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600ワットの恋心

「17日の夕方に何をしていた?」
「彼女の家に行きました」
「男女の間に恋愛感情を挟んだ交際の相手という事だな」
「そうです」
「彼女の家に入ったな?」
「入りました」
「彼女を殺したのはその家の中か?」
「そうです」
「どうやって殺した?」
「最初は頭を殴って、倒れた所を首を、こう」
「首を両手で絞めたのか」
「そうです」
「心臓を彼女の身体から取り出したのはその後か?」
「ええ」
「それからクーラーボックスの中に入れたのは何故だ?」
「違います」
「何がだ」
「心臓を取り出した後にクーラーボックスに入れてはいません」
「……でもお前の家のそれの中には心臓が入ってたぞ。
 それが彼女の心臓じゃないのか」
「それは合ってます」
「ん、じゃあこういう意味か。
 クーラーボックスに入れる前に何か別の手順を行ったという」
「そうです」
「なにをやった」
「電子レンジでチンしました」
「は?」
「え?」
「電子レンジでチン?」
「そうです」
「チンしたのか?」
「正確に言うと彼女の家の電子レンジの中に入れて、
 強出力、600Wで15秒の設定でスタートボタンを押しました」
「どうしてレンジで心臓をチンした?」
「……湯煎(ゆせん)は面倒だったので」
「ゆせん?」
「温めたお湯にこう…説明するの面倒なのであとで調べて下さい」
「思わず聞いたがゆせんは別にどうでもいい。
 俺が聞きたかったのはお前が、
 どうして彼女の身体から取り出した心臓をレンジでチンしたのかって事だ」
「……温める以外にレンジの使い方は無いと思うのですが」
「確かにな。
 じゃあ聞くがどうして心臓を温めようとした?」
「心が冷めたらしくて」
「ん?」
「彼女がそう言いました。
 心が冷めたのでもう俺とは付き合えないと」
「それで心臓を取り出してチンしたのか」
「そうです」
「彼女がそれで死んでもか」
「その点については仕方がありません」
「何が仕方ないんだ?ちょっと教えてくれ」
「彼女がまた俺を好きになるなら仕方ありません」
「死んだ人間は誰かを好きになるのか?」
「ならないんですか?」
「……少なくとも俺は知らない」
「死んだ人の使っていた道具を整備したり、
 その人が住んでいた家を大切に管理したりしたら、
 死んだ誰それも喜ぶと言うでしょう。
 死んだ人が死後喜ぶなら誰かを好きにくらいなるでしょう。
 おまわりさんはそう考えないんですか?」
「うーん、その、死んだ人が喜ぶってのは、
 現世を生きる人達の気休めみたいなところがあるからな」
「嘘なんですか?」
「いや、嘘というか、」
「嘘なんですか?」
「いや、今のは私の言い方が悪かった。
 嘘かどうかは知らない。
 厳密に言うと、死人が喜んだりするのかどうか、私は知らない」
「俺は知ってます。
 死んだ人間も喜んだり悲しんだりします。」
「それは誰から聞いた?」
「俺の母です。」
「お母さんはなんて仰られたんだ?」
「俺が健康だと母は嬉しくて、
 不健康になると母は悲しがると死ぬ間際に俺に教えました。
 だからこれまで風邪を引いた事がありません。
 煙草も吸った事が無いし酒も飲みません。
 母の魂は死んだ後に俺の中に入っていつも俺を見てくれてます」
「あー……」
「母を悲しませたくないんで」
「でも君は人を殺しただろう?
 それはお母さんを悲しませる事になると思わなかったか」
「母は何があっても、
 世界中が敵になっても母だけは俺の味方だと死ぬ前に言いましたから。
 多少悲しむかも知れませんが大丈夫です」
「んー……。
 ごめん、ちょっと私、煙草吸ってきてもいいかな?」
「どうぞ」

喫煙室では日々起きる犯罪に慣れてしまった大人達が群れていた。
交通事故、殺人、恫喝、よっぱらいの対処、その他諸々。
こんな世界に慣れるものだろうかと思っていた世界も、十年棲めば日常に。
久しぶりに頭のネジが飛んだ相手がきたもんだと憂鬱さが煙草を誘ったが、
喫煙所で他の同僚と愚痴をこぼし合って煙を吐くと、
まぁ、そんなに大したことじゃない、と刑事の心に諦めがついた。

「おまたせ」
「いえ、すいません俺の事で面倒かけて」
「ん?いやいや、慣れてるから。
 ところで、どうして彼女を殺した?」
「それは先程言ったとおり、心臓を取り出す為に」
「いやいや、質問が悪かった、
 どうして心臓を抜き出してチンした?」
「それは冷めた彼女の心を温める為です」
「……以前も似たような事をした事があるか?」
「いえ、今回が初めてです」
「心臓は心そのものなのかな?
 私は専門じゃないんだけど、心臓はただの臓器じゃないの?
 どこかでそういうデータを見たの?」
「心は心臓に宿るものじゃないんですか」
「どうしてそう思う?」
「おまわりさんは辛い思いをした事はありますか?」
「(まさに今してると言ってやりたい)
 ああ、あるよ」
「そういう時って、心がきゅーっと締め付けられませんか?」
「私の場合は胃も痛くなるね」
「辛い時だけじゃなくて、今度は怒った時、まるで心臓の部分から、
 肋骨の外側に向かって何かが押しのけて広がる様に感じませんか」
「判るね」
「嬉しい時はじわ~っと胸が暖かくなりませんか」
「そうだね」
「それなら心があるのはここでしょう、心臓」
「うーん、でもこの世で今まで心臓に心があるって証明できた人は」
「心が心臓に宿ってないって証明する方が難しくありませんか」
「んー……」
「あの、何を俺は質問されてるんですかね」

そんなに変な質問はこの部屋の中に飛び交っていない。
この彼女の心臓をレンチンした容疑者と、
取り調べを行っている刑事の間の『世界』の認識に、
究極的な齟齬が生じているだけである。
ただ刑事はその事を判っていて、
この容疑者はその事を判っていなかった。

「質問を変えても良いかな?
 判りやすい質問をするよ」
「はい」
「どうしてその…彼女の……」
「……」
「……どうして彼女に自分の事をまた好きになって欲しいと思った?」
「え?」
「君はその彼女以外に恋愛経験は?」
「ありません、彼女が初めて付き合った相手でした。
 それまで他の誰かを好きになった事はありましたけど、
 その相手達は俺の事を好きになってくれませんでしたから」
「その、心臓を抜き取った彼女の事を特別に思っていたと」
「恋愛ってそういうものじゃないんですか」
「そうかもね。彼女は死ぬ前になんて言ってた?」
「俺に対する気持ちが冷めたと」
「それはなんでか言ってた?」
「なんか……よく判らなくなったと」
「何が?」
「俺の事が好きかどうか……ちょっとこの話、あまりしたくないんですけど」
「大切な事だからちゃんと聞かせてね。
 その、彼女の気持ちがまた自分に向くために、
 彼女の心臓を取り出してレンジでチンして温めた、
 そういう事で、いいね?」
「はい、そうです。
 あの」
「ん?」
「彼女の心臓は今どうなってます?」
「押収したクーラーボックスから出して、
 今はパックごと冷凍保存してるけど」
「なにしてるんですか」
「ん?」
「ちゃんと温めといてくださいよ!
 温度は40度以上、それでパックして湯を張ったクーラーボックスに」
「ちょっと、落ち着け」
「それで三時間毎ぐらいにお湯替えて!
 それが出来なかったらまたチンし直してくださいよ!
 じゃないと彼女がまた俺の事を嫌いになるじゃないですか!」

容疑者の言うとおりにする訳にはいかない。
何故なら彼女の心臓は彼の物ではないからだ。
刑事は極めて冷静にその事を容疑者に説明し、
それを聞きながら顔を歪ませる容疑者は、
まるで虐められている子供の様な表情を浮かべていた。

容疑者は取調室から連れ出された。
法廷ではどんな事を口走ってしまうのだろうか。
それを考えるだけでも刑事の頭は痛くなる。

「俺もう頭がおかしくなるかと思いましたよ」

再び向かった喫煙所。
取調室の横で刑事と容疑者のやりとりをずっと聞いていた若い刑事が、
煙草をふかしながらそう呟いた。

「袴田さん、よくあんなに冷静に話を聞けましたね」
「んん?」
「あの容疑者のはなしですよ」
「ああ、ああいうのはたまに居るから。慣れ。」
「慣れたくないですねぇ……」
「お前今何歳だっけ?」
「27です」
「今のうちから慣れる努力した方が良いよ。」
「そうですよね…そうしないとこっちが持たないですよね」
「そういう事」

一本目を吸い終えて二本目を口に刑事が咥えたもので、
若い刑事は、じゃあ遠慮なく、と言った感じだ。
二人で二本目をプカプカやってると、
今度は刑事の方が口を開いた。

「恐ろしい時代になってくるかもなぁ」
「何ですか?」
「いや、レンジでチンしたらヨリが戻る時代も来るかもなぁ、って」
「はは、マジっすか?」
「そうしたらどうする?お前」
「いやー、俺はチンされたくないですねぇ」
「俺もだよ……お父さん死んじゃったからチンしなきゃ!
 みたいに病室で言われてみろ、頼むから死なせたままにしてくれって、
 そう頼んじゃうよきっと」
「ははは」
「笑い事じゃねぇだろ」
「いやー、でも将来的にはそんなの出来そうじゃないですか?
 流石にレンジでチンは無いでしょうけど、
 何かの機械で恋愛に冷めた心が戻るとか」
「なぁ」
「はい」
「人に心はあると思うか?」
「はい?」
「色んな奴らを見てきたけどな。
 俺達の世話になる奴らってのは、
 普通の人間が越えない線を勢い余って超えた人間だと思ってる。
 まぁ、生まれつきそういう線の向こう側に居る奴もいるだろうが。
 そういう奴らは、『心』がそうなんだと思ってた。
 でもな、
 そうやって人間が作る何かでどうこうなるのが心だとしたらな、
 本当に心ってものがあるのかどうか……」

二本目の煙草も御役御免。

「まぁ、見えないもんをどういう言うのが仕事じゃないからな、
 そういうのはもっと頭の良い人たちに頑張って貰おう。
 はー、腰イタ」
「心って、」
「ん」
「あると思いますよ。
 だって俺最近、なんか入りたての頃より無くなった気がしますもん」
「無くなったって、心がか?」
「ええ、どうすか?」
「はは、そうかもなぁ。
 無くなったって判るから、もともとはあるのかもなぁ」
「じゃ、もっと無くしにいきますか」
「お前彼女いたっけ?」
「ええ」
「大切にしろよ。
 仕事は給料くれるけど、愛はくれねぇよ」
「ははは」

ちなみに電子レンジって電力はどれくらいなんだ?
喫煙所を出る間際にそう刑事が尋ねた。
確か600ワット位ですよ、と若い刑事が答える。

「600ワットかぁ。
 そんな電球何個分かの出力で人の心が変えられるんじゃ世話ないぜ」

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