新しいビットマップ_イメージ_-_コピー

けんいちろうです。
前作からかなり時間が空いてしまいましたので、
→こい沼 壱←から読まれる事をお勧めします。


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働かねばおまんま喰えぬ。
しかし働きゃそれでいい。

働いたあとは歌って踊って、
好き好き楽しめ、文句無し。

村の西には坂がある。
山が裾野をずずいと伸ばして、
森の端から足がはみ出ている。
その「へり」に腰を下ろして夕焼けを見るのが風流だが、
最近、その風流仲間が一人減ったらしい。

「おい、五十八はどこいった」
「いや、行く先は俺もしらんで。
 お前、何か知ってるか?」
「なんかな、女らしいぞ」
「おっ、抜け駆けか。良い度胸だ。
 どこの女だ?俺が先に口説いてやる」
「それがどこの女か知らんのよ。」

坂のへりに人が溜まれば噂話の一つや二つ。
しかし五十八の噂は宙に浮いてぶぅらぶら。

真相を知るのは草と土。
しかし草は噂話を流さない。
土も耳が無いので相談できない。

とどのつまり、
五十八はこっそり一人で足を運んで姿をくらますばかりだが、
そこは人が集まる村の中、
誰一人としてその忍び足を見ない、という事は無い。

だが大人達は若者の忍び足を引き留めないし、呼び止めない。
五十八の女の噂を静かに広めたのも大人達だ。
人生の先達の眼をもってすれば、
若い男が女に会いに行くのなんざ、
その足取りの速さだけで判るもの。
判るが故に、詳しい事までは話さない。

「女に会いに行ってるんじゃないのかい」

と、
噂をちょんぎる、短めに。
それを聞いてやきもきする若い仲間達を見るのも、
また大人の楽しみだと村の中は知っているのだった。

「またきたんか」

枝を突っ込んでは駄目だと言われ、
五十八は沼の表をパンパンと手で叩くようになった。
二回まで。三回はうるさいからするなよ。
そう女に言われた通りに叩いてみるとこの歓迎の言葉。

「またきたぞ」

女はじろりと睨んできたが、
負けじと五十八がにっかり笑った。

話しの種は猫から雲まで手あたり次第。
どれも華やかなものではないが笑い話に仕立てる五十八の腕。

最初は沼から首だけ出してた女が片手で頬杖突くために胸まで出して、
片手が両手に増えて頬が二つとも頬杖の世話に。
終いには笑いと共に両手をパンパンと鳴らし、
口の中が見えるまで五十八と笑い合った。

だが夕暮れが過ぎていざ五十八が、

「さて、そろそろ」

と腰を上げようとすると、

「おう、さっさと帰れ、しっし」

とつれなくするのであった。

歯がゆかった。
あんなに話している時は笑うのに、
帰ろうとしたら引き留めもせん。
女心はどうしたもんか。

悩む男心が口を緩ませ、

「のう、女が機嫌はどうやって見抜けばいい?」

とついには五十八の喉を鳴らした。

「は?おんな?」
「そう、おんな。」
「五十八、噂は本当だったか」

話しの相手に選ばれたのは幼馴染の香六、
背は低いが気立てが良い。
自分が沼の女に会いに行っているのが噂にまでなっている。
そんな事を知らなかった五十八が目を大きくしていると、
香六が手を顎に当てた。

「仕事後にいそいそ何処かの女に会いに行ってる噂だぞ。
 で、どんな女なのよ」
「いやぁ、恥ずかしゅうて言葉が重いな」
「なんだ、はぐらかさずに言え」
「よし、じゃあオラの悩みを解いてくれ。
 そうしたら話そう。」
「ようし、良いだろう」

昼の暑さが増す。
日陰に二人腰を下ろし握り飯をほお張った口がぽろぽろ米を零してしまう。

「てな訳よ、どう思う?」
「零れてる、零れてるぞ、口から。」
「ああ、勿体ね。それでよ、どうだ?」
「お前の話に笑いはするが帰り際にそっけない訳か。」
「そうなんだよな、こりゃどっちだ、一体。」
「悪くないんじゃねぇか」

五十八の話を聞いた時、香六は相手の出かたを伺った。
女の家にお前が会いに行っているのか、否か。
するといや、家ではない、と五十八が言う。

「なるほど、女も家から出た所でお前と会っているのか。
 要するにお互い示し合わせた所にいるわけだろ」
「示し合わせたという訳じゃないが、
 いつも会っている所に行けば、いつもいる」
「それだよ」

パチンと香六の指が甲高く鳴った。

「女もそこに行ってる訳だ、お前に会う為に」
「行ってると言うか、まぁ、そこから退く事はできるらしい」
「いいかよく聞け、
 迷惑がっているならそもそも同じ場所に行く事をしない。
 だってお前考えてみろ、
 嫌な相手が来ると判っている場所にわざわざ行く女がいるか?」
「! なるほど、いるのか?」
「こっちが聞いてるんだ。
 答えはとても簡単だ。そんなアホはいない。
 会いたいからそこに行くし、会いたいから待っている。」
「そうか!?」
「そうに決まってんだろ、
 さもなきゃケラケラ一緒に笑う事もねえだろう。
 ところでよ、その女とどこで会ってるんだ?」

という探りには返事をしなかった。
いや、ちょっとその子は恥ずかしがり屋で。
自分が『そこ』にいる事を誰にも知られたくないというもので。

手の平を立てて眉間に皺を寄せて見せると、
まぁ、嫌がる相手を困らせるのもな、と香六。

「ところで五十八よ、お前ちょっと痩せたか?」
「んん、そうか?飯は変わらず食ってるんだが」
「最近の暑さにやられたのかもな。
 気を付けろ、調子を崩すと仕事に響く。」

昼の休みを十分にとった。さてじゃあ働くか。
頭に手ぬぐいを被って再び身体を動かせばいつの間にか夕。
今日もこれ位にしとくべとチラホラ帰路につく者が現れ、
風に紛れるように五十八が田畑から姿を消した。

村のはずれの二つ地蔵。
並んだ地蔵様が二つ、赤い前掛けをつけている。
それを横切り草むらに入ればあの沼がある、女の沼。

何時からだろうか、
五十八が拝みもせずに二つ地蔵を横切るようになったのは。

草むらに分け入り沼を見つけると、
丁度水面が揺れるのが見えた。
何かが沈んだ勢いで水の玉が一つちゃぽんと弾けるのが見え、
五十八は両手で口を覆って静かに近づいた。

パンパン、
五十八が二回水面を叩くと勿体ぶったようにゆっくり出てくる女。

「なんだお前、また来たのか」

とジロリ睨む顔を見て五十八は笑いをこらえるのが大変だった。

「なんだ、変な顔して。なにやってんだ」
「……っ、いやっ、今日仕事をしている時にな、
 近所の大五郎がな、」
「うん、どうした?」

女の身体はもう胸まで出ている。
頭だけ出ていたあの頃は何処へ行ったのか、
お前を呪い殺すと言っていたあの剣幕はどこへ行ったのか。

夏は夕暮れ時が伸びて長い。
村はずれの草むらで、
どこからかパンパンと手を叩く音と、
男女二人の笑い声が村の方まで幽かに届いていた。

「あんた、ここ、どうした、ここ」

家に帰った五十八が母親に頬の影を指さされた。
どこ?と五十八の手が自分の頬をまさぐる。

「ちがう、米が付いてるんじゃない。
 あんた、頬がこけてるじゃない。」
「同じ飯食ってるのに、どうした?下痢か?」
「いや、別に腹の具合はいたって良いんだけどな」

五十八の顔に家族の視線が集まる。
頬がこける事は家族、とりわけ親にとって重大である。
飯を食わせている自分達の息子が痩せていて、
他の兄弟が普通の体型であるということは、
その息子に何かの異変が起こっているのではないかと勘繰る。

「そう言えばあんた、なんか噂で聞いたけど、
 よくしている女がいるんだってね、どこの人?」

聞かれて五十八の箸が止まった。

どこの?
どこのと言われても困る。
村はずれの草ッぱらの。
沼の中の。
ううん、どういえば良いものか。

「……ちょっと村のはずれの方の」
「村の外れ……池田の家か?」
「池田に娘はおらんだろ」
「じゃあどこだ」
「いやまぁ…よかろう、仲は良い女子だが……」
「なんじゃ、家族に言えん相手か」

言えるも言えないも、相手は沼に住んでいる。
そんな事を言えば皆が何て言うか。
下手をしたらあの沼の女、殺されてしまいかねん。

「は、恥ずかしがりやな娘でな。
 男と会っているなんて噂を流されたくないんじゃと。
 だからオラもこっそりこっそり会っていて……。
 ええい、もうこの話はここまで、
 しーじゃ、しーっ」

五十八が立てた人差し指が家族の口を縫い付けた。

まぁ、息子が大事にしている様なら悪い相手でもなかろう。
そう思って親も口に飯を運ぶ事に切り替え、
兄弟達も頬を赤くする兄を見てようやく春が来たかと微笑ましく思った。

静かになった食卓で五十八は飯を噛みながら女を思い出していた。

あの女と会うたびに肩がどうにも下がってくる。
何かが乗っている訳でもない、どうやら力が抜けるような感覚で。
最近身体から疲れが抜けないとも思っていたが、
これはもしや、あの女に会っているせいか……。

そもそも自ら呪い殺すと言ってる相手。
頬がこける程なら可愛いものか、
殺される程じゃないのは手加減の故か。

死霊の類は伊達ではないのだな。

「おかわり」
「おっ、食欲はあるんだな」
「ああ、痩せた分だけ沢山喰わんとな」

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