書き終えたら「記事投稿100回達成!」みたいな通知が来ました。何気なく通知を見飛ばしてから、100本か〜としみじみしていました。

私がnoteを書き始めたのは、高校2年生の冬でした。何書いてたかな、と振り返ってみるとこんな感じでした。

なぜnoteを始めたのか?
それは、興味がある興味があるって言ってる割に何もしてないなこいつ、と自分をにらんでいるだけの自分から一歩前進するためだ。

noteならチャンスがある。誰かに自分の文章や写真を見てもらえるかもしれない。
自分の思いをありったけぶつけられる場所かもしれない。
幅の広いひとになるために、とりあえずやってみるのもありかもしれない。
そのくらい単純な考えだ。
だから、どハマりして書きまくるかもしれないし、これっきりになるかもしれない。
きっと、続けるだろうとは思うけれど。

この時の自分は本当に今日が分散していて、でも大学進学の時に何を選んでいいのかが全然わからなかったんです。それでも、わからないなりに進んでいかないと、口だけになってしまう、ということが怖かったんだと思います。この頃から誰かに見つけてもらえることを期待していますね(笑)


高校2年生の時の自分に伝えられることがあるとするならば、「大丈夫」の一言に尽きると思う。その後1年ぐらいで本当にライターの仕事をいただくことになる。高校3年生になってから、noteでプチバズりする。そこからライターという職業を知って、Twitterで声を上げた時に仕事を任せてくれる方に出会う。それが私の初めての仕事。

そこから大学生になって、インターンを初めて、もうずっと私は仕事として文章を書いてくることができている。

あの頃自分が予想していたように、noteを書き続ける。


文章を書くことは、私が死ななかった理由の一つになっていると思う。大げさかもしれないけれど、文章を書くことは私にとっての発散方法で、誰かとつながる手段で、生きていく理由だった。

私のnoteを読み返してみると、そこには悔しさや怒り、悲しみがたくさん詰まっている。もちろんワクワクドキドキしたことや熱い思いもある。私にとって文章を書くことと出会えたのは本当にラッキーなことだと思う。


しんどくて寝れない夜も、noteをひらけば文章がスルスルと生まれてきた。どんどん紡がれていく言葉を見て初めて、自分が何を考えているのかを知ることができた。noteを書くときに、悩んだことは全くと言っていいほどなくて、書き出してしまえばあとは勝手に手が動いている。



100本のnoteを書いて、私はたくさんの人に出会うことができた。私の考えていることが伝わること、誰かの思いに触れること。濃い人との出会いが生まれる場所だった。

100本のnoteを書いて、私は機会がたくさん巡ってくるようになった。自分にとって、人と出会い、機会と出会うきっかけをくれるのがnoteだった。

100本のnoteを書いて、私はいろんな私と出会うことができた。時には嫌いになることもあったけれど、自分のことを好きになれたのもnoteを書いていたからだった。


他の人にはない何かを求めて、誰かにかっこいいと思ってもらえるようなことをしたくて、必死に何者かになりたかった私。

そんな自分が、自分にとって当たり前だった、文章を書くことを大切にできるようになった。


私の好きなことで、人の役に立てると実感できたのもnoteや文章を書くことのおかげ。この喜びは大げさではなく忘れないと思う。


正直なところ、自分の書く文章が大好きだ。何回だって自分で声に出して読み返している。人の文章を読んで悔しくなることもある。そのくらい書くことが好きだ。

同じ場所にいなくても、同じ時間を過ごしていなくても、私の感じることを残すことができる、伝えることができる。自分だけのペースで感じることができる。落ち着いて書くことで素敵な言い回しを使うことができる。

文章の持つ力の大きさは、限りがない。そんな文章を書くことが大好きで、それを残してくることのできた noteも大好きだ。


高校生の時noteを始めてくれた自分がありがたい。これからも私はnoteを書いていくんだと思う。

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