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3/25 久しぶりのnote

仕事を辞めて、1ヶ月半くらいが経ったのでゆるっと動き出してみようと、noteの画面を開いた。

1年ぶりくらい。思い返してみれば、新卒で働き始めてから全然書いていない。やさぐれてたし、東京での消費される生活を過ごすことに一杯一杯だった。

実は下書きはたくさん溜まっていたけど、書かない毎日が長くなると、最後まで書ききれなくなる。今回は途中でもいいから世に出すことにしよう。


1月頭、お正月休みが明けて東京に戻った次の日、会社に行けなかった。1日だけずる休みをしようと連絡を入れて、泥のように寝た。

その夜に発熱、そこから1週間まさかのインフルエンザで休むことになった。

入社した頃、自分が描く、もっとこうだったらいいのにという世の中に近づけるためのサービスに携われることにワクワクしていた。

マーケ部への配属に対しても、良いものを届けていくことが学べると嬉しかった。一緒に働く先輩たちも優しくて、良いスタートかなと思った。

働き始めてからは、自分の主体性の無さに嫌気が差す毎日の方が多かった。目標設定がされない、部長やメンターがいなくなる、経験がないから任せられないと暗に伝えられる、環境のせいにせずに自分で頑張れるだけの主体性がないことを実感しまくりだった。

指示があれば楽なのに、自分に何かを期待される方が楽なのに、と楽な方ばっかりを見ていたと思う。

もっと早く、社内で相談できたら何か違ったのかもしれない。

何か決定的なことがあったわけではないけど、自分の弱さにずるずると引き込まれていくことは感じていた。人前で泣きたくないと思ったのに泣いた。親に心配をかけるわけにはいかないと思ったのに電話口で泣いた。

こんなはずじゃなかったのに、と思いながら
じゃあどんなはずだったのかと言われるとそれも思いつかない。

自分の理想の働き方も、何なら頑張れるのかも、そもそも頑張りたいと思っているのかも、いまだに分からない。
言われるがままに転職活動をするけど、何も定まっていない中で決められないし、何より選考に進むって失礼すぎんか…と思ってしまう。

何より、働けなかった自分という亡霊が付き纏っていて、どんな環境を選んでもどうせ無理なんじゃないかと思っている。

学生時代に辞めてきた数々が浮かび、頑張れたことって何かあったんだっけと頑張れたことも霞む。


こんな状態を、周囲の人は「やりたくなるまで休めばいいよ」「生き急いできてたし!」と、休む方に肯定してくれる。

その優しさすらも、少し焦ってしまう。

そうやって言ってくださる方は、立ち止まることなく働いていることを知っているから。何を言おうと、自分の人生は自分で責任を持っていくしかないことも知っているから。

このまま定職につけなかったらどうしよう、と思う。いつか見つかるよと言われる"やりたいこと"にまた振り回されている自分を俯瞰して見ている。

どうしようかな。

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