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【短編小説】シルトスを今日の別れに

何かが欲しくなった時、
人が満足を得る方法は二通り。
一つは本当にそれを手に入れるか、

もしくは錯覚するか。


取調室のパイプ椅子、
決して長時間座るべきものではない。

過去何人もの尻がその上に乗ったおかげか、
臀部を支えるクッションはもうヘタり、
三時間も座れば尻が痛くなる。

その点、十九日付で連れて来られた容疑者、
植野はとてもやりやすい相手だった。
取り調べを行う柴田の質問にもするする答え、
その気弱そうな見た目と口調言動に、
思わず柴田の方が気を遣う程だった。

昨今、ネットを騒がせるのは『アオジソ』。
『AOJISO(アオジソ)』は2030年代に田沼一鈴氏が開発。
前時代的なバーチャルシステム、
即ち手袋やゴーグルによるバーチャルシステムと違い、
直接脳波に干渉してバーチャル体験が可能になり、
より鮮烈な空間体験が出来ると話題になった。

このアオジソは他者参入に寛容で、
禁止事項と規定条項を守れば誰でもアプリを売り出せる。

『スカイダイビング』、
『トリプルアクセル』、
『オランダの牧場でポニーに乗る』。

様々なアプリが売り出され、
自宅に居ながらどんな体験でも出来る時代となった。

アオジソ界隈は今、はちきれんばかりの盛況具合。
しかし未だ中には違法で売買される裏アプリも紛れ込み、
アオジソの目下の課題はその取り締まりと言える。
売春アプリや麻薬アプリ系統が草分け期に酷く蔓延ったが、
今は随分とナリをひそめた。

過去に裏アプリの氾濫で窮地に立たされた事もあるアオジソ。
過激派、正義派達が大声でアオジソ廃止を提唱したが、
アオジソ自体は非常に優れたシステムだった。
『正しく善良に』利用する開発者達の功績もあり、
今やアオジソに触れた事のある人類は全体の70%と言われる。

(※正義派:
 2020年代初頭に起こった『コロナ災禍』の後、
 当時を振り返って出来た言葉。
 荒唐無稽な理由や感情論を前面に押し出し、
 極めて個人的な理論を主張する人間をこう揶揄する)

だがなかなか治まらない問題がある。
それが電子ドラッグ問題。

電子ドラッグとは元々ネットスラングだった。
主に音楽業界で使われていた過去があり、
何度も繰り返し聞いてしまう麻薬のような作品等をこう呼んだが、
現在の電子ドラッグは大麻などの薬物と同等に見られ、
今や現行の法律が厳しく取り締まる。

現在の電子ドラッグの定義としては、
アプリ使用に深刻な中毒性が見られる事を前提とし、
金銭面、使用時間面以外での要因によって、
利用者の健康が著しく損なわれるものとなっている。

例えばアプリの利用で摂食障害になったり、
稀な例だが歩行不能や手指不動症等になったり、
そうした影響を人体に与えるモノが今の電子ドラッグだ。
金銭面と使用時間面が度外視されているのは、

「課金が止まらない!これは電子ドラッグ!」
「プレイが止まらない!これは電子ドラッグ!」

と言った訴えが過去非常に多く、
余りの馬鹿らしさに呆れられた結果に因る。

今、柴田の目の前に座る植野。
この男にも電子ドラッグ法違反の容疑がかかっている。
その手は随分肉が少ないせいで骨の形が浮いていた。

植野の取調べが始まった時、
供述調書の下書きはするすると埋まっていった。
柴田の質問に答える植野の言葉にためらいは無く、
それが余りにも流暢なので書き取りの大道がしばしば、

「すいません、もう一回言って貰えますか」

と願い出るほど。
植野がトイレに行きたいと言えばトイレに行かせ、
喉が渇いたと言えば「何が良い?」とまで聞く。
薄々柴田も植野が悪人ではないと判っていたので、
取調べに置いては極めて温和な態度を取っていた。

「販売したアプリの名称は?」

と柴田が尋ねた時、
植野が答えたのは『三郎丸二丁目2-7』。

「住所じゃなくアプリ名称を聞いたんだけど」
「アプリ名称が三郎丸二丁目2-7なんです」
「え?」
「はい……」

狭そうな肩を更に狭くした植野が言うには、
実家の住所をそのままアプリ名称にしたらしい。

略称・愛称は『三郎丸(さぶろうまる)』。
アプリ形態は『味覚型』で、
代金と引き換えに味を提供する。

アプリ内で提供されていたのは以下の品目。
ハンバーグ、
ミートローフ、
ラザニア、
そして目玉商品のカレーの合計四点。

アプリ三郎丸は起動すると平成初期型の一軒家が現れる。
植野の生家を完全に再現したその家に入ると、
一人の老婆が「おかえり」とお出迎え。
その老婆が「今日は何が食べたい」と尋ねてくれる。

「このおばあちゃんは誰だ?」
「僕の実のおばあちゃんです。
 この家で実際一緒に住んでました。」

転勤族の父親、母親は植野を生む際不幸に遭った。
子供の植野が家に帰ると、出迎えるのは祖母だった。

「最初は自分でリアルに作ってたんです。
 でもカレーもハンバーグも、
 どうしてもおばあちゃんと同じ味になりませんでした。
 そこでレジネスを友人に教えられました。
 レジネスってアレです、味覚システムの一つで。
 三年間素人技術でいじくりまわして、
 初めておばあちゃんのカレーが再現出来た時は嬉しくて、
 その日のうちに友人を五人も家に呼びました。」

その友人達もカレーの味を気に入り、
その後も連日カレーを食わせろと訪れたと植野は言う。

「それから調子に乗って作ったのが、
 ハンバーグ、ミートローフ、ラザニアです。
 おばあちゃんの手の込んだ料理ってのがこの四つで、
 あとはまぁ、そうめんとかラーメンとか、
 おばあちゃんには悪いと思ってましたが、
 子供らしく作ってとせがんだのが、
 結局この四つなんですよ。」

カレーだけだったレパートリーも四つに増え、
友人達は更に足繁く植野の家に集う。
中には来訪し過ぎて嫁から小言を言われる仲間もいた、
そう植野は笑いながら柴田に話す。
その様はとても犯罪者の振る舞いではない。
まるで地元の幼馴染と昔話を話しているようだった。
取調べに同席した大道は後にそう語る。

「中森ってやつがある日言ったんですよ、
 これ、売り出してみようぜって。
 僕は最初冗談かと思いました。
 でも他の皆もやってみろよって言って、
 ええ、すっかり舞い上がっていたんですよ。
 だってアイツら来る度に旨い旨いって言うんですよ。
 それじゃあちょっと遊びでやってみるかって、
 それで本腰を入れたんですよね。」

植野は3Dデザイナーに有償で依頼し、
かなり精巧な実家と亡き祖母の姿を用意した。
そしてレジネスからの味覚データの抽出、
各メニューの値段設定、
食品3Dの形成、
アプリサーバーへの申請、
課金制度の各手続き。
一つ一つの作業がパズルを組み立てるようで、
当時はとてもウキウキしていたと説明する植野。
そう喋る顔も笑っているぞと柴田は敢えて教えなかった。

「カレーが二百円、
 ハンバーグは二百五十円、
 ミートローフ二百円、
 ラザニアは珍しいから三百円かな?
 そうやって値段を考えてる時ワクワクしました。
 これ本当に売れるかな、って。
 アプリ申請したのは山海月(やまくらげ)っていう所で、
 同じような味覚提供サービス専門のアプリです。
 商店街みたいに店のガワ(見た目)が連なって、
 バーチャルでそこを練り歩いてお店を決めるんですよ。
 オシャレなイタリアンとか本格派中華とか、
 それっぽい店の3Dモデルが並んでる中、
 その一番端っこにいきなり僕の実家がポツンと現れて。
 ええ、そこが一番借料が安かったんで。
 開店当初は散々からかわれましたね、
 なんか、いきなり民家が現れた(笑)って」

植野は笑ったがアピール的にはそれが強かったみたいだ。
軒並み『店』である事を主張するガワの中、
一つポツンと急に現れた民家が一つ。
なんだなんだ?と興味本位に入ってみれば、
狭いが温か味のある家屋の中、
幾らでも甘やかしてくれそうなおばあちゃんが出迎えてくれる。

「今日は何が食べたい?」
「え、あのえっと」
「カレーが今日はおいしいよぉ」
「あ……じゃあそれで」

そうやって注文する初見の客も多いと言う。
そこまで植野に喋らせていた柴田が口を開いた。

「……こう言っちゃあなんだが、
 随分狭い家だったみたいだな」
「当時珍しい平屋でした。一階しかないんですよ。
 友達の家に行くと当然のように二階があって、
 それが本当に羨ましかったです。
 うちも一応一軒家だったんですけどね。
 買ったのは僕が生まれた後で、
 それまで母の持病の為に結構お金かかったようで。
 母は最後によく私を産めたなと思いますよ。
 かなりの負担を覚悟してたでしょう。
 その後三人になって父は家探しの時、
 ひたすら中古物件を探し歩いたって言ってました。
 三人しかいないから平屋にしたかは……どうだか。
 結局父も家に居ない人間だったので、
 あの広さで、十分っちゃ十分でした。」

狭い、
本当に狭い。
3Dで作られた植野の生家の廊下は人一人通れるのがやっと、
二人通るならお互い半身にならねばぶつかり詰まる。
『データ』を食べる際に通される部屋も窓無しの四畳半。
お世辞にも豪邸とは言えない貧相な構えだが、
その地味さと下手に飾らない素朴さが多くの客に、

「知らない場所だけど、
 なんか帰ってきた気分になった」

と口々に好意的な感想を言わせ、
ほどなくしてアプリ三郎丸は連日盛況となった。

事情聴取の最中、
植野が頼んだのはアクエリアス。
それを一口飲んだあと辺りをキョロキョロと見渡したが、
何かに諦めたように手の甲で口をぬぐった。

「ティッシュか。すまんな」
「いえ、大丈夫です。
 それでどこまで話しましたっけ……。
 ああ、お客さんの声を聞きたくて玄関にノート置いたんですよ。
 鉛筆ツールでかけるやつ。
 そしたら皆、美味しかったからまた来ますって、
 殆どそういう好意的な感想ばかりでした。
 それを読むと不思議なもので、
 おばあちゃんの料理が手を加えた訳でもないのに、
 もっと美味しく感じるようになったんです。」
「ふーん、それから?」
「それから……自分でも実際に食べたくて、
 台所に立って何度も作ったんですけど、
 やっぱり同じ味にならなくて……。
 それがもう嫌になって自炊もしなくなって、
 スーパーやコンビニ、外食してたんですけど、
 どれも物足りないと言うか、
 アプリの中で食べるおばあちゃんの味に勝てるものが無くて……」
「それで、そこまで痩せたか。」

柴田の声は極めて温和だったが、
それを聞いた植野は机の上の両手を急いで隠した。
違います、僕じゃないです。
まるで大人に疑われてそう焦る子供のように。

「……アプリ三郎丸。
 ここ一か月で各地の病院に緊急搬送された人間、
 そのうち134人がそのアプリの名前を口にした。
 一人残らず栄養失調、体はガリガリ、
 辛うじて口にできるのは水、
 他は『不味くて』食う気になれないらしい。
 植野、今のお前もそうなんじゃないのか。」

柴田から見た植野の両腕が内に寄る。
きっと机の下で手を擦り合わせているのだろう。

現状、
電子ドラッグ規制の大半が後手に回る形となっている。
あからさまな『代物』が蔓延る黎明期が去った今、
アプリ利用者が心身に異常を来たし、
それを受けて後天的に電子ドラッグだと認定するしかない。

植野の三郎丸もその一つで、
サービス当初はただの人気アプリに過ぎなかったが、
そのデータの精巧さ、言うなれば、

『現実よりも美味すぎる味』

を提供され続けた人間が摂食障害を起こし、
その症状を引き起こす患者の多さからやむなく、
『電子ドラッグである』と法律から認定されてしまった。

三郎丸事件と呼ばれるこの騒動、
容疑者だった植野は事態を粛々と受け止め、
アプリの停止を素直に受け入れ、
摂食障害になった患者達を一人一人訪れ頭を下げた。

幸運な事に、
倒れた患者達はその後誰一人植野を起訴しなかったので、
『容疑者』植野は『犯罪者』植野にはならず、
『一般人』植野にまた戻り、日常へと帰っていった。

しかし取調べの最中、
植野もまた摂食障害を引き起こしていると判り、
カウンセリングなどの結果、
三郎丸で使われていたデータに触れる事は一切禁止となった。

警察側が諸々データを証拠物件として引き上げる際に、
三郎丸のデータ諸々は『危険データ』として全て没収、
また一から作り直さない限りは、
植野は『今はもう無い我が家』のデータにもう二度と関われない。

引き上げ当日、
居合わせた柴田に植野がおずおずと近寄った。

「どうした?」
「あの、柴田さん」
「うん」
「最後に一度だけ、いいですか」
「データか?ダメだよ、
 お前もうあのデータを食べるなって言われてんだろ」
「食べません!
 食べるんじゃなくて、
 最後におばあちゃんの姿を見たいだけなんです」

もし人間が誰かを黄泉(よみ)に送る時、
こんな声を出すのだろう。

柴田の他、合わせて三名。
植野を含めて計四名。

警察側の立会いのもと、
もう二度と日の目を浴びないであろう、
夕焼け空のバーチャルデータが目を覚ました。

決して豪華と言えない一軒平屋。
表面の塗装が剥がれた玄関ドア。
それを植野が開くと、
家の奥から両手をエプロンでふきふき、
笑顔で顔の皺が更に寄った老婆が出迎えてきた。

「おかえり、今日は何が食べたい?」
「ばあちゃん」
「カレーが今日はおいしいよぉ」
「ごめん、ばあちゃん。
 俺、なんか悪い事をしたみたい。
 ばあちゃんに食わせてもらった御飯で、
 悪い事をしちゃったみたいなんだ」
「さ、何食べる?」
「最初はばあちゃんの美味しいカレー食べたかっただけなのに、
 ごめんばあちゃん、俺もう、
 ばあちゃんのカレー食べちゃいけないんだって。
 身体に悪いからって医者に言われたんだ。
 ごめんばあちゃん、
 ばあちゃんのカレー世界一凄いのに、
 世界一美味しいのに、
 ばあちゃんのカレーがニュースになっちまったよ。
 俺が調子に乗っちゃったのかなぁ、
 ばあちゃんのカレーのせいで大勢の人が弱ってるって。
 ごめんばあちゃん、こんなつもりじゃなかったんだよ。
 俺ばあちゃんのカレーがまた食べたかっただけなのに。
 ごめんばあちゃん  」

柴田は悟った。
3Dデータに向かって謝る植野を見て悟った。

俺は今この男の祖母の死を見ている。

この男、
植野にとって祖母の記憶は他の何よりもまず御飯だった。
アプリ三郎丸はあくまで偶発的な代物に過ぎず、
植野はただ、
この世に残った祖母の残り香を拾い集めてただけなんだ。
この貧乏臭い家も、たった四品のメニューも、
全てが植野にとっての祖母だったんだ。

そうか、
俺達はこの男からデータを取り上げるんじゃない。
この男の祖母を殺すんだ。
この男の愛した祖母を殺すんだ。

この男は今から、
祖母の二度目の死を受け入れなきゃならないんだ。


注文データが入力されない植野の祖母はずっと笑っている。
ああ、多くの客人達もこの笑顔を見たのだろう。
その客達が残した言葉達も永の別れを悟ってか、
今はただ玄関の隅で開くノートの上で、

静かにシルトスを踊るだけ。


(※シルトス‐SyrtosまたはSirtos
 ギリシャの民族舞踊のある種の包括的な呼び名。
 踊り手が手を繋いで列になり踊る。)

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