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百姓の五十八(いそはち)が子供の頃、
近くの寺に流れ旅をしている御坊様が来たので話を聞きに行った。

色んな話を聞くために大人がいち早く集まっていたが、
ちらほらと子供の姿が増えると御坊様は声をかけた。

「おうい、皆、こっちにいらっしゃい。
 大人の方はちょいとどいて下さいな。
 子供には誰かを押しのける力がまだ備わって無いのだから」

十五かそこらの小さい頭、
ぐるりと周りを囲んだ子供達ににっこり笑う御坊様。

「笑うってのはね、本当に面白い時しかわらっちゃあいかん。
 面白くない時に笑うとな、心がどんどん鈍くなる。
 面白いと思ってた事がだんだん面白くなくなっちまう。
 恐ろしい事だろ?
 だから笑う時はちゃんと面白い時だけにしなさい。」

子供の後ろに構えていた大人達はそれを腕を組んで聞いていた。
子供達はと言うと、不思議そうな顔をして御坊様を見つめる。
その中の一人が小石を弄りながらこう言った。

「でも御坊様、面白くないと笑えないんじゃなかろうか」

確かにその子供の言う通りだった。
面白くないと笑えないのが人間だった。
大人達は御坊様がどんな事を言うのかじっと黙った。

「ボウズ、お前の言う通りだ。
 面白くなければ笑えない。
 でもな、人は嘘を吐くんだな。
 すると嘘の笑いをする事もできる。
 嘘を吐き過ぎるとどれが本当でどれが嘘か判らなくなる。
 笑いも同じ、なにも違わん。
 だからな、本当に面白い時にだけ笑え。
 笑う時は腹から笑え、腹が痛くなる程なら、なお良し」

そこで重ねて聞いたのが五十八だった。
胡坐をかいてふてぶてしく頬杖までしていたが、
目はかっぴらいて御坊様を見ていた。

「じゃあ面白いと思う事を増やすのは、どうなの」
「うん?」
「面白いと思ってなかった事を面白いと思うように、
こう、思い直すのは、どうなの。嘘なの?」
「それは嘘じゃない。朝は夜になる。空の青が赤になる。
 面白くない事を面白いと思う変化の何がおかしい。
 それに、そっちの方が人生お得だ。」

御坊様は五十八の頭を撫でて、

「その通りになりますように」

と一言祈った。

御坊様は流れる旅をまだし足りず、
三日滞在すると最後の朝に居なくなってしまっていた。

御坊様が去って村の中には笑いが増えた。

嘘の笑いは心の鈍り。
そう聞いて村の中では幾分愛想笑いが減った筈。
しかしその分本当の笑い声が増えた。

五十八は酷いもの。
背丈が伸びると声もでかくなり、
笑い声は雷の様だと例えるのは吉田のバア様。
あの耳が遠い吉田のバア様が五月蠅がるんだから大したもんだ。
村の皆がそう評する五十八は、まぁ笑う。
五十八が笑いだすと事情を知らずともつられて笑ってしまう程。
笑い釣り、なんて言われる程に五十八の笑いはでかかった。

村のはずれの草ッぱら。
五十八が夕暮れの前にふらり散歩に出てみると、
一所だけ草の丈が見えない所がある。
獣か何かが横たわるかと思い覗いてみると水の溜まり場があった。

五十八は年を重ねてよく歩き回っていた。
それこそ村の外、近くの山などは五十八の庭。
その五十八が首を傾げた。
こんな所にこんな水溜まり、あったかのう。

長雨の記憶も無し、
桶を誰かがひっくり返した訳でもなかろう、
どれ、と思って石でも放ってみると飛沫が小さくあがっただけ。
更に近場から長い落ち枝を一本取って突っ込んだ。

すると中で手応えがする。一旦引こうとしたが、
何かに挟まったように枝が五十八の言う事を聞かない。

すると枝がゆるりゆるゆると水の中から昇り始め、
遂には女が枝を掴んで出てきた。

五十八は腰を抜かした。
小僧の頃の悪戯で仲間総出で色んな場所に隠れたが、
水の溜まり場に潜むのを見たのは流石に初めてだった。

「ここに居る事を誰かに話せば呪い殺すぞ」

女が押し込むような声で言う。
五十八は腰を抜かしたまま女を見つめていたが、
うんともすんとも言わない。
女の方も枝を掴んだままだった。
しかし、

「ここに居る事を誰かに話せば呪い殺すぞ」

ともう一度言うと、

「呪い殺すって、どうなるんじゃ」

と五十八が聞き返した。

「どうなる、とは」
「いや、今まで呪い殺された事が無いもんでな。
 一体どうやってオラを呪い殺すんじゃ?」
「どうって、お前の所に行って、殺す」
「オラのいる所、どこでもか」
「そうだ」
「オラがお前の事を誰かに話せば」
「その瞬間にお前の所に現れる」
「それは困ったのお」
「そうだろう。だから私がここに居る事は」
「猫はいいのか」
「は?」
「この辺りは猫が多くての。
 ついいらん事まで話しかける。
 この前は耕三が腹を壊した話を猫に話してて、
 そこに出くわしたオラは気まずかった」
「猫は良い」
「犬は」
「犬?犬まで多いのかここは」
「いや、余り見かけんが」
「じゃあ……別に良いだろう」
「なるほど……他の誰かに話したら、殺しにくると」
「そうだ、よおく覚えておけ」
「ちなみにお前さん、どうしてそんな水溜まりに」
「これは沼よ」
「沼か」
「そう、底は随分深い」
「こんな所に沼なんぞ無かった筈だが」
「私がここまで移したからな」
「へぇ、この沼、動くんか。
 じゃあオラを殺す時はこの沼ごとくるんか」
「おい、おいお前、随分と悠長に話し込むな」

最初は腰を抜かしていた五十八が、
話が続くとあぐらに足を組みなおす。
じぃっと女を見ながら話す五十八を、
沼に半身浸す女がじろっと睨み返した。

「綺麗な顔立ちをしておる」
「はぁ?」
「お主じゃ、お主」
「ふん、死霊に見惚れたか」
「死んでおるんか」
「生きてる人間が沼から出るまい」
「なるほど」
「……もういい、あっちいけ、あっち。しっし」

女がとても嫌そうな顔をして五十八を追っ払った。
そろそろお日様が山の向こうにかくれんぼをする。
暗がりで欄と眼を光らす猫がいるので五十八は寄った。

「あそこの草むらでのぉ、沼があるんじゃが、
 そこから女が出てきたのよ。お前信じるか?」

猫は腹を見せて撫でろとせがむのみ。
その腹に手を伸ばしながら駄目か、と唸る五十八。

「のう、沼から人が出てくるかのう」

晩飯を喰らいながら家の人間に五十八がそう尋ねた。

「沼?溺れたら出てくるだろうよ」
「いや、溺れてるんじゃのうてな。
 まるで沼の底に住んでるような出かたよ」
「なんじゃそら。妖怪の類か」
「兄ちゃん何の話してるんだ?」
「いや、あのな……」

静まり返った家の中で耳を澄ますも、
戸口の外でも何かが蠢く気配は無い、音も無い。

「うーん、足りぬか」
「お前のオツムがか?」
「あんた、笑い過ぎで馬鹿になったんか?」
「いや、実はのう」
「やめやめ、どうせ昼寝時に見た夢の話じゃろ。
 今はおまんまが美味い、それに尽きるわ、はっはっは」

と親父殿が笑うのが契機、
他の家族も笑いつられて終いには五十八までも巻き込まれ。
夢では無いと思うは五十八ばかり、その夜はそのまま更けていった。

次の日しこたま長い棒を仕入れた五十八が沼を突いた。
ここか、ここか?ええい、どこだどこだ。

「なんじゃ、またお前か」

迷惑そうな顔をして女がヌウと沼から顔を出す。

「あのなぁ、これ、やめろ。
 お前、自分の寝床に棒を突っ込まれたらどんな気分だ?
 こっちが死霊だから言うて、礼儀も糞も持たんのか」
「いや、すまん、すまん、怒らんでくれ。
 美人に怒られるとかなわん。」
「はぁ……?ところでお前、また来たのか」
「いやぁ、聞きたくてな」

五十八が昨日のことを女に話した。
猫に話したがやはりお前は現れず、
家の者に沼から女が出てきた事を話したがお前は来ず、

「一体どこまで話せばお前さんは来るんじゃ?」
「………」

女の口が半開き。
呆れたため息が「出番で御座るか」と口の奥で構えている。

「私がなぁ、この場所で沼の中に居て、
 その事を誰かに話せば呪い殺される、と言えば行く」
「それだけか?」
「まだまだ、
 見目の悪い醜女で見るだけで金縛りにあってしまう。
 死んでも忘れがたい恐ろしさで一目見れば悪夢に出る、
 とまで誰かに話せば、呪い殺しに行く」
「……もう一回言ってくれんかの?」
「見目の悪い醜女で見るだけで金縛り……もう、なんじゃお前。
 そもそも何で今日も来た、いいからあっち行け、しっし」
「そんなつれない事を言うな」
「はぁ……?なんだお前、馬鹿にしてんのか」
「いやそんなつもりは。
 それにしても見目の悪い醜女で、見ただけで金縛り?」
「そうそう、言うて聞かせろ。
 お前だって昨日は腰を抜かしていたろ」
「そりゃあ沼から人が突然現れたら腰は抜ける。
 いや、でもお前さん、別に醜女ではない」
「はっ、よくみろこの顔。特にこの目よ。
 座り眼で生きてる時はいつも眠たそうと言われた。」
「いや、それが良いのでは」
「はん、何を言うておる。
 ほらもう今日の日が暮れる。
 はよ家にかえれ、かえれぇ、しっし。呪い殺すぞ」

言われて渋々五十八が沼を離れた。
鴉が四羽、茜空を飛んでいる。
女は腰まで身を乗り出して遠ざかる五十八を見ていた。

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