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【短編小説】この指が触れたのは嘘

転職とあいなった。

転職前の勤め先だったビルの所在は品川。
そのビルに入っていた会社が変わり、
結果警備会社も別の会社を御贔屓にされた。
おかげで警備員は総変わり。
これまで六年通った思い入れのあるこのビル。
もう管理者扉から入る事も二度と無いだろう。

そんな訳で次に配属されたのは新宿のビル。
前任の一人が退職する為の補充として入った。
なんでも別口の収入が安定したから辞めたらしい。
聞けば話題のYoutubeで動画を配信しているとの事。

「無口な奴でなぁ、
 皆が笑う話でもクスリとも笑わないの。
 あんな奴でも儲けられるってんだから、
 俺もちょっとやってみようかなぁ」

新しいチーフの大山田さんはそう言うが、
動画や漫画はセンスが重要だと個人的には思っている。
普段無口でも、話の流れで笑わなくても、
人の心を掴む何かをその人は秘めていたんだろう。
少なくとも自分には備わってない。
正直羨ましくて、

「ははっ、そうっすねぇ。
 きっとイケますよぉ」

と大山田さんに愛想笑いしか出来なかった。

警備の仕事で重要なのは、
職場の同僚と話を合わせられるか否かではなかろうか。

来訪者への対応も仕事の一部だが、
四六時中客がやってくる訳ではない。
しかも対応は記入シートに名前などを書いて貰い、
許可証カードを渡すだけ。
退館時には退館時間をまた記入してもらい、
許可証カードを返却してもらうだけ。
あとは定時巡回もある。

けどそれ以外の時間の大半は決まった部屋に三人きり、
もしくは二人きり。

要するに、
喋んなきゃやってらんないわけ。

長い室内での待機時間に、
思わずポロっと言葉が漏れる。

「ねぇ、あのさぁ」「以前の職場はどこだったの」
「昨日のアレさぁ」「はぁ、誰もこねぇなぁ」

暇が話題を絞り出す。
人間の心を絞り出す。

酒、
パチンコ、
競馬、
マンガ、
テレビのドラマ、
誰かの不倫、
風俗が大好きな人も。

早い話が、
話題は色々準備しとくに越した事は無い。

幸運な事に新しい職場の人とは打ち解けた。
手持ちの話題で笑いを産めた。
そして不快さを落とさなかった。
新しい職場での滑り出しは上出来と言える。

快適な警備生活が新たにスタートし、
二か月が経とうとした頃、
一つの事に気が付いた。

この職場、『うっかり』が無い。

うっかり。
警備の業界で『うっかり』と言えば一つの事を表す。
来客の許可証カードの持ち帰りだ。

うっかり退館手続きをせずに帰ってしまった。
うっかり許可証を戻さずに帰ってしまった。

そんな事あるの?
と思うかも知れないが、
それが割とうっかり起こる。

だがそのうっかりがこのビルでは起こらない。
二か月も経てば二、三回は起こるものだ。
以前の職場では少なくともそうだった。

「ここのお客さん、優秀ですね。」

ある日に大山田チーフと二人きりになった時、
人が映らない監視モニターを見つつ、
呟くように聞いてみた。

「誰もうっかりしませんよね。」
「うっかり?」
「許可証カードのうっかり持ち帰りですよ。
 以前の職場は二週間に一回はありました。」
「ああ、そりゃ江川さんがいるからなぁ」
「江川さん?うちの江川さんですよね」
「江川さんが絶対回収するんだよな。
 たまーに他の誰かも気付くけど、
 大体いち早く江川さんが気付くんだ。
 そしてふらーっと外に出たと思ったら、
 許可証カードを持ち帰ってくんの」
「それって、外で客を呼び止めてるって事ですか?
 許可証カード忘れてますよ、って」
「江川さん、凄いから」
「えっ、何がですか」

大山田さんが言うには、
江川さんはとあるヤクザに深い縁があり、
江川さんが声をかければどこにでも筋モンが出ていく。
そしてうっかり許可証を持ち帰った客を捕まえ、
こっそり江川さんにそれを返しに来るという。
ふらーっと外に出るのは、それを受け取る為だと言うが。

「いや、流石にソレはないでしょ…」
「お前気を付けろよ、変な詮索はするな?
 変にヤクザがどうだの江川さんに言ってみろ。
 お前、ドラム缶に詰められてあっという間に海の底だぞ。
 ねぇ、どうなんですか、どうなんですかって、
 間違ってもそんなしつこく聞くんじゃねぇぞ。
 江川さんはここで穏便に働いてたいだけなんだよ」

なるほど。
そう脅せば当の江川さんにその話を振らないと思ってるんだな。
でもそもそもそんな馬鹿な話、わざわざ聞こうとも思わない。

江川さんと言えば職場でも指折りのおっとり気質。
いつもほがらかなので顔を見るだけで好感が持てる。
また、江川さんのほっぺは豆腐と柔らかさを競える程のもので、
一回だけ触らせてもらった時は指が沈み込んだ。

そんなほんわかとした雰囲気に、
これまで多少江川さんの事を侮っていたが、
以後江川さんに対する態度を改める必要がある。
大山田チーフの話を鵜呑みにし、
ヤクザの筋モンだから、という訳ではない。
仕事に対する熱意に敬して、だ。

大山田さんの話をよくよく考えるとこうだ。
外に出て許可証カードを持ち帰ってると言う事は、
監視カメラの映像をかなり注意深く見てると言う事だ。
それをしかも長時間。
そうでないと客が間違えてそのまま帰った際、
随時呼び止めて返して貰う事などできやしない。
よく考えると凄い事だ。

それから二週間ほどして江川さんが、

「ちょっとトイレ行ってくる」

とふらりと部屋から出て行って、
またふらりと戻ってくる事があった。

しかし、しかとその瞬間を見た、
江川さんがポケットから許可証カードを取り出し、
カード入れの箱の中に入れ、
記入シートに『退館済み』のチェックを入れているのを。

「えっ」
「ん?」
「江川さん、その許可証、えっ、どこから?」
「ああ。お客さんが持ったままビル出ちゃってた。
 だから返してもらった」

気付かなかった。
いや、気付けなかった。

江川さんと一緒に監視カメラを見てはいたんだ。
でも『見て』いるだけで、
『気付く』事は出来なかった。

一体頭の中はどうなってんだ。
江川さんは本当に凄い。
半狂乱で入ってくる殺人鬼を普通の客と区別するならともかく、
何食わぬ顔で平然と出ていく特徴の無い客達の中から、
許可証を忘れた人間のみを区別して見つけ出すなんて。

まさか受け付けた人間の顔をすべて覚えているのか?

「すいません江川さん、自分全く気付かなくて……」
「俺が気付いたのもたまたまだから。
 いいよそんな、気にしないでね。」

帰りの道すがら、
江川さんに感服しきった頭は少し痺れた感覚だったが、
それでも如実に思う事がある。
あの人は大したもんだ。
以前の職場なんて人員運が悪かったのか、
自分を含めてポカンとした奴らしか揃っておらず、
この職種の人間はみんなそうだと思い込んでいたが、
いや、居る所には居るものなんだ。
見た目はほんわかしてても中身はピリッとしている人が。
江川さんには注意力も記憶力も備わっている。
ああいう人は胸を張って仕事してんだろうな。
俺も不真面目に働いている訳では決してないが、
出来ればああいう人間になりたいもんだ。

江川さんに対する評価がコロコロ変わる。
最初はあなどり、次は尊敬し、今は憧れ。

ああ、要するに俺の人を見る目がポンコツだって事じゃないか?
それか人を見限り、低く見がちな人間だって事か。
他人をそう評価するのは自分自身の程度が低いからだと聞き覚える。
嫌なもんだ、全く。
結局俺が一番ダメな人間って事じゃないか。

人間誰しも悪い状況から脱したいと願う生き物。
自分もそれにおいて例外ではなく、
仕事に一層力を入れるようになった。

だが、それからまた一か月程経ったある日。

「あれっ」

通常来客の受付終了時間だと言うのに、
記入シートにまだ退館済みのチェックが入ってない客がいる。

「向かった先が……あー田辺部長の所か。
 昼飯時に一緒に外に出てそのまま帰ったクチだな。」
「どうしたの」
「江川さん、これ」
「……あー、うっかりやっちゃってるなぁ」
「すいません、気付かなくて」
「いやいや俺達は悪い事してないだろ。
 あ、ちょっとトイレ行ってくる。
 交代の用意しておいて」

かなり厄介なケースに分類出来る。
件の客が来たのは午前10:30。
恐らく昼食で外に出たのが午後一時前後。
今はもう七時を回っている。
客が帰った先が都内ならまだしも、
大阪など遠方からの出張だとしたら芳しくない。
後日郵送で送り返してもらう事を電話でお願いするが、
面倒臭がって実際に送ってこないケースもある。
電話口で

「判りました、すいませんねー」

と謝りはしても、
実際の行動に移さない人間がこの世の中には結構いる。

「はぁ、ほいほい」

戻ってきた江川さんがそう言いながら、
箱の中に何かを戻した。

「いやぁ、トイレの中に忘れん坊だよ。
 さっきの人の許可証、あったよ、トイレの中」

それは許可証だった。
しかも、先程確認した退館チェックの入ってない客のものだ。

「さて、電話いれとかなきゃねぇ。
 ちゃんと本人が出て行ってるか確認しないと」

そう言いながら受話器を手にする江川さんの横顔を見ながら、
俺は心の中でもやもやとした何かを感じていた。

トイレに許可証カードを忘れて行くなんて、
そんな事あるのか?
カードには紐が付いてて首から吊り下げるタイプ、
確かに場合によってはトイレをするとき、
例えば大便器の利用で思わず外す時があるかもしれない。
いや、それは良い、それ自体はどうでもいい。

その『置き忘れた許可証』を、
そんな短時間で見つけてこれるものか?
まるで手品か予めそうなるように仕掛けておいたみたいだ。

「――はい、はいどうも。
 いえいえ、次からは御注意下さいねぇ」

あれこれと考えたかったが、
江川さんの電話の声がそれを邪魔する、
掻き消していく。

「じゃあもうアガって良いよ。
 交代の津村君もそろそろ来るだろうし。
 おつかれさまぁ」
「  お先に失礼します」

疑問は引き金、
好奇心は弾丸(タマ)。

引き金を引かれた拳銃が我慢できず火を噴くように、
些細な疑問が膨れ上がって俺の好奇心に着火した。

ある水曜日、
江川さんと二人勤務の際、
江川さんがふらりとトイレに行ったのを見計らい、
来ていない客の入館手続きを記入した。

嘘の名前を書き、
嘘の電話番号を書き、
一枚の許可証カードをポケットの中に隠す。

こんな事はやっちゃあいけない。
下手をすればクビが飛んで路頭に迷う。
どこかのまとめサイトに面白可笑しく取り上げられ、

「こいつwwwバカwwww」
「警備業界から去ってくれて良かった」
「どういう理由でそんな事したの」

と知らぬ所で散々罵声を浴びせられてしまう。

そうならないようにする為、
江川さんとツーマンの時間帯だけこの嘘情報を保持し、
それが終わったら速やかに偽情報を隠蔽、
カードを上手く箱に戻す。

全てはただ確かめたいだけなんだ。
もし俺が許可証を持っていたら、
江川さんはどうするのかを。

トイレから戻ってきた江川さんを部屋に迎え、
一時間、二時間、刻々と時間は経ち、
ついに通常来客の受付終了時間になった。

「…あー、これやってるなぁ」

演技をする。
演技をするなんて中学校の文化祭で森の木の役をした時以来だ。
しかも今回は中学時代と違い、台詞付きの豪華な役。
失敗できない。

「どうしたの」
「これ、この人。うっかりやっちゃってますねぇ」

と昼に仕込んだ嘘の記入を指さす。
ここで江川さんが電話してみると言い出したら、
率先して自分が電話をかける。
そして後日何食わぬ顔で郵送でカードを送る。
そしてもし江川さんがいつも通りの言葉を言うなら。

「あっ、ちょっと待って。
 トイレ行ってくるね」

そう、トイレに行ったなら。
パターンBだ。

パターンBの場合、江川さんは手ぶらで戻ってくる。
戻ってきた江川さんに、

「もうお客さんに電話をかけたので大丈夫ですよー」

と何食わぬ顔で言う。

それ以外のパターンは、
それ以外のパターンは……、
ヤクザがこの部屋に押し入ってきたらとか?
はは、ないない、そんな訳無いだろ。
そもそもどうやって俺が許可証持ってる事判るってんだ。

大山田チーフに昔言われた言葉を思い出し、
思わず笑いが口から洩れた、
その時、
腰のあたりに、
なにかモゾモゾとネズミが動いたような感触があった。

皮膚が感触を脳に伝え、
脳が滅多に無い不気味な感触に警戒を発する。
右の腰だ。
目を向け、右腕を肩より高く。

ポッケだ、ポッケの中で何かが蠢いている。

膨らみを伴う蠢きはそう長くなく、
体中の筋肉が硬直しているとスッと萎んだ。
それも一瞬の事だった。

一体、何が起こった。

驚きで頭が何の予想も出来ない中、
右手は好奇心に従順になり、
そろそろとポケットの中に入る斥候となる。

恐る恐る指先でポケットの中を探るが、
指で判る感触は家の鍵と、
開けたキシリトールガムの包装と、

いや、無いぞ。

隠し入れた筈の許可証カードが無い。
異常を察知した脳が反対側のポッケにも手を入れさせるが、
左側のポケットにも許可証は入ってない。
上着のポケットにも手を突っ込み、
ポケットと言うポケットを確かめるが、
隠し入れた筈の許可証カードはどこにも見つからない。

今、頭が回らない。
何も考えられない。
二年前にデートの帰り際、
付き合ってた彼女にいきなり別れを切り出された時以来だ。

「ふー、やれやれ」

固まった思考では反応が遅れてしまった。
トイレから戻ってきた江川さんの手が、
横をぬうっと通り過ぎるのが目の横に写ってようやく正気に。

「あっ、江川さん」
「なんかロビーの椅子の隙間に落っこちてたよ。
 はーやれやれ」

駄々をこねる子供を追い返したような声を出す。
その声の主、江川さんの手には許可証。

「139で合ってる?」
「えっ」

記入シートの上を江川さんの指がなぞり、
自分が書いた嘘の記入の上で止まった。

「うん、139だね」

139だ。
この許可証カードは、
確かにさっきまで俺のポケットの中にあったやつだ。
間違いない、間違いない。
江川さんが今、箱の中に置いたこれは

「さーて、じゃあ電話するか」

でんわ、

電話!?

いや、電話はさせてはいけない、
そこに書かれている電話番号はでたらめだ、
どこにかかるかも判らない。
どうにか正気を取り戻した声で、

「この前江川さんにかけてもらったんで、
 今度は俺が!」

と強引に受話器を取った。
それを見た江川さんはいつも通りのおっとりを崩さず、

「じゃあお願いしようかな」

と言っただけだった。

バレないように電話をかけるフリをしたが、
心の中では冷や汗が滝のように不安を伝う。

あのポケットのモゾモゾ、
江川さんが持ってきた許可証、
ポケットから無くなった許可証。

俺の勘が言っている。
早くここを離れるべきだと。

定時までの時間が途方もなく長い、あとたった数分なのに。
退勤の挨拶もそこそこに、
ロッカーで汗にぐっちょり濡れた警備服を脱いでると、
交代要員で大山田さんがやってきた。
チーフである。この現場の責任者でもある。
そうだ、大山田さんには知らせないといけないんじゃないか。

「大山田さん、大山田さん!」
「おー、工藤ちゃんお疲れ様」
「あの、江川さん、江川さんヤバいっすよ!」
「んー?」
「あの、」

言葉が詰まるのは後ろめたさがあるから。
偽の記入をしたなんて口には出来ない。
何て言えば良いのか脳が言葉を選別する。

「俺今日、許可証をポケットに入れてたんですよ、一つ」
「なんで?」
「ちょっと客から回収したのを……、
 なんてーかうっかり入れっぱなしで、」
「ふーんそれで?」
「そしたら、それを江川さんが持ってきたんですよ」
「……は?」
「だからえーと、
 俺のポケットの中にあった筈の許可証を!
 江川さんが持ってきたんですよ!」
「……じゃあ君のポケットにあったっていう許可証は?」
「無くなってて!」
「君日本語が下手だねぇ、こういう事?
 君のポケットの中にあった許可証を江川さんが取って、
 それを持ってきたって事?」
「そうなんですけど、いやヤバいんですよ!
 俺のポケットがもぞもぞって動いたと思ったら、
 次の瞬間には中の許可証が無くなって!
 江川さんが俺のポケットに手を直接突っ込んだんじゃないんす!
 ほんと、あれはヤバい!ヤバすぎますって!」

そこまで聞き終えた大山田さんの表情が変わった。
眉が下がり、口が少し笑い、
何もかもを察したような余裕が目の中にはあった。

「ははぁ、君、江川さんの事、詮索したね?
 言ったろぉ、江川さんは、ヤクザに縁のある人。
 でも今は平穏に暮らしたくて、ここで働いてるって。」

すっかり仕事着になった大山田さんが二回肩を叩いてくる。
ポンポンと。

「言ったろぉ、
 下手したらドラム缶に詰められて海の底。
 これ以上詮索すんな、判ったか?
 あの人、ヤクザの関係者だから。
 ヤクザの関係者なの。ほら、言ってみ。復唱」
「いや、あの」
「江川さんはヤクザの関係者」
「え、江川さんはヤクザの関係者……」
「そうそう、だからもう詮索すんな。
 次変な事したら本当にドラム缶で海の底だぞぉ、はっは」
「――あの、大山田さん、アンタ」
「じゃあね工藤ちゃん、俺もう行くわ。
 明日は朝八時、遅れないようにね」

只今の時刻は午後八時過ぎ。
更衣室の中、ロッカーの前、一人きり。
着ているTシャツはぐっしょり濡れて、
指に昔触った感触が蘇る。


江川さんのほっぺの異常な柔らかさが蘇る。

お楽しみ頂けたでしょうか。もし貴方の貴重な資産からサポートを頂けるならもっと沢山のオハナシが作れるようになります。