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言葉は嘘っぽい程に本音

『言葉は重ねると偽物に見えてくる』

頭の中に、常に言葉が蓄積されている。
それは毎秒毎秒……数十文字ずつ形作られてゆく。
時には一瞬で百文字近い言葉が、どんと音を立てて積まれたりする。

コレを処理する為には、あらゆる場所で言葉を使い続けるしかない。
幸いにも僕は、言葉を吐き出してお金を頂ける職業に就いているので、この問題をある程度は解消出来る術を持っている。
けれど……それでもまだ"場所"が足りない。
吐き出した傍から、どんどん言葉は頭の中で自然発生しては蓄積されてゆく。

兎に角、吐いて吐いて吐き出さないとならない。

職業病という言葉があるけれど、僕の場合は元々が病だったモノを幸運にも職業に出来た、といった感じだ。

人はこれを天職などと言ったりするけれど、個人的には【業職】とでも名前を付けてあげたい。
逃れられない業に、職がくっ付いてきている感覚。

少し話は戻るけれど、そんなだから頭の中に言葉が積み上がってゆくのを勢いで、丁寧に、呼吸をする様に、崩しながら、優しく、暴力的に、置いて、投げて、渡して、伝えて、書き殴らなくてはならないのだ。

その対象は、紙だったり人だったり液晶画面内だったり様々な形で……文字通り【形】にするのだけれど。

それが秒速で行われるので、当然その言葉も自然と膨大な数になってゆく。

これが対"人"となると、もう誰もが周知している事実だと思うけれど……
『言葉は重ねると偽物に見えてくる』のだ。

僕は言葉を削る行為が苦手だ。
10の言葉を1000の言葉にする事は簡単だけれど、1000の言葉を10の言葉にする事が出来ない。

例えば……
一つ前のnoteの記事に書いた【月が綺麗ですね】という事を、そのまま月が綺麗ですねと言う事が僕にはとても難しい。

暗い空にぽつねんと寂しそうに光っているから、綺麗で。
太陽の為に必死に照り返している健気さゆえに、綺麗で。
どれだけ欠けてどこから眺めても変わらぬ姿が、綺麗で。
遠く離れた人と気持ちが通じ合えている感覚が、綺麗で。
綺麗だという言葉だけでは足りない程に圧倒的に綺麗だ。

こう並べるとより浮き彫りになる。
全てが実際に月を見上げながら出てきた僕の中の本当の、嘘も偽りも無い言葉だ。
それでも悲しい事に、言葉は重ねれば重ねるだけ嘘っぽく見えて偽りの印象を与え続けてしまう。

仕事で、しかもフィクションの小説等を書いているのなら部分的には効果的に働く事もあるけれど。
こと人間に対しては、冗長になればなる程に言葉の厚みは薄れて平べったくなって……いつか響かなくなる。

全てを解っていても、僕は言葉を削れない。
それが僕の言葉だから。
たまに自分で『馬鹿みたいだな』って思う。
定型文で返せば良いような事も、信じられないくらいの長文で返して先方を困らせる事も迷惑をかけてしまう事も多々ある。
知人や友人に対しても同様に。

わかっちゃいるけどやめられない。

時に人として致命的なまでに"簡素に纏める"という事が出来ない。ある種、病気でもあると思う。

そんなだから最終的に愛想を尽かせて、大体の人間は僕の言葉に耐えられずに去ってゆく。
それも解っているのに、結局は止める事が出来ない。

何度も何度も何度も何度も、悲しい。

【伝えたい事は、伝えないと、伝わらない。】
それが僕の根本にある。

人間は空気を読んで、人の気持ちを汲める稀有な生き物だけれど。

僕は、そこの部分を信じ切れていない。
というより所詮は他人の事など解る筈が無いと卑屈に考えているのだと思う。ずっとずっと。
話せば解る、解って貰える、とは思ってはいない。
けれど、話さないよりは確実に解り合える事は多い筈で……それを馬鹿正直に信じきって生きている。

どれだけ嘘っぽく聞こえても、偽りに見えても。
この言葉全てが"本物"だと言い切れるから。


という上記の言葉もまた嘘っぽく見える。
それも自分自身で解っている。

それが悲しくて、辛くて……楽しくてやめられない。

蓄積されてゆく頭の中の言葉。
それらは嘘っぽい程に本音だ。

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