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【短編小説】くべさだ追い(序)

祭は契(ちぎ)り。

太色村の恒例行事の祭、
『くべさだ追い』では鉢巻(ハチマキ)が配られる。

配られるのはいずれも成人、
即ち二十歳を超えた村人となるが、
その中でも未婚の成人に限る。

祭は当日の夜九時から始まり、
難方山から太陽が顔を出した時刻に終わりを迎える。

その夜の最中、
様々な形で鉢巻の奪い合いが行われるのだ。

以下はくべさだ追いの掟となる。

一つ。
祭りの参加者は村に住民票のある未婚の成人であり、
尚且つ在住歴十年を超えていなければならない。
参加者は配布された鉢巻きに自らの名前、
及び役所に提出した暗号を縫い付ける。

二つ。
祭の最中に自らの鉢巻を奪われた者は、
奪った相手と婚姻関係を結ぶ。
但し、奪った相手の定義は、
「規定時刻の段階で鉢巻を所持していた者」とする。

三つ。
くべさだ追いで婚姻した者は、
配偶者の合意無く離婚の申請が出来、
役所はこれを受諾する。

四つ。
婚姻する者はその性別による可、不可を問わない。
及びその血縁の深さによる可、不可を問わない。
また、何人をもその婚姻に異を唱えてはならない。


このくべさだ祭の起源は古い。

その昔、
村を水害が襲った年があった。

村人の多くは荒れ狂う雨水に飲まれたが、
頭に鉢巻を付けたある女がその濁流の中に身を投じた。
それだけではない、
溺れる村人を悉く助けて行くではないか。
女は遂に水に飲まれた村人を一人残らず助け出し、
村はこの難局を乗り切った。
その後も痛んだ村の復興に尽力し、
七日も経つ頃には村はすっかり元の姿を取り戻した。

村の衆は驚きを隠せず、
改めて女に何者であるかを尋ねた。
すると女、

「自分はとある身分の低い神だ」

と言うではないか。
なんでも女は村と隣り合う山の神で、
この水害を目の当たりに思わず山を下りたとのこと。

「いつもは山のてっぺんからずうっと眺めて、
 あぐらをかいてるだけのぐうたら暮らし、
 他の偉い奴らに比べりゃ屁みたいな神よ。」

『くべさだ』と名乗った女はそう言った。
照れくさそうだった。
恐らく何も言わずに山へ帰るつもりだったのだろう。

しかしそれを聞いて驚いたのが村の民。
なんだと、神様が直々に助けて下さったのか。
歓迎もせず山に帰したとあっちゃ村の沽券にかかわる。
こうしちゃおれねぇと隣町まで急いで酒を買いに行った。

【沽券(こけん):人の値打ち。体面。面目のこと。】

宴の席には酒が要る。
主役の器に注がにゃならぬ。
何人もの村人が次々に同じ言葉を口にする。
くべさだ様、もう一杯、いや、もう一杯。
空にしては注がれ、飲んでは注がれ、
かたや神と言えどくべさだも上機嫌に酔いが回った。
村の面々も顔を真っ赤にして歌えや踊れやの大騒ぎ。
そんな中で一人の村人がこんな事を言う。

「くべさだ様、
 どうかこの村に留まっちゃ貰えませんか。
 山の上からではなく、この村の中でわしらを見て下さい。
 神様が同じ村の中に住むとなったら、
 わしらも心強い限りでして、へぇ」

それを聞いたくべさだはばつが悪い様に笑った。
いや、わしがこの村に居ても何の御利益も無いのだぞ。
それに畑を耕すつもりもない。
働かない食い扶持が一人増えるだけだ。
くべさだはそう言ったが村の面々が食い下がる。
多くの人間に乞い請われてすっかり上機嫌になるのも無理はない。
くべさだはしまいにこんな事を言い出した。

「よし、それではこうしよう。
 わしの頭のこの鉢巻だが、
 これがなければわしは神の姿に戻れぬのよ。
 もしわしからこの鉢巻を奪えたら観念してこの村に残ろう。
 それだけではない、奪ったやつの家にも嫁ぐぞ。
 神を嫁にしたとあっては大層箔が付くだろうて。
 そうだなぁ、猶予はあの山から陽が顔を出すまで。
 そうら、わしを嫁にしたくばかかってこいっ」

酒は追い風、春の先。
立ち上がったくべさだを見て、

「言いましたねぇ、恨みっこなしですよ!」

と数人の男共が飛び掛かった。
一人、二人、三人と、
くべさだもひらりひらりとかわしてゆく。
我も我もと酒が入った男達が追いかけっこに加わり、
女からはやんややんやと声があがった。

宴は熱に飲まれ、
酒が肌を赤くした男達はさながら赤鬼、
それに追われる女の妖艶なことよ。
長い髪と鉢巻の二つの尾がかがり火に揺れて、
それは見た事も無いような美しさだった。

「いけぇ、晋平、つかまえろぉっ」
「右だ右、おいおいなにしてんだぁ」
「ちょっとぉ、アンタの嫁はアタシだろぉっ。
 なに一緒になって追っかけてんだよぉ」

数人の女達が文句を言いながら笑っているのを見て、
くべさだは男達を捌きながら断りを入れた。

「まてまて、女房のいる奴は控えろよ。
 もし嫁や許嫁がいるのに鉢巻を取ってみろ、
 そいつの股にぶら下がってるモノをもいでやるぞ」

そう言われて縮み上がった数人が自分の女の許へと戻ったが、
それでも追いかけっこは終わらない。
幾つもの影が踊るのは夜の中、
闇が肩を叩いても誰も夢へと転がらない。
そうか、今宵は長くなるかと察した満月が、
気を利かしてか煌々と照らすばかりだった。

しかし、所詮は人。
神を相手取っては分が悪い。
一人、また一人と地面にへばり、
遂にくべさだを追って踊る男は一人も居なくなってしまった。

酒が入ってるのも相俟って身動きしない男達。
それを見て子供の様な笑みを見せたくべさだ。
肩で息をし、満面の笑みとなる。

「へぇ、くべさだ様。」

そこへ、一人の女が。

「うち村の男達の情けない事で。
 みな心ではくべさだ様を嫁にと思ってた筈ですが、
 御覧の通りのていたらく、
 どうかここは一つ、
 ノびた男共の詫びとしてこの酒をどうぞ」

くべさだの手に杯が渡され、
とっとっと、酒が注がれる。

「いや、そうか、悪いな。
 奴らも頑張ってはいたぞ。
 しかしわしが相手ではな。」
「へぇ、見事なもんでございました。
 では勝利も祝って、ぐぐーっと」
「おう、ぐぐーっと」

気分の良いくべさだが、ぐい。
天を仰ぐ勢いで杯を傾け酒を一気飲み。
嗚呼、勝利の美酒はかくも旨いものか。
興が乗って飲み干すと同時にくべさだがガクリと頭を振ると、

「あっ」
「あっ!?」

なんという事、
くべさだの頭から、鉢巻がすっぽ抜けた。

呆気にとられたくべさだが振り返ると、
後ろに先程酒を差し出した女が立っている。
手には鉢巻、そう、この女が抜いたのだ。

「へへぇーっ」

手にした鉢巻を持ったまま、
それはそれは大きな声を出して女がくべさだの前にひれ伏す。

「お許しを、なにとぞお許しをっ。
 この度のご無礼お許し下さい。」

一瞬の出来事だった。
くべさだが気分良く杯を傾けた時、
上を向いたのを見てくべさだの後ろに回り込んだ女は、
頭から垂れる鉢巻の尾を握りしめ、
くべさだが頭をふりかぶった拍子にすっぽりと鉢巻を抜いたのだ。

「くべさだ様、どうかお聞き下さい。
 村の者、一人残らず今回の事を感謝しております。
 この村に住んで頂けたらどんなに嬉しい事でしょう。
 そのまま人の姿で住んで頂こうとは思っておりません、
 この鉢巻もお返し致します。
 もし、タダでは住めぬとおっしゃるならば、
 どうか私の命を貰って下さい。
 私はもう両親もおらず、
 器量も良くないのでちょっかいをかけてくる男もいません。
 なんてケチな命だと思われるかも知れませんが、
 この村を守る為ならば投げ打つ覚悟で御座います。」

人の覚悟は何物にも勝る時がある。
女の言葉を聞き終えたくべさだも、
すっかり酔いが覚めた。

「おいおい、女よ。
 私がこの村の人間、一人残らず救ったと言うのに、
 最後にお前の命を取ったとあっては締めが良くないだろう。」
「へぇ、しかし」
「それになんだ、お前、男に見向きもされないのか」
「へぇ」
「この村の男、誰にもか」
「へぇ」
「町の男は」
「町は賑やかで、おっかねぇので……」

すっかり静かだった。
くべさだも、女も、他の村の面々も。
空にかかる月は依然として輝いていたが、
くべさだがどうするのか、事の成り行きを黙って見ていた。

「お前達には悪いが、一つ嘘を吐いた。
 わしはその鉢巻が無くても神の姿に戻れる。
 いやぁ、なぁに、お前達があんまり良くしてくれるもので、
 ちょっとじゃれて見たくなったのよ。
 男達が目の色変えて追ってきたのは楽しかったし嬉しかった。
 しかし、わしがこの村に住む事は出来ん。
 お前達の一人一人に帰るべき自分の家があるように、
 わしにも帰るべき場所がある。
 お前達がここに住んでくれと言ってくれて本当に嬉しかった。」

それを聞く村の者達の名残惜しそうなこと。
あるものはうんうんと頷きながら聞き、
あるものは涙ぐんでさえいた。

「一つ嘘を吐いたのを許して欲しい……悪かった。
 山の神として、よもや二つ嘘を吐く事はするまい。
 よってこの女にわしは嫁ごう。」

くべさだの声がわっと出る。

「このくべさだ、人間相手に一度ならず二度までも、
 嘘をついたとあっちゃあ山の神の名前がすたる。
 聞けばこの女に言い寄る男は誰もいないそうではないか。
 お前はどうだ、お前は?お前はどうなんだ、ええ?」

そう言ってくべさだに指を差された男共、
その一人残らず首を振る、
横にぶんぶんと。

「なんだと、本当の事だったか。
 お前らの目は一つ残らず節穴よ。
 こいつの言葉を聞いてたか、
 町は賑やかなのでおっかない、と。
 こんな可愛い事を言う女に見向きもせんとは。
 それだけではない、
 村の為だと自らの命も惜しまぬ覚悟、
 なんと優しい心である事か。
 それにわしを見た時、瞳の奥に見えた覚悟は真であった。
 器量が良くないだと?
 はっ、嘘をつけ可愛い顔をしておる!
 いいかよく聞けぇ!
 人間がのたまうこの世の美醜(びしゅう)など、
 タヌキの屁ほどにアテにならんものであるぞ!
 誰かにとっての美人は誰かにとってのブサイクになりうるし、
 誰かにとってのブサイクは誰かにとっての美人になりうる!
 お前達の誰もがこの女を要らぬと言うなら好都合!
 それにこの女、見上げた度胸よ、わしの鉢巻を本当に奪うとは!
 この女、わしが貰おう!
 女神のわしが女を娶(めと)る事に目くじらを立てる者もおろうが、
 女だ男だと些細な事よ、この女の人としての美しさの前ではな!
 ……あー、ここまで言っておいてなんだが、
 お前、この村に後ろ髪惹かれる男はおるか?」

そう聞かれた女は顔を真っ赤にして顔を横に振る。

「では良し!
 この女、今日をもってわしの嫁とする。
 だがもし一緒に暮らして不服とするなら村へ戻そう。
 その際は誰もこの者を虐げてはならぬ。
 もしそのような事があればわしがこの村を呪うぞ。」

遂に陽が差してきた。
遂に月も寝床へ去るだろう。

「約束をする。
 もしまたこの村に災いある時、
 わしが必ず駆け付ける。この嫁御と一緒にな。
 皆仲違いする事無く、息災であるように。
 良い夜であった。」

一体山の何処へ戻るのか。
それは誰にも見当がつかなかった。
ただうっすらと消えゆくくべさだと女の姿が陽に透けて、
まるで陽炎(かげろう)の様であったと。

その後数日、村の者達は女の噂をした。
神様と人なぞ夫婦として上手くいくのか、
女と女で上手くいくのかと。
同じ村に住むよしみだと、
女が居なくなった家を代わる代わる掃除した村人達であったが、
女が村に戻る事はついぞ無かった。


今は『くべさだ追い』という祭として伝説が残る。

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