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X (旧Twitter)のアカウント削除

『やめれるもんならやめてみなよ』

と言われ、それはやめてみないと解らないな……と思い、急遽Xのアカウントを削除した。

なにも削除までしなくても……と思うかもしれないけれど、実際に削除をしないとやめられない身体になっていたのだ。中毒者であり依存症。きっと、コレを読んでいる人達もまた殆どがX依存症であり、SNS依存症であり、インターネット依存症だと思う。

そして、答えはあっさり出た。

「やめられる」

アカウント削除の際にパスワードを求められ、13年も前に設定したものなど当然ながら忘れ去っていたので、再設定をして無事に削除したのですが。

そう、13年も続けていたモノをほんの数タップでやめられるのだ。

僕は"思い出"に対しての執着が強いので13年間分の思い出の証を消す事には、正直とても抵抗があった。

それでも、やめられた。

コレはとても大きな収穫だった。
人から言われた何気無い一言『やめれるもんならやめてみなよ』だったけれど、それと真っ向から対峙して良かった。
半ば意固地になっていた部分もあるけれど。人生なんて、そういうものだ。

コレは、例えば仕事などにも置き換えが可能なのでは、と思う。

長年続けて来た仕事だから、今やめるのは勿体無いとか……まだ始めて日が浅いからやめるというのは難しいとか。
それは全て、やめてみないと解らない。

だから、やめたいとかやめてみようかなと思ったら携帯電話の画面を数タップするくらいの感覚でやめてみれば良い、と思う。

そして、逆もまた同様。

やりたいとかやってみようかなと思ったら気軽にやってみれば良い、と思う。

それは強制するようなモノでは決して無いから、やめたくてもやめられない人が居ても良い。

少し話は変わるけれど、もし『明日から珈琲を飲むのをやめてください』と言われても、きっと僕はやめないと思う。
言い方を変えて『珈琲飲むのをやめれるもんならやめてみなよ』と言われても、だ。

つまりは"絶対"では無いという事。
やりたいのならやればいいし、やめたいのならやめればいい。そういう単純な話。

今回がたまたま若干特殊なケースだった。
別に元々Xのアカウントを削除したかった訳では無いけれど、自分の中の好奇心からやりたくなったのでやってみただけ。

自分はそうやって生きているから。
今回もまたそうやって生きてみる。

そんな僕なので、アカウントは削除した(30日以内なら復元可能らしい、けれどやらない)身ですが、まぁ急にまた「やるかー」となったら再度アカウント作成すると思いますし。
その時は「ゴメン!やっぱりやめれなかった
!」と恥ずかしげも無く前言を撤回しよう。

全ては自分の責任で、その責任の上では何をしても自由なのだから。

取り敢えずは、Xでの僕はまっさらな状態になった。真っ白い砂漠。何処までも平らな空き地。
なんだか少し清々しい気分でもある。

それは本当に、長年だらだらと惰性で続けていた職場にスパンと辞表を出して退職した時のようで……

後悔よりも先に、ある種の達成感みたいなものが芽生えている。不思議と。

失ったモノは多いかもしれないけれど。
元から自分には勿体無い程の……抱えきれない程のモノを得ていたので。

この辺りで少し荷物を整理するのも良いだろう。

さようなら13年間の思い出の証。

そしてみんなも……また何処かで。

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